第23話

私のいた工作員養成所は、表向きは俳優養成学校だった。今活躍している俳優の中にも出身者は少なくないが、工作員課程があることを知っている人間はほとんどいない。

工作員課程の学生は、学校の提携している寮に全員住んでいた。勿論、工作員課程以外の学生も住んでいた。学生同士で工作員課程の存在が露呈することはないのか、という可能性も気になったことはあったが、じきにその可能性は限りなく低いことが分かった。上手いこと時間が調整されており、工作員課程の学生と表向きの課程の学生とは寮での食事、その他学内でも極力鉢合わせないようにタイムテーブルが作られていたのだ。何か聞かれても、食堂のスペースその他の問題から時間をずらしてある、という説明がどうやら彼らにはされていたらしい。


養成所では様々な教育があった。車両の操縦、武器類の取り扱い、爆薬類の取り扱い、薬品の取り扱い、格闘技、外国語、心理学、生理学、各職業に応じた立ち居振る舞いと潜入方法、逃走経路の確立方法、協力者の作り方、異性へのアプローチなど。爆発物の取り扱い訓練や、射撃訓練、車両操縦訓練は合宿場と呼ばれた山奥の土地で行われた。スタントマン課程がある関係上、ある程度派手な爆発などをやっても怪しまれることはなかった。

私は、養成所での成績は悪いものではなかった。自画自賛になるが、上から数えた方が早い成績だった記憶があるし、今でも教わったことは割としっかりと思い出せる。

だが、同性からのアプローチがあった場合の対処法についてはどれほど記憶の糸を辿っても出てこなかった。そして、自分が相手のことが気になってしまったときも。


私はどうしたいのだろう。何かにつけて気が付けば彼女、西川紗紀のことを考えている自分がいる。今のところ、西川紗紀という人物に対して小村が抱いている感情には少なくとも未だ信頼の二文字はない。まして親愛の類でもない、と信じたい。

「絵里、またコンビニ弁当?」

教室の昼休みどきの喧騒に混じって、はっきりとした声が西川の元に届いた。がたりと椅子を持って、もう片方の手に弁当箱を提げながら、西川が小村の机の前に陣取る。ここ最近は西川と小村が机を挟んで昼食を取る光景はもはや教室の片隅の一部として、日常の一コマを構成する要素となっている。

西川紗紀。今最も小村絵里という人間が頭を抱え、あるいは未知の脅威として認識している唯一の存在。

「信頼」の感情は「危険」の三歩前にあり、「信頼」から感情が前に進めばその分だけ危険に自ら歩いて行くことになる、と養成所の教官は言った。しかし、一体私は何の感情を抱いて彼女に接しているんだろう。


「わりと最近のは栄養が考えられているからね」

はあ、と西川がため息をつく。こうなると何を言っても次に小村に掛けられる言葉は分かりきっている。

「「そんなのばかりじゃ身体壊すよ」」

全く同じタイミングで小村が同じ言葉をぶつけると西川が、む、と眉をひそめた。してやったり、と小村は思ったが裏を返せば、会話パターンが読める程度には長く一緒にいる相手ということでもある。かえって小村の方がバツが悪そうな顔を浮かべることになるが、特に気にした様子もなく西川は小村の向かいに腰掛ける。

「仕方ないなあ、絵里は」

弁当箱の包みを解く。今日の弁当は卵焼きにハンバーグ、ひじきと豆腐らしい。

いただきますと小さく手を合わせ、西川が話を始める。

「今日は何がいい?」

「昼を食べてる時に晩の話をされても困る」

あれから、何度か小村の家に西川は足を運んでいる。主に西川がほとんど一方的に夕飯を作りに来て食事を共にすることに終止しているが。

「家の人はいいの?」と前にも尋ねたが、その時は「織り込み済だから」と西川は答えた。更に深く突っ込もうとしたが、「あの家、いつも一人だからあまり帰りたくないのよね」とどこか暗い顔をして続けた西川に小村は質問を躊躇し、結局そのまま呑み込むことにした。ただでさえ、西川を家まで送ったあの日、夜を回った時間でも暗いままの家を小村は見ている。どうにもそれから西川の家庭事情は尋ねる気にも、探る気にもなれなくなった。

西川紗紀は普通の人間。そもそもお互いに関わりがあっていいタイプの人種ではない。本来全ての存在を疑ってかかるべきなのだが、どうにも西川に対しては素性も何もかも割れてしまった今でも「誰かに密告される可能性」を危惧するよりも「ただの一般人なのに巻き込んでしまった」という引け目の方を感じている。


その小村の葛藤を知ってか知らずか、西川が疑問を投げかける。

「そういえばそもそも私みたいな、言うなれば・・・・・・普通?、の人間が絵里の家って、出入りとかしてていいの?」

ヤサを抑えられているどころか足繁く通う関係者ではない特定の個人がいる時点で既に潜伏先としての用を成しておらず、その上身元まで割れている。非常に危うい状況なのだが、なぜか小村は隠れ家を引き払う気力が湧かなかった。その気になればすぐに引き払って新たに拠点を構えることもできるのだが、当の小村にその気は今の所ない。

「あれはあれでカバーの一つになるし、より学生としての小村絵里という人格に肉付けがされるからいいのよ」

半分、自分に言い聞かせるように答える。

それに、と更に小村は続ける。

「どうせ拠点を変えても紗紀ならきっと何かしらの方法で突き止めるから」

放っておけばいつか致命的な過ちを犯す日が来るかも知れないが、西川を相手になんとなく居心地の良さを感じているのもまた、認めがたい事実だった。なにより、あの悪夢をここしばらく見ていないのがその証拠だった。

「そう・・・・・・」

西川がどこか嬉しそうなのはおそらく小村の気のせいではないだろう。


ふと西川が思いついたように話す。

「そう言えば私、絵里の家には何度か行っているけど絵里が私の家に来たことないわよね」

「・・・・・・そうね」

突如、何か重たいものが小村の胃にずしりと入り込んだような気がした。

「ねえ、私ばっかり絵里の家に行くのもなんだし、いつか私の家にも遊びに来たら?」

遊ぶ。誰かの家で。

その言葉が続く予想はついていたが、そこで小村の考えが止まっていた。自分が友人宅で何かをしているところが全く想像もつかない。何をするんだろう。というよりかは、何をすればいいんだろう。何を話すんだろう。

「一人は寂しいけど、絵里と二人なら、ね?」

「・・・・・・考えとく」

自己嫌悪に陥りながら、しかしそこはおくびにも出さず、小村は答えを保留にして、半分ほどになった弁当から梅干しを摘み上げて口に運んだ。コンビニ弁当のそれはいやに酸っぱかった。


その時、小村の携帯電話が振動した。表示は「メールマガジン臨時特別号」とある。どうやらメールの着信のようだ。

「ちょっといいかしら」と小村はメールを開く。さっと文面に目を通した小村はそれからきっかり3秒後に西川に顔を向けた。

「晩は豚の角煮がいい」

そして間髪入れず早々と弁当の残りを平らげる。状況の展開の速さが読み込めずに困惑する西川にそのまま小村は「早退する」と告げた。

「ちょっと、絵里?なんで?」

弁当ガラを片付けながら、小村は顔を上げずに答えた。

「贔屓の店に限定品が入荷した」

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