第13話
「来た」
奥の席に陣取った小村が、三杯目になるコーヒーを口にしながら、顔を上げずに口を開く。
円形テーブルの向かいに座る鷹取が、ちらと店の入り口付近に目線を向ける。
待ち合わせに指定した喫茶店に、セシルは30分遅れで到着した。
元より、中東の人間に日本人的尺度は求めていない。
むしろ30分程度の遅れで済んでいるだけかなりマシだというのが小村と鷹取の感想だ。
2人の姿を認めたセシルは、カウンターで何かしら注文しつつ、近づく。
「お待たせしましたかな?」
浅黒い顔に、おおよそテロリストらしからぬにこやかな表情を浮かべながら、たどたどしい英語の軽い挨拶を交えつつセシルが小村と鷹取の間の椅子に腰掛ける。
「やっぱ日本人ってえのは真面目。時間通り。ワーカホリックな噂はホントだったですね」
小村たちの反応を待つそぶりもなく、セシルは続ける。
2人はここで気付く。
セシルはただの素人だ。専門的訓練は受けていない。
「本題の件ですが」
鷹取がさっそく切り出すが、セシルがそれを制する。
「待つですよ。まだコーヒー来てない。せっかちね日本人みんな」
ここは待つ方が無難か、と2人は判断し口を閉ざし、口元にカップを持っていく。
「日本の女の人は綺麗と聞いていたけど本当ですね」
「ありがとうございます」
営業トークの一環とも言える、至って事務的な笑顔で謝意を小村が答える。
しかしこれに気を良くしたのか、セシルが更に続ける。
「こんな仕事の席で会いたくなかったよ、出来ればどこか別の所で貴女と会いたかった」
「仕事の席」のはずなのに、いつの間にか鷹取そっちのけで、小村を口説き始めている。
「昼は食べた?この後皆でご飯でも食べようよ・・・・・・おっと、ありがとう」
話が大きく脱線し始めたところで、店員がコーヒーをセシルの前に置く。
やっと話を前進させられそうだ。
「食事のお誘いはありがたいけれど、今は先に片付けなければならないことがあるんじゃありません?」
表情を変えずに小村が続ける。
「ああ、そうだった」
面倒臭そうな顔をしながらセシルがファイルはあるかい、と尋ねる。
「ええ、ここに」
鷹取がファイルを鞄から取り出す。
中身は勿論偽物の書類とUSBが入っている。
ではこれで、と席を立とうとする2人にセシルは慌てて、そんなに急いでどこ行くの、と着席を促す。
「待って待って、気が早いよ」
「しかし用件は終わりましたが・・・・・・」
怪訝な顔で小村が答える。
この場では鷹取が応対するより小村の方が都合が良さそうだと2人は判断する。
「この後すぐ用事?忙しいよ?休んだら?」
矢継ぎ早にこの場に2人を、というかは小村をセシルが引き止める。
小村と鷹取はお互いに顔を見合わせて、まあいいか、というような表情を浮かべる。
「そうですね、遅刻したら道に迷ったことにでもしましょう」
2人が再び腰掛ける。
計算通りだ。
このまま世間話に持ち込んで時間を稼ごう。
「少しくらい国際交流してもバチは当たりませんからね」
「そうですよ!」
喜色満面。
セシルが一口コーヒーを飲む。
「そういえばこの間、健康診断があったんですよ」
身体が思ったより不健康になってて驚きました、と小村が営業スマイルのまま続ける。
それは良くないですね、とセシルが返す。
ここで心底意外そうに小村が尋ねる。
「トルコの会社でも健康診断はあるんですか?」
「ありますよ!うちの会社は特にちゃんとやってくれるですから」
「へえ、そうなんですか」
「私なんか健康しか取り柄がないですから」
お陰で今もこんなに健康です、とセシルが笑う。
羨ましい限りですねと小村。
「どうにも診断結果を見ていると一年で大きく身体の調子は変わるな、なんて思うんですよ。私なんかこの一年で体重が大幅に変動してて」
「おやおや、まあ・・・・・・私は一年前の診断票と何一つ変わってなかったですね。しかし・・・・・・体重なんて女性の方からすればデリケートな話題じゃないんですか?」
心を許した相手でもないと普通はしない会話を初対面の人間にですることで、相手への心理的抵抗の無さを錯覚させる作戦である。
「いえいえ、体重も大事な指標ですから」
完全に口説かれそうになっている小村に笑い出しそうになっている鷹取の腿をテーブルの下で思い切り抓りながら、柔らかい表情のまま小村が答える。
痛みに耐えつつ、いつの間にか空になっていたセシルのコーヒーカップに目線を落とし、鷹取が言う。
「それはさておき、そろそろ二杯目はどうですか?」
「そうですね・・・・・・あなた方も頂いて下さい。私も頂きます」
手を挙げてセシルが店員を呼ぶ。
「何にしますか?」
「私も彼も、先程と同じものを」
小村がセシルに伝える。
2人の分を英語で受け、セシルがトルコ語で店員に注文する格好だ。
しかし、小村の英語はしっかり店員に届いている。
「先程と同じ」。
「健康診断の体重データ通り」の符丁だ。
体重に変化がないので、コーヒーに混ぜる麻酔薬は計算通りで充分、一杯目と同量を混入させよ、ということを意味する。
この喫茶店はクリプキン社の系列である。
要するに、全て折り込み済みだ。
すぐに届いた二杯目の、小村たちにとっては四杯目になるコーヒーを一口飲んで、小村が口を開く。
「やはり健康が一番ですね」
「そうですよ・・・・・・馬が盗まれてから厩の戸を閉めても意味がありません」
「・・・・・・どういう意味ですか?」
少し逡巡して鷹取が尋ねる。
そこに間髪入れず、小村が口を挟む。
「身体を壊してからだと意味が無い・・・・・・違いますか?」
交互に話すことで、意識を分散させ、どちらか片方だけに集中させないようにする。
セシルが少しばかり眠たげな表情になってきたので、集中力を削ぐ作戦にシフトする。
「そう、で、すね・・・・・・」
コーヒーをセシルはさらに一口飲み、重たそうな瞼を必死に押し上げようとしている。
「おや、お疲れですか?」
鷹取が尋ねる。
「いえ、なんだか、眠い、です・・・・・・」
眠気を覚まそうと更にセシルがコーヒーを呷る。
よもや、そこに眠気の根源があるとも知らずに。
「変だな・・・・・・」
すうすうとそのままセシルが寝息を立て始める。
セシルの意識が消失したのを見計らい、2人は動き始める。
「作戦開始だ」
小村が奥の席からすぐ近くのスタッフルームのドアに移動する。
小村がさりげなく戸を開け、鷹取がセシルを中に運び込む寸法だ。
「私は裏通りから。少し準備してから入る」
「準備・・・・・・?まあ、いい。分かった」
その場で別れて、行動を開始する。
重てえ、何キロあるんだよこいつ、という日本語が薄っすらと小村の耳に届くが、無視して伝票を持ち、そのままカウンターに向かった。
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