第5話 説明
「では、これを」
波布さんは、僕に封筒を渡してきた。
「なに?これ?」
僕はそれが何か分からず、首を傾げる。
「窓の修理代です」
「……ああ!」
僕の部屋に不法侵入した時、確かに波布さんは『後で弁償します』そう言っていた。確かにこれも約束の一つだ。
僕は封筒を受け取る。ん?この重さ……。
「波布さん、これ幾ら入っているの?」
波布さんは淡々と答える。
「百万円です」
「ゴフッ!」
僕は思わず噴き出した。ひゃ、百万円!?
僕慌てて封筒を波布さんに返す。割れた窓を直すのに百万は明らかに多すぎる。
「何でこんなに!」
「まず、内訳としましては窓の値段が数万円です」
「……残りは?」
「雨牛君の体を触らせてもらったお礼です」
「……っ!」
波布さんの思わぬ言葉に僕は絶句する。
「もちろん、今まで触らせてもらったり、キスして頂いたお礼は別途お支払する予定ですので、ご安心を」
「い、いらない!いらないからね!そんなの!」
「……まさか!!」
僕が怒鳴ると、波布さんは目を大きく見開いた。
「タダで触っても良いと!?」
「違う!!!」
「で、どうしたの?この金?まさか、御両親のものを勝手に盗んだとかじゃないよね?」
「はい、違います」
「……そう」
とりあえずほっとする。でも、じゃあ一体どうやって?
「稼ぎました」
「ゴフッ!!」
僕はまた咳き込む。稼いだ?高校生が百万円を?いや、バイトの給料を使わず溜めていれば出来ないことはない。でも、うちの高校はバイト禁止だ。もしかして、こっそりやっているのだろうか?一体どんなバイトを?まさか、如何わしい所で……。
「大丈夫ですよ。如何わしい所でバイトなんてしていません」
僕の心を読んだかのように、波布さんは首を横に振る。
「私の体は、雨牛君だけのものですから」
「……あ、う、うん?」
さらりと言われて返事に困る。波布さんは「そんな顔も可愛いです」と言った。
「このお金は投資で稼ぎました」
「投資!?」
投資というとアレか?株とか、そういう……。
「流石、雨牛君。まさしく、その通りです」
高校生で株!?しかも百万円を稼いだというのか?嘘だろ!?
「元手は?元手はどうやって……」
「元手は親が貸してくれました」
「御両親が?」
「はい、世の中の経済を勉強させるために、親は私に株をやらせました。親から一通り株のことを教った後は、株を買っては売り、買っては売りを繰り返すだけでした」
波布さんは簡単に言うが、そんなに簡単ならみんな株をやって稼いでいる。
「そうしている内に、親から借りたお金が十倍となり……」
「十倍!?」
「私は借りたお金を両親に返し、残ったお金でさらに投資を続けました。そうしたら……」
「そ、そうしたら?」
僕はゴクリと唾を飲み込む。
「さらに、数十倍に増やすことが出来ました」
僕は口を開けた状態で固まる。
「そ、それで……全部でいくら稼いだの?」
この質問は、とても失礼なものだったと思う。でも、あまりに驚いた僕はそこまで気が回らなくなっていた。幸い、波打さんは気分を害した様子もなく答えてくれた。
「約……円ぐらいですね」
頭がクラリとする。波布さんは、一生働かなくても良いぐらいの金額を稼いでいたのだ。
波布さんは高校生にして既に、受験のしがらみからも就職のしがらみからも解放されていた。羨ましいことこの上ない。
僕は思い出した。そういえば、蛇は金運の象徴だった。
「という訳で、この百万円は遠慮なくお使いください」
波布さんは僕が返した封筒を、また僕に渡そうとして来る。僕は、それを突き返した。
「いらないよ」
「まぁ、まぁ、遠慮せずに」
「いらない!」
「遠慮せずに」
「要らないってば!」
そんな押し問答をしばらくの間繰り返した後、最終的に数万円だけ受け取った(もちろん、窓の修理代にだけ使い、余った分は返すつもりだ)
「御両親にも謝らないといけませんね。窓を割ってしまい申し訳ありませんでした……と」
「いや、いいよ。窓を割ったのは、僕だってことにしといたから」
両親を誤魔化すのは大変だった。なぜなら、窓は割られていたわけではなく、鍵近くの部分だけが円形に切り取られていた。自然にそんな割れ方はしない。どう見ても空き巣の仕業だ。
僕は仕方なく、切り取られたことが分からないように、窓をさらに少しだけ割った。出来るだけ、怪我をしないように出来るだけ音が鳴らないように。
両親には転んで割ってしまったと言った。しこたま怒られたが、体調が悪いせいで転んだと言ったら、何とか許してくれた(代わりに、小遣いは暫くの間なしとなった)。
母は僕を心配して「病院に行く?」と何度も聞いてきた。大丈夫だと断ったけど、母をまた、心配させてしまったことはとても心苦しかった。
