ゴブリンがこんなに強いなんて聞いてない!

「何が『ちょっと』よ……。三十分位歩いたじゃない……」


 千尋は肩で息をしながらぼやいた。

 千尋は、パラスタンの門から少し歩いた場所にある路地の入り口の側に座り込んでいた。


『パラスタンから神殿まで行くのと比べたらちょっとじゃない!』


 服の胸ポケットから顔を出したチャコが反論したが、


「その割にはすぐにポケットの中に入って休んでたよね?」

『うっ、それは、その……』


 チャコがそっと目を逸らしたのを見て、千尋は溜め息を吐いた。


「まあいいよ。それよりさ、少し心配な事があるんだけど」

『な、何よ?』

「……言葉、通じるの?」


 千尋の目の前を若い男女が何か楽しそうに話しながら通り過ぎたが、千尋には二人が何を言っているのか全くわからなかった。


『…………あっ』

「考えてなかったの……? それとさ、お金は? 滞在費ないとどうにもならないんだけど?」

『あ、そ、そっちは大丈夫! 腰の後ろに雑嚢があるでしょ? そこにお金……チリンって単位なんだけど、とにかくお金が入った袋があるから!』


 チャコは焦った様子で答えた。


「あっそう。なら良かった。……で? 言葉は通じるの? どうなの?」


 千尋はチャコに詰め寄った。


『う……、えっ、と……』


 チャコは暫く必死の形相で考えて、


『そ、そう! 【翻訳】って魔法があるのよ!』


 思い出したかのように答えた。


「魔法? そんなのあるの?」

『まあね。というか【翻訳】だなんて何に使うのかよくわからない魔法だったのよね。今の今まで忘れてたわ!』


 チャコは何故か自慢げに言った。


「へー、魔法、ね。流石異世界。……でも私魔法知らないんだけど?」

『大丈夫よ。【翻訳】は他人にもかけられるから。私覚えてるから、貴女にかけるわね。【翻訳】、対象……名前何て言うの?』


 その言葉を聞いて、千尋は少しずり落ちた。


「……そういえば聞かれてなかったし名乗ってもなかったかも。私は、孤門千尋よ」

『コモンチヒロね。長いからチヒロでいいわね?』

「うん、というかそれが名前」

『じゃあ改めて……【翻訳】、対象、チヒロ』


 チャコがそう唱えた直後、千尋の体を優しげな蒼い光が包んだ。光はすぐに消えた。


「……何も変わらないけ、ど……!?」


 千尋がそう言った直後、変化が起こった。

 直前まで耳に入っていた謎の言語が、急に日本語に変わった。


「うわ、凄い……! やっぱり異世界なんだ!」

『だからそうだって言ってるでしょ。よく見てみなさいな。人だけじゃなくて、森人エルフとか、鉱石人ドワーフとか、いるじゃないの』


 チャコが指した先には、耳が横に長い少女とやや背が低い壮年の男性がいて、何か話し合っていた。


「うわあ……凄いなあ。話を聞いてみた……ん?」

『あら……?』


 不意に、森人の少女と鉱石人の男性がいる場所の向こう側が騒がしくなった。聞こえてきたのは、悲鳴と怒号だった。


「何かしら……?」

『早速お出ましみたいね。行くわよ!』

「ちょっ、お出ましって何が?」

『せいぜいゴブリンとかよ。ほら急ぐ!』

「……わかったよ」


 千尋は渋々立ち上がると、走り出した。森人の少女と鉱石人の男性の横を通り過ぎ、騒ぎの源に向かった。



 千尋が野次馬を掻き分け通り抜けると、そこには子ども程の背丈の黄緑色の異形の怪人――ゴブリンがいた。その数二体。一体は錆びたナイフを持ち、もう一体は小型の棍棒を持っていた。

