第17話

「目的は日本人を人質にした身代金要求でした。トルコからシリアにでも拉致する予定だったと考えられます」

小村が舘山に報告する。

場所は先日ブリーフィングを行った部屋で、普段はここで任務付与からデブリーフィングまでが行われる。

「国境を越えるルートは分かったのか?」

煙草を弄びながら舘山が尋ねる。

この一週間で禁煙宣言はとっくに過去のものとなったらしく、新しい箱が舘山の胸ポケットから覗いている。

「侵入経路を明かすことは今回の目的ではありませんが」

「ああ、いや、いい。あくまで出来ればの話だ・・・・・・しかし気付かなければ危うくデータも金も持っていかれるところだったな」

「ええ、一躍経理マンが全国どころか全世界デビューするところでしたが、なんとか水際で食い止めることができました」

鷹取の言葉に舘山は、分かった、と言い、追ってまた指示があるだろうがそれまでは休んでてくれと続け、二人に解散指示を出した。


「ああ、疲れたぁ、酒飲みたい・・・・・・」

報告を終えるやいなや、だらけきった声色で、曲がった背筋を引きずって鷹取が早々に退出した。


小村は、特に鷹取に言葉を掛けることなく、そのまま帰り支度を整え、家路に着いた。

幸いなことに、学校に提出した欠席届の通り、一週間で学校に復帰することが出来そうで、少し気分がいい。

事がすんなり片付いたお陰で、早々にトルコを離脱できたのが功を奏している。

当初は、情報を得るために相手の指揮官を抑える必要があると小村は予想していたが、幸運なことに「自由シリアの声」はニーズ・トゥ・ノウの原則が存在しない組織だった。


通常、統制の取れた組織は、知る必要のある情報しか末端には下令しない。

つまり、一々立案背景を始めとする作戦の全容を実動部隊の末端の人間までは教えない。

末端の人間がその作戦に政治的背景などの疑問を挟んでしまうと、思った通りに動いてくれなくなるからだ。

かつてのブッシュ政権時、イラクの武装組織に捕らえられたアメリカ兵が「何をしにここに来たか」と武装組織の構成員に質問され、「命令されたからここにいる」と回答する映像が公開されたことがある。

これはつまり「イラクにいる理由としては命令だけで、自分の政治的意思は何一つ介在していない」ということだが、それは大組織であればあるほど間違いのない運用がなされていることになる。


だが、民兵や武装組織のようなノンリーダータイプの組織は逆に、全員が指揮官となり得るため、一から十まで説明する必要がある。

目的は何か。

そもそも何故こうなったのか。

だからどうするべきなのか。

こうした組織の運営体制のお陰で全員が情報を持っていて手間が省けた。


それに、あらかじめ合流地点とした喫茶店には根回しをしておいたが、その根回しが完全に成果を発揮してくれたのも今小村を上機嫌たらしめている要因の一つだ。

普通は、自分が今いる店の他の客なんて余程のことがない限りはそうそう気にも留めない。

予約を取っておいたのは事実だが、予約席には行かず、通常通りの接客をしてもらい、奥の席に向かう。そして、予約席は「予約席」のプレートを置いておくだけ。

「予約席」という情報と「予約してその店に行った」という2つの情報があれば、実際に見ていなくとも勝手に頭の中で結びつけて「その客はその予約席にいた」と周りの客も証言する。

一応、店員は織込み済みなので変な証言が生まれる心配はなかったが、思った以上にすんなりと事が進んで、現地警察も特に疑問視せず、テロに巻き込まれた一観光客としてあっさりと解放され、そのままトルコを離脱するのに時間がかからなかったのも計算通り、あるいはそれ以上で実に気分が良い。


油断するとそれこそ鼻歌の一つでも出そうなくらいに上機嫌の小村だったが、自宅の扉の前に立ったその時、ふと違和感を覚える。

ドアノブの鍵の山が上を向いている。

本来、小村の部屋の鍵は閉めると山が下を向く構造をしている。


瞬間、小村の意識が切り替わる。

安い旧世代のディスクシリンダー錠で、その気になれば誰でも開けることができる。

それこそ、そんじょそこらの空き巣程度でも。

しかし、今自分の家に誰かが侵入した事実は現在の状況においては、あらゆる可能性を孕んでいる。

単なる物盗りだけでなく、それこそどこかしらからの報復まで。


音を立てずに戸を開けると、足元に小さな紙切れが落ちているのが小村の目に留まった。

扉の上に普段仕掛けてあるもので、戸を開けると落下してくる仕組みである。

蝶番近くに挟んであるため、知らなければ気付きにくい。

だが開けた時点でこれがすでに落下しているということは確実に誰かしらが今部屋の中にいることになる。

ここで小村は相手を素人と判断するが、罠の危険性も考慮し、さらに観察を続ける。

どうも玄関に靴が一足多い。

革靴だ。

無論自分のものでは無い。

だが、誰のものか分からない。

しかしここで、違和感はより強くなって小村に襲いかかる。

目的が見えない。

攻撃しに来たならば、既に仕掛けに来ていてもおかしくは無い。

そもそも、気取られれば普通は不利になる。

にも拘らず、存在をアピールするように靴が並べて置いてある。

わざと一人分の靴を置いてあるが、実際には複数人がいる可能性を考える。

心当たりはあり過ぎる。

しかし、誰だ。


耳をすますと、奥から音が聞こえる。

水の音、それも台所からだ。

加えて、調理音らしいものも聞こえる。

一瞬、部屋を間違えたかと考えるが、玄関周りのレイアウトは間違えようがない、見覚えのある配置になっている。

疑念は募る。

周囲に人が潜んでいる気配はない。

玄関に鍵をかけ、小村は奥に進むことにした。


人の気配はない。

居間の方に進み、戸を開ける。

居間に人の気配はないが、併設された台所に人影を認めた。

見覚えのある制服の後ろ姿が目に止まり、怪訝な顔を浮かべる。

変だ。

目的が見えない。

なぜあの女がここにいる?


その時、ふと小村の気が緩んだ。

そこで、人の気配に気付いた調理中の「女」が振り返る。

そこには。

「あら、おかえりなさい」

調理の腕を存分に振るう西川紗紀がいた。

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