「どうして、私が割ったと言わなかったのですか?」
「だって、言ったら波布さん逮捕されちゃうから……」
人の家の中に窓に穴を開けて侵入しただなんて、犯罪以外の何物でもない。逮捕されるに決まっている。
「私のために……!」
感激したように目を潤ませた波布さんは、僕に抱き付こうした。僕は波布さんの肩を掴んで止める。やると思った。
実は、言わなかったのは波布さんのためだけではない。
もし、警察に波布さんのことを言った場合どうなるか?僕は、波布さんが警察に危害を加えるかもしれないと思ったのだ。
普通なら、女子高生が鍛え上げられた警察官に勝てるはずはない。だが、波布さんは普通ではない。あの蛇を使い、警察官を傷付ける可能性がある。
いや、傷付けるだけでなく、最悪命まで奪ってしまうかもしれない。
警察官が特殊な力を持つものに殺される。
映画や漫画でよくあるシーンだ。波布さん腕から飛び出た蛇が警察官を絞め殺す場面を僕は容易にイメージすることが出来た。そんな事態を避けるため、窓のことを内緒にしたのだ。
僕は、波布さんを完全に信用することはできない。
そんなことを考えていた僕は一瞬、上の空になってしまった。そのせいで、いつの間にか波布さんが、彼女の肩を掴んでいた僕の手を強く握っていることに気付かなかった。
「えい」
波布さんは、グイッと僕の手を動かした。
僕の手は、波布さんの肩から胸へと強引に移動させられた。波布さんはそれだけに留まらず、僕の手を動かし始めた。
僕の手の中で、波布さんの胸が形を変える。告白された時も、僕は彼女に強引に胸を触らされた。今度は両手で、しかも手を動かされている。波布さんの胸の柔らかさが、両手から全身に伝わる。
「ちょっ……ちょっと!や、やめ……やめてってば!」
僕は力を込めて波布さんの手を振り払った。
「やめてよ!!」
僕の怒鳴り声を聞いても、いつものごとく波布さんは表情を変えない。
「……すみません、雨牛君の優しさが嬉しすぎてつい……」
「それは、もういいよ!」
はぁ、はぁと僕の息遣いは荒くなる。それは、怒鳴った時の興奮か、それとも波布さんの大きな胸を両手で触ったことによる興奮かは、自分では分からなかった。
「では、シロちゃんのことについて説明しますね。あれは二年前……」
「ちょっ、ちょっと待って!」
「どうしました?」
「……その『シロちゃん』って?」
「私から出る蛇の名前です」
「なんで、いきなり話し始めるの!?」
「雨牛君が早く話して欲しそうだったので……」
「そうだけど!」
こちらにも心の準備と言うものがある。前置き位は欲しい。
蛇は基本単独行動だ。時に大勢で集まることもあるが、そこに狼の様な群れの秩序はない。本当に、ただ集まるだけだ。
蛇は何時だって自由だ。蛇がこちら側に合わせることはない。だから、こちらが蛇に合わせないといけない。
「……分かった。続けて」
「はい、では……」
マイペース過ぎる波布さんにペースを狂わされ、少し疲れたかが、やっと波布さんの口からあの白い大蛇について聞くことが出来る。僕は波布さんの話を聞き漏らさないように、耳に全神経を集中させた。
「二年前、私は家族で旅行に出かけていました。その途中で事故に遭ったのです」
「え、大丈夫だったの?」
「はい、心配してくださりありがとうございます。お礼に甘いキスを……」
「いいから!先を続けて!」
「……分かりました」
波布さんは残念そうに話を続ける。
「私達家族が乗っていた車は、対向車線を逆走してきた車と正面衝突しました。相手の車の主は会社をリストラされて自暴自棄になっており、自殺するために車を逆走させたようです」
「……なんて身勝手な」
相手ドライバーの身勝手な行動に腹が立ち思わず声が出てしまった。波布さんは優しく微笑む。
「怒ってくださり、ありがとうございます。お礼に熱い抱擁を……」
「……」
僕はじっと波布さんを睨む。波布さんは残念そうに再び話し始めた。
「幸い、私たち家族は全員一命を取り留めました。ちなみに相手のドライバーも無事だったそうです。今、留置所ですが……」
「そう……良かった」
「はい、良かったです」
波布さんはニコリと優しく微笑んだ。その表情に少しだけドキッとする。危ない、危ない。
そんな僕の様子に気付いたのか、気付いてないのか、波布さんは話を続ける。
「両親は、かすり傷で済みましたが、私は大怪我を負ってしまい数日間意識不明でした」
「そうだったんだ……」
「はい」
「そ、それで?」
「数日後、私は目を覚ましました。そしたら……」
「そしたら?」
「変な生物が見える様になっていました」
「変な生物って?」
「巨大なネズミや小さなゾウ。毛むくじゃらのボールの様な小動物、金色に輝くカラス、笑いながら跳ねるミミズ、ぶつぶつ文句を言いながら鳴く三つ首の犬とかですね……それが、当たり前のように私の周りにいました」
