第30話
「俺は盗犯の案件だと聞いてきたんだが?」
所轄署の刑事が2人、得体の知れない事件の匂いのする、妙に小綺麗な家の居間で、精巧な人形を前に話し合う。
「天満さんはどう思います?」
話を振られた制服警官、天満巡査は考えた末に、何の事件がどんな順序で起きたのかさっぱり分からんと答えた。
「だろうな」
まともな答えを最初から期待していなかった様子でもう片方の刑事は面白くなさそうに言った。
「川崎、一先ず状況を整理してみようか」
川崎と呼ばれた刑事はその言葉に同意する。
事の発端は朝の9時頃、第一通報者となった天満巡査の勤務地の交番まで遡る。
その朝、すいませんと声を掛けられ、天満巡査は勤務日誌を書く手を止めた。彼が声のした方、すなわち交番の入り口に目を向けると、若いサラリーマン風の男が立っていた。
どうしました、と尋ねる。
なにか言い淀むような雰囲気を醸し出す男にかすかな不審感を抱きつつ、天満巡査はさっと観察する。
人相風体からは不審なものは感じ取れない。道案内だろうか。
「うちの専務が出社してこないんですが」
困ったような顔をしながら、男は口を開いた。
「・・・・・・連絡は取れないんですか?」
「家も携帯も通じないんです。携帯に至っては電源が入っていないみたいで」
男から目を逸らさずに天満巡査は質問を続ける。こうした瞬間に油断して、目を逸らした警察官が殺害されたりする事件は昔からよく起きている。つい数ヶ月前にも実習期間中に自分の指導巡査をやってくれた先輩が刺されて殉職したばかりだ。
「携帯に電源が入っていないこともまあ、あるでしょう。ご家族は?」
「奥さんと娘さんがいるはずなんですが・・・・・・専務、変なんです最近」
「変、とは?」
困った顔を相変わらず貼り付けたまま会社員の男は話を続ける。
「その、自分が今どこにいるか、というのをやたらめったら誰かしらに伝える癖、のようなものが付いて・・・・・・「何かあったら誰かに助けてもらえるからな」とよく、まるで半分自分に言い聞かせるように説明してたんです」
とても電源を切るようには思えない、という説明を聞き、ふむ、と天満巡査は頭を傾げる。どうやら、困ってひとまず頼れそうな警察のところに来たという寸法らしい。
その実、年間通してこの手の「社員が出社してこない」という通報は業態を問わず、大なり小なり何件か受けている。
そして、その結末は大きく2つに分かれる。1つは、逃走して行方不明になっているパターン。もう1つは家の中で発見されるパターン。
「家の方には行かれましたか?」
「行ったんですが留守みたいで・・・・・・」
「ご家族も?」
「・・・・・・みたいです」
家で発見されるパターンの9割方は五月病か、あるいはただの寝坊で、受ける処分はともかく、寝坊程度なら後から本人が社内でいじられるというだけの他愛のないものとなって終わる。
しかし、このいずれかの結末に到達するための条件には「当事者が比較的新人である」というものが付随する。
これが「専務」ともなれば、残ったもう1割ほどの、不幸な結末に至る。
家の中で、特に布団の中で発見されるというパターン自体はこの両者に共通しているが、結末で大きく異なるのは、その後、会社の人間だけで対処できるか、それとも警察その他公的機関の手を借りなければどうにもできない事態に発展するか、という2点に尽きる。
たまたま今まで当たったことはなかったが、ついに当たってしまったか。
時期は初夏。気温もそこまで上がってはおらず、仮に心不全程度ならそこまで腐敗は進んでいないだろう。天満巡査は状況を聞きながら、しかしある結論に向けて考えを進めた。そして、一通り状況の見聞を終えると、交番の奥で交代後の退勤準備をしていた交番長の巡査部長に出場する旨を報告し、そのまま件の「専務」の家まで彼に案内を求めた。
「ここですか?」
「ええ・・・・・・」
西川という表札のかかった一軒家は朝を過ぎたくらいの時間帯らしい静けさを湛えていた。
呼び鈴を鳴らすが、応答はない。
天満巡査が玄関に手をかけると、戸は静かに開いた。
2人の顔に不審なものが浮かぶ。
「すいませーん!おはようございまーす!警察ですが!」
「失礼します専務!いらっしゃいませんか!」
大声で呼び掛けるが、答えるものはない。
入りますよと大声で叫んでから2人は家に上がる。
居間に入ると、まず天満巡査が、続いて会社員の男も驚きの声をあげた。
人だ。
中年くらいの女性が食卓の椅子に着いている。
あの、と声を掛けるが、答えない。
よく見ると精巧な蝋人形のようだった。
「専務の奥さん、です・・・・・・」
「なんですって?」
気味の悪さを感じたが、他には特に荒らされたような形跡もない。そのまま2人は寝室があると思われる二階に上がった。
上がってすぐの部屋を覗く。
「・・・・・・特に何もないな」
続いて、階段上がって左手にある部屋に入る。
室内は落ち着いた作りになっていた。ただ一点、開きっぱなしになった鍵付き戸棚を除いて。
物盗りかなと会社員の男は呟く。