 ゴブリンは青果店の店頭の野菜を蹴散らし、踏みにじり、干した果物を食い荒らしていた。


「うわ、酷……」


 ゴブリンの所業を目の当たりにした千尋は、それしか言えなかった。


『まあ、ゴブリンってこういう事は平気でやるのよ。……あ、こっちに気付いた』


 チャコがそう言った瞬間、ゴブリンが何か喚きながら各々の得物を振り回した。


「っ!」


 千尋は、思わず後ずさった。


『逃げようとしちゃ駄目でしょ!』

「そ、そう、だったね。……ここまで来たし、やるしかないか……!」


 千尋はそう言うと、右手で左腰の剣の握りを掴み、


「っ、ううーっ……!」


 力を込めて、何とか引き抜いた。


「ちょっ、お、重……!」


 千尋は剣を構えようとしたが、切っ先を持ち上げる事が出来なかった。

 それを見たナイフのゴブリンが、喚きながら猛烈な速さで突っ込んできた。


「きゃっ!?」


 千尋は小さく悲鳴を上げながら、何とか体を右に捻って避けた。

 避けた事で出来た隙を突いて、棍棒のゴブリンが突っ込み、千尋目掛けて棍棒を振り下ろした。

 千尋は思わず左腕を持ち上げ、棍棒を受けた。鈍痛が走り、小さく呻く。

 それによってさらに生まれた隙を突いて、ナイフのゴブリンが突っ込んできた。


「っ!」


 千尋は目を見開き、棍棒のゴブリンを左手で無理矢理払いのけ、突っ込んできたナイフのゴブリンに向かって剣を叩きつけるようにして無理矢理振り上げた。

 偶然にも、剣はナイフのゴブリンの首に吸い込まれ、鈍い音を立てながら食い込み、肉を裂いて埋まった。

 ナイフのゴブリンは地面に倒れ、少しの間もがき、やがて動かなくなった。


「や、やった!?」


 千尋はそう言って剣を引き抜こうとしたが、


「っ……!」


 剣は深々と突き刺さり、両手で引っ張っても抜けなくなっていた。

 それを見た棍棒のゴブリンが、怒り狂いながら突撃してきた。


「くっ……!」


 千尋は剣から両手を離すと、振り下ろされた棍棒を両手で掴んだ。

 千尋はゴブリンを強引に引き倒すと、棍棒を引き剥がした。

 千尋はそのまま棍棒を両手で握り締め、振り上げ、


「…………」


 怯えた目をしたゴブリンと目が合った。

 その一瞬の隙を突いて、ゴブリンが凄まじい勢いで立ち上がろうとして、鈍い音が立った。

 ゴブリンの右のこめかみに矢が生えていた。ゴブリンはそのまま左に倒れた。即死だった。


「えっ?」


 千尋が周囲を見渡すと、野次馬を背に立つ、先程すれ違った森人の少女が弓を構え、次の矢をつがえていた。


「……終わったみたいね」


 森人の少女はそう言うと、矢を矢筒に戻し、つかつかと千尋の前まで歩いた。


「貴女ねえ、ゴブリン相手に情けをかけたら駄目じゃない!」


 森人は厳しい口調で言った。千尋より少し背が高く、千尋を見下ろす形になっていた。


「え、えっと……」

「それとね、マトモに振れない武器を持たない! 命取りになるわよ!?」


 森人はナイフのゴブリンの首に突き刺さったままの剣を千尋越しに見ながら言った。呆れていた。


「そ、その……」


 千尋は何か言おうとしたが、


「……ごめんなさい」


 何も言わず俯き、謝った。


「これこれお前さんなあ、初対面の相手にそこまでキツく言う事はなかろう」


 そう言って野次馬の中から出てきたのは、先程森人と話し込んでいた鉱石人だった。


「何よ鉱石人、文句あるわけ?」


 森人は鉱石人を睨み付けた。


「いや、あんたさんの言い方がキツいってだけでな。間違つっちゃいないが、敵を作りかねんぞ? 嬢ちゃんや、気を悪くせんでな。この森人はちと口が悪いだけなんでな」


 鉱石人はそう言うと、肩をすくめた。


「いえ……いいんです。そこのエルフさんの言う通りですから」


 千尋はそう言うと、ナイフのゴブリンの死体に歩み寄り、何度か引っ張って剣を強引に引き抜いた。刀身に付いた血は、ゴブリンの腰蓑で拭った。そのまま力任せに剣を持ち上げて、鞘に落とし込んだ。

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