「それは……やっぱり、幻覚とかじゃなくて……」
「はい、おそらく」
波布さんは医者に変な生物が見えることを言ったらしい。波布さんは直ぐに脳を検査されたがどこも異常はなく、事故による精神的ショックと診断されたとのことだ。
「退院してからも、それらの生物は見え続けました。町中の至る所に変な生物が見えるのです」
「それは……」
さぞかし辛かっただろうと思う。僕は生物が好きだが、急にそんな訳のわからない生物が見えてしまったら、おかしくなってしまうかもしれない。
もしかして、波布さんがこんななのは、そのせいかも……。
「まぁ、それはどうでもよかったのですが……」
「えっ?」
「え?」
「何とも思わなったの?そんな変なのが見えて……」
「まぁ、そうですね。滅多に襲われることもないので特には……」
「……そう」
どうやら波布さんがこんななのは、生まれつきらしい。
「ところで、その蛇……『シロちゃん?』だっけ?はどうして?」
「気付いたら、出る様になっていました」
「気付いたら?」
「はい」
「もう少し詳しく話してもらってもいい?」
「はい。ある日、私は登校中に大きな馬を見ました」
「馬?」
「はい、上半身が人間でしたが」
「それってケンタウロス?」
「そうですね。ああでも、今思うとその馬の上半身は人間というより猿みたいな感じでした」
波布さんいわく、その馬の上半身の人間は毛むくじゃだったらしい。
「私はその馬とバッチリ目が合いました。普通なら奇妙な生物と目が合っても向こうが逃げていくか、無視されるかのどちらかが多いのですが、その馬は機嫌が悪かったのか、私と目が合うや否や襲い掛かってきました。私は逃げました。逃げて、逃げて、逃げて、逃げました。でも、とうとう追い詰められてしまいました」
僕は波布さんの話を食い入るように聞く。
「最早、これまで。そう思った時、私の腕から『シロちゃん』が出たのです」
「えっ」
驚く僕に、波布さんは「驚いた顔も可愛いです」と言った。
「『シロちゃん』は、その馬を締め上げると、頭から飲み込んでしまいました。『シロちゃん』は満足そうにゲップをすると私の腕に戻りました」
「そ、それでどうなったの?」
「それから何度か奇妙な生物に襲われることがあったのですが、その度に『シロちゃん』が食べてくれるのです」
「それで、それで?」
幼い子供が母親に絵本の先を促す様な口調となっていまったが、そんなこと気にしなかった。早く続きが聞きたくてしかたがない。
波布さんはゆっくりと口を開く。そして、驚くべきことを言った。
「以上です」
「えっ?終わり?」
「はい」
波布さんはコクンと頷いた。
「つまり、波布さんは『シロちゃん』の正体も、なんで自分の腕から出てくるのかも分からない……と?」
「はい」
「……そうかぁ」
僕は、盛大に溜息を付いた。
「てっきり、全部知っているものとばかり……」
「すみません」
波布さんは深々と謝る。でも波布さん『私の知っていることを全て話します』と言っただけで、全部知っているとは言っていない。波布さんは全く悪くない。
「でも、なんで波布さんの腕に」
「さぁ、何故なんでしょう?」
「話したりは……出来なさそうだね」
「はい、『シロちゃん』は言葉を話しません。餌を食べる時以外にも時々腕から出てくることはありますが、周りの様子を伺うと直ぐに腕の中に引っ込んでしまいます」
「そう」
僕は顎に手を当てて考える。話を聞く限り、習性などは本物の蛇に近い気もするが、まだ分からない。何しろ『人間の腕に住む蛇』など現実にはいないのだから。
それに、波府さんを襲ってくる奇妙な生物を食べるのも、波府さんを守っているのか、食事のためなのかも分からない。
僕は「う~ん」と考える。
チュッ。
突然、頬に生暖かいものが当たった。何事かと視線を動かすと、波布さんの唇が僕の頬に当たっていた。
「ちょおおお!」
「すみません。考え込む姿がセクシー過ぎて、つい……」
「抱き付かないで!離して!」
「話も終わりましたことですし、さっきの続きを……」
「しないって言ったでしょ!」
「まぁ、照れ屋さんなんですから」
「ちょっ!やめ、やめて!」
迫る波布さんと、それを拒絶する僕。でも、僕は少しだけ安堵をしていた。
詳しいことは分からなかったが、波布さんの話が本当なら、あの蛇は波布さんの言うことを聞くわけではない。
波布さんが、白い蛇……『シロちゃん』に命じて人を襲わせるということも出来ないということだ。そのことに僕は安堵を覚えていた。
波布さんの話が本当なら……だが。
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