第29話

はっと意識が戻った西川はきょろきょろと辺りを見回す。

「・・・・・・形勢逆転ね」

先程まで小村が座らされていた椅子に、今は西川が固定されている。

「殺すの?」

「・・・・・・」

小村は答えない。だが、こうした局面になると刺客であるという疑惑は再燃する。

「なぜ私が家にいる、と?」

「絵里のいるところに私あり」

それじゃあ答えにならないかしらと少しおどけた様子で西川は答えるが、小村は黙している。

沈黙に耐えきれず、はあ、とため息を先についたのは西川の方だった。

「あれだけ大きな音がすれば、心当たりがあるんだもの。誰かしらが家に来たんだって思うわよ」

やはり相当大きな音だったようだ。

今度似た局面があればより注意を要するかもしれないという考えの傍で、小村は一つの疑問をぶつけてみることにした。

「・・・・・・居間にあった人形は?」

西川の顔から不安感が少し消える。

「違うわよ。私のお母さん」

はっきりとした口調で、小村の聞き間違いの類ではなさそうだ。

「・・・・・・何故?」

西川の顔が少し遠くを見るようなものになる。

「昔は上手くいってたはずなのに」

そう言って、ぽつぽつと西川は言葉を紡いでいった。


私のお父さんはいつも私を放ったらかし。

お母さんはね、私を虐めるの。

事あるごとに殴って、食事を抜いて。

お父さんはいつも日和見。見て見ぬ振り。

お腹は空くから、食事は自分で作るの。こっそり少なく。あんまり作ると無駄遣いだって怒るから。


「昔はこんなじゃなかったのに」


だからある日、夕飯を作りながら、昔に戻ったらどんなにいいかしらと思ったの。

大人しかったお母さんと、一緒にご飯食べて、お父さんを待つの。

そして、お父さんと3人で揃って晩御飯。

まずはお母さんから、と思って。

お母さんを「準備」してたら、お父さんが家に帰ってきて。

事情を話したら賛成してくれたの。

だから早く帰ってきてねって。


準備してたら私の春休みはお母さんだけで全部消えちゃった。

お父さんは忙しくて中々帰ってこないの。

たまには帰ってきてくれた。

でもこの間、お父さんは逃げちゃった。

「許してくれ」って書き置きとお金を残して。

いつまで待っても帰ってこないの。

一昨日も昨日もそして今日も、きっと帰ってこない。


「だけど。私には友達が出来た」

西川の顔に光が灯ったようなものが現れ、焦点が戻る。

「貴女よ、絵里」

小村は沈黙を保つ。

「きっかけはほんの些細なことだったけど。

貴女とお近づきになって、秘密を共有して、今は一緒にご飯を食べる仲・・・・・・秘密を言われたからには秘密を言わなくちゃね。いつの間にか貴女は私にとっての光になってたのかも」


ひとしきり内なるものを吐露したところで、西川は小村に話しかける。

「ねえ絵里、和泉クリーニングで話したこと・・・・・・覚えてる?」

「「安心してほしい。貴女はここの世話にならないし、させない。約束する」・・・・・・だったかしら」

「・・・・・・それもあるわ」

「他にも何かあるのかしら」


短い躊躇の末、西川が口を開く。

「貴女のお手伝い、なんて私出来ないかしら?」

きっと良いコンビになれるわ、と西川が続ける。

たっぷり5秒。西川に背中を向けて沈黙した後、良い案ねと小村が返す。

「なら、あらためて自己紹介しようかしら」

振り向き様。

「小村絵里って人間は」

間の抜けた音とともに、西川の右上腹部を7.62ミリの鉛の塊が走り抜けた。

「嘘吐きなの」


一瞬、西川は何が起こったか分からないという顔をしていたが、遅れて来た激痛から否応にも理解する。

「どう・・・・・・して・・・・・・」

西川の口から血が漏れた。

「痛いし、寒い、寒いわ、絵里・・・・・・!痛い、痛い痛いっ・・・・・・!絵里っ・・・・・・!」


小村の放った鉛玉は、西川の肝臓を綺麗に食い破っていた。

肝機能の喪失は体内に猛毒を撒き散らすことを意味する。その上、体温の急速な低下は外傷性の出血性ショックの特徴であり、今から手当をしようにも救命機材はなく、どのみち手遅れだ。数十秒後には生き絶えることとなる。


