第12話

翌朝、常人離れした時差修正能力により、日の出と共に2人は目を覚ます。

軽く体を慣らし、それから舘山からの連絡がないことを確認する。

連絡がない。つまり「状況に変化なし。予定通り行動せよ」という符丁である。


そしてそれから約1時間後。

「小村ちゃ〜ん、行かないの〜?」

朝食に行こうとする鷹取を引き止めた小村との一悶着である。

「現地の食事で体を壊したら元も子もない」

こんなとき「ホテルの食堂に行かずしてなんとする」派が鷹取。

「適度に好みに応じて食事をすればいい」派が小村である。

「二人一組が原則だよ?」

困ったように頭を掻きながら鷹取が続ける。

「あくまで原則」

私はこれで済ませる、と小村がカロリーメイトを取り出す。

よく税関に怒られなかったなと思いつつも、鷹取も譲るつもりはない。

「「誰にも怪しまれない」のは鉄則だよ?」

「っ・・・・・・っ!・・・・・・」

たっぷり15秒。

長い逡巡の末に、小村は結局鷹取に同行することにした。

実際のところは、食堂に来なかったからと言ってさほど目立つものではない。だが、工作員の大前提は「怪しまれないこと」。ここまで来てホテルの食事を摂らない人間は却って不自然である、という「共通した常識」がここでは鷹取に与した。


食堂に入ると、自然な動作で一番端の席に陣取る。

端の席は周囲が最も見渡せる位置にある。

「セシルたちと遊ぶ前にまず観光に行こうか」

おもむろに鷹取が日本語で会話を始める。

どうせ周囲には日本人観光客の二人組程度にしか思われていない。

むしろ日本語で会話している方がよりそれらしくなるため、却って都合がいい。

「クリフキさんのところにはいつ行くの?」

クリフキさん。クリプキン社のことだ。

あらかじめ決めておいた符丁、あるいは即席の分かりやすい暗語で会話を続ける。

「昼前がいいな。予約しておいたのは何セットだったっけ?」

「AセットとGセット2つ、Bセットが1つ」

「Bセット?」

それぞれクリプキン社から供与される工作用具の符丁である。

「Bセット食べるの?」

「万が一。予約しておいて損はない」

チャイを飲みつつ小村が答える。

「移動手段は?」

「徒歩とタクシー、いや、徒歩メインだな。ローカルなものを楽しもう」

鷹取がサラダを貪る。


最後に鷹取がチャイを飲み干したところで食堂を出て、手荷物をまとめる。

パスポートに財布と携帯電話。不自然はない。

ここで、鷹取はシャツネクタイのノージャケット、小村はスーツ姿といったビジネスマンらしい服装に着替える。

それから30分後、2人は街に繰り出した。

観光客らしく振舞う一方で、地図上で選定した退避、あるいは追っ手を撒けそうなスペースを実際に確認する。


そして10時過ぎ。

2人は、O&Wが用意した社員証で堂々とクリプキン社に入る。

エレベーターに乗りそのまま海外事業部のある6階に進む。

2人の姿を認めた海外事業部長が戸口のあたりで別室に案内する。


「注文の物件だ」

空き部屋に二人を通し、流暢な英語で部長が話す。

袋にパッキングされた工作用具と、2つのメーカーの異なるボストンバッグが用意されている。

2人が揃ったバッグを携行しているのは妙だからだ。


「全く本社のせいだな」

おもむろに部長が口を開く。

「なんの話でしょうか?」

鷹取がさも分かりません、と言ったそぶりで聞き返す。

「君たちも足労だったろう」

そんな鷹取の様子を無視して一人、部長は続ける。

「全く因果な商売だと思わないか?」

腕を組んだまま壁にもたれかかり無表情で質問を投げかける。

一息置いて小村が答える。

「さあ?私はただのビジネスマンですから」


小村の言葉に満足したのか、部長はふ、と笑って腕を解く。

この時上着の中から同時に腕を引き抜くが、ここに至るまで二人は部長が上着の中に手を入れていたことに気が付いていなかった。

そんな二人の様子に部長は一瞥もくれず、「持っていけ」と奥の収納スペースから二つのビジネスバッグを取り出し、二人に渡す。

表に出ていた用具は全てダミーで、こっちが本物だった。

この部長も現役を退いてはいるが、工作員上がりである。

未だ腕は健在なのだ。


「ねえ小村ちゃん」

「なに」

「符丁があったんだったなら先に教えてよ」

鞄を受け取りながら、心底、肝が冷えたような表情を浮かべる鷹取に、小村は無表情で一言だけ呟く。


「・・・・・・常識じゃない?」

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