通路に戻り、ふと階段から登って右手側奥を見ると、戸が半開きになっているのに天満巡査は気付いた。
寝室のようであり、目的の人物がいる公算が最も高そうな部屋でもありそうだった。
戸を押し開くと、レイアウトからどうやら夫婦の寝室らしいことを悟る。
天満巡査にとっては幸か不幸か、しかし、最終的には不幸なことに、件の専務はベッドに寝てもいなかった。
ふと天満巡査は妙なものを認めた。
「・・・・・・埃だ」
ベッドのフチにうっすらと積もる程度の埃が溜まっていた。毛布を動かせば飛んでいく位置に積もっている。つまり、長らく人が入った形跡がないことを意味する。この時点で天満巡査はわずかに感じていた何かしらの事件性がかなり濃厚なものになったと確信した。
「・・・・・・人を呼んだ方がいいかもな」
この認識は2人とも共通していた。
天満巡査は一先ず行動基準を現場保全に切り替え、自分の交番に電話連絡を入れることにした。
それからものの数分で、退勤予定だった面倒そうな顔をした交番長と、別件に出場していた同じ交番員の先輩巡査長が到着した。
そして交番長は室内の状況を一通り確認すると、交番員だけでの対処能力をはるかに超えていることを早々に認め、署に連絡を取るよう巡査長に指示した。
<<田ヶ原6から田ヶ原>>
<<田ヶ原から田ヶ原6>>
<<田ヶ原6、個人宅への
所轄署が了解し、ほぼほぼ同じ文言を各局宛に送話するのを聞き届けると、巡査長は、自分の非番が吹っ飛ぶことを悟ったような、半ば諦めた表情を押し殺している交番長を横目に無線機を肩にかけ直す。
所轄の盗犯係の臨場は早かった。
「で、二階の部屋の物盗り疑いの他は得体の知れない人形が一体、専務殿は長らく帰った形跡がなく行方不明、という訳か」
「ざっとそうなります」
説明を一通り受けた後で、「盗犯だけじゃないですね」と川崎刑事が片割れの先輩刑事にこそこそ話の要領で話しかける。
ああ、と相槌を打ちながら、「にしても」と片方の刑事は顔を横に向ける。
「これは誰が何の目的で作ったんだろうな」
目線の先には件の蝋人形が居た。
「お前、ちょっと触ってみろよ」
「嫌ですよ!先輩やって下さいよ」
「冗談に決まってんだろ、触んなよ。証拠保全だ証拠保全」
刑事2人の応酬を傍に、天満巡査は蝋人形を訝しむ。遠慮がちに、しかしまじまじと蝋人形を観察し、口を開く。
「これ・・・・・・本当に蝋人形ですか?」
「あんだって?」
「いえ、その何だか・・・・・・」
そのとき、二階から「誰か来てくれ」と交番長の大声が響いた。
咄嗟に反応した刑事2人に続いて天満巡査と会社員も2階に上がる。
「こっちだこっち!」
腕を挙げる交番長に従い、左手奥の部屋に踏み込む。
「なんだこれは?」
その部屋には大小様々な刃物、酸化してどす黒く変色した血液らしい跡、よく分からない薬瓶が多数転がっていた。
「事件性アリどころじゃないな。この部屋の主は?」
部屋を捜索しながら川崎刑事が回答者を指名しない質問を投げかける。
よくよくこの部屋を見ると、埃がなく、つい最近まで人が営巣していた形跡がある。
ここで、周囲を見回し、川崎刑事はあることに気が付いた。
「部屋の主は高校生かな?」
「この部屋のか?いくらなんでも冗談きついぞ」
もう1人の刑事が怪訝な顔を浮かべる。
しかし、川崎刑事の目線の先を辿り、高校の教科書が棚に並べられているのを認めるとその意見に妙な信憑性が増すのを感じずにはいられなかった。
「高校生の部屋とは認めたくないが、でもなきゃ高校の教科書を部屋のインテリアに据える相当な変質者の部屋と認めなきゃいかんな・・・・・・」
「誰を呼べばいいんですか?」
「・・・・・・鑑識、だな」
どっ、と床に何か落ちるような音に警察官たちが振り返ると、色を失ったような、会社員の男が膝から崩れ落ちているのが目に入った。
「そんな・・・・・・専務・・・・・・?」
男の存在を半分忘れていた刑事2人はしかし頭を業務用に切り替える。
「悪いですが、貴方にもお話を聴かなきゃいけません」
「・・・・・・え、ええ・・・・・・」
これからどうしていいか分からない、といった表情の会社員に川崎刑事は話しかけるが、おそらく頭には入っていないだろう。
一方の先輩刑事は相当な長丁場になりそうな予感を覚えながら部屋の観察に移る。
「これだから警察官の離婚率は下がらねえんだわ」
「なんの話ですか?」
「いや、こっちの話だ」
そして西川家には盗犯係が臨場してから、強行犯係と鑑識がセットで臨場し、最後に本部の捜査課がやって来る刑事課オールスター選手権の会場と化した。
「一体、これはなんの事件がいくつ、どの順序で起こったんだ?」
「・・・・・・神のみぞ知る、か?」
その答えを知る、神でもない、それこそ神を恨んでいそうな、そして交番長たちの休みを無に帰した悪魔のような者たちはその頃、何食わぬ顔で日常に戻っていた。
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