すっと小村は近寄り、西川の頭を抱き抱える。

「・・・・・・え、り、・・・・・・」

ただ、小村は黙っていた。徐々に腕の中で熱を失っていく、西川の言葉と取れない言葉を耳にしながら。


荒い呼吸が静かになったのを看取ると「彼女」は立ち上がり、眼鏡に飛んだ返り血に無感動にピントを合わせ、そのまま鞄に向かう。数十分前に確保した物証を再確認する。

状況確認のため部屋を出ると、見覚えのある二階の通路に出た。どうやら西川の部屋だったらしい。

ひとしきり確認を終えたところで「彼女」は電話をポケットから取り出し、連絡先のアイコンを親指で叩いた。

「「迷い猫」を捕まえた。離脱する」

「ん。飼い主のところに届けてやってくれ」


鷹取との電話を切ると「彼女」はそのまま電話帳をスクロールする。目当ての名前を見つけると、そのまま発信ボタンを押した。

相手は1コール目で出た。

「特別料金メニュー。住所は後で送る。全部終わったから、よろしく」

電話を切って、「彼女」は掃除屋に情報を送りながら考える。

家に呼ばれていたということは。

私は単なる秘密の共有に留まったのか、あの食卓を囲むことになっていたのか。それともあの食卓を囲む上で私の生命活動は終わることになっていたのか、ゲスト止まりだったのか。

九死に一生を得た?

本当にそれだけ?

考えは止まらない。

端的に事実を述べれば、「脅威を排除した」。

それだけだ。

それだけなのに。

何故、こうも激しい喪失感に私は今襲われているのだろう。

答えは見つからなかった。


しかし一つ納得がいったことがあった。

あの夜、彼女と交わした会話を一人思い出していた。

「親でも友人でも誰でも、取り敢えず逆の立場に立ってみて、クラスメイトが教室で知らない男を拷問にかけた挙句に殺してた、なんて言われて信じる?」

全て似たようなことを経験済みで、実証済みだったからか。何もかも、自分の家と家族で。


そこに至り、「彼女」は理解した。


そうか、私は。


浮かれてたんだ。



それから。

呼び鈴が鳴り、宅急便を名乗る聞き慣れた声が玄関先から響く。玄関を開けると、ダンボールを載せた台車を押す、宅配業者の服に身を包んだ掃除屋が現れた。

「最速を目指してみたんだけど、どうかな?」

考え事が長かったのか、本当に掃除屋が速かったのかは分からない。


「こりゃ中々立派な家だねえ」

軽い調子の感想を述べる掃除屋は、はいと二着の作業着を手渡す。宅配業者のものと、清掃業者のもの。

頭のスイッチを切り替えると、清掃業者の作業着に着替え、小村は掃除屋共々事後処理を開始する。

投げたボールペン、崩した壁。

そして、西川紗紀。


「これはまた派手なお部屋で」

紗紀の部屋に入ると、掃除屋は物色を始める。

あれこれと機材を見渡し、都度「これはいただけない」だの、「これを使うと事件性有りになるんだよねえ」だのと独り言なのか、あるいは求めてもいない所見を述べているのか分からない言葉を発する。

しかし、作業の手は止まっていないので特に指摘しなかった。


淡々と作業を終えると、上から宅配業者の作業着を羽織り、やや離れた位置に停めてある和泉クリーニングの社用車に「クール便貨物」を搬入する。そのまま社用車に乗り込むと宅配業者の作業服を脱ぎ、二人は西川家を後にした。


「流石だね」

「なんの話かしら」

和泉クリーニングの社用車の中、二人は会話を始める。

「変に接近してくる対象をいつ消すか、考えてたんじゃ?」

どうやら、後席のクーラーボックスに入っている人間についてらしい。

「いつから考えてたの?」

「最初から」

「じゃあ、最初からあの子は怪しいって睨んでたんだ」

私の人生は綱渡りだ。今までも、そしてこれからも。

「・・・・・・そうね」


ふと、この1ヶ月ばかりを思い起こす。

そして隣の掃除屋に聞こえないよう、小さく「彼女」は呟く。

「さよなら・・・・・・紗紀」

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