第18話
言葉が出ない。
というよりかは、目の前の現実と脳の情報処理が追いつかない。
「一体、ここで、何を・・・・・・?」
半ば絞り出すように単語を繋いで、なんとか疑問文を作る。
私はきっと今、幻覚を見て、幻聴を聞いている。
そう小村は思い込むことにした。
しかし、小村の目の前の西川は、確かに現実のものとして、そこに存在している。
「帰ってくるの、今日だったんでしょ?」
お腹空くだろうと思って、と西川は続ける。
答えになっているが、そもそもの答えになっていない。
「・・・・・・どこでここを知ったの?」
「欠席届けを読んだのよ」
さらりと答える。
怪しまれないように、と考えたのが裏目に出た。
馬鹿正直に住所を書くのはいくらなんでも考えものだったかと、小村は一人後悔する。
しかし後の祭り。
その結果が、今目の前にいる彼女だ。
盛大な疲労感を覚えながら小村は質問を重ねる。
「ここにはどうやって?」
「管理人さんに言ったの。あれを届けに来たって」
居間のテーブルの上に置かれた一週間分のプリントとノートを指しながら、さも当たり前のことのように西川は答える。
「女子高生の姿をした刺客が来たら死ぬかも」と、眼前の脅威に対し予想され得る最悪の可能性を思い浮かべて一人げんなりする。
しかし、今すぐそこにある現実は刺客が送り込まれるよりもある意味では数段タチが悪い状況である。
更に西川への質問を続けることにした。
「何で料理を・・・・・・?」
「貴女以外に作れる人が居ないのに、当の本人はきっと疲労困憊。その状況で、一体何食べるつもりだったの?」
全く考えていなかった。
言われてから空腹に気付く。
先程とはまた別の疲労感を、今度はより現実的なものとして自覚する。
言葉に詰まっている様子を見て、西川が口を開いた。
「今度は私から、いいかしら?」
かちりと、西川が鍋の火を絞り、包丁を握る。
にこやかだが、何か冷えたものを眼差しから感じる。
「・・・・・・どうぞ」
断りたいのだが、断る理由がないし、断ったところで西川なら食い下がってくることは想像に難くない。
小村の視界にふと、まな板が目に止まった。
これから煮魚にでもする予定なのか、まな板の上に置かれたカレイに何故か自分の姿が重なる。
「この一週間、どこで、何をしてたの?」
先程とは打って変わって、何やら言葉の端々に冷たいものがちらつく。
「・・・・・・ちょっとヨーロッパに」
「何を?」
「・・・・・・叔父の結婚式」
だんっと激しい音を立て、カレイが両断される。
どうやら一匹丸々煮付けるのではなく、切り身の煮付けにするらしい。
「どこで、何を、してたの?」
一瞬で看破されてしまった。
「人に言えないことを?」
同級生が押掛け女房になって、挙句尋問が始まるあたり、一体全体私はどこまで徳の低い人生を歩んでいるのだろう、と小村は自問自答する。
「貴女には関係ない」
ふい、と目線を逸らした。
刃物を持った人間から目を逸らす、というのは普段の小村なら取り得ない行動なのだが、今はその例外中の例外の事態が起きている。
しかし、目を逸らさずに西川は「あるわよ」と言う。
理由に思い至らず押し黙っている小村に西川は、「だってクラスメイトじゃない」と真顔で続けた。
目を向けることが出来ない。
どうにも、真っ直ぐな人間は苦手だ。
裏が無い様に見えるから、裏が読めない。
人間には必ず損得に裏打ちされた行動原理がある、というのが小村の持論だ。
あるいは本当に裏が無いのかも知れない。
不意に小村は、逸らした視線の先、食器棚の近くに茶色い液体の入った瓶を置きっ放しにしているのを思い出した。
瞬間、邪な思考が小村の脳裏を駆け巡った。
「分かったわ」
ため息混じりに吐き出された小村の言葉に西川の顔がぱっと明るくなる。
腹が減ってはなんとやら、と小村は続ける。
「きっと空腹じゃまともに質問に答えられないもの」
ふ、と西川に顔を向け、微笑を浮かべる。
裏が有るのか無いのか。
「有り難くご相伴に預かろうかしら」
見極めてあげる。
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