第4話 相談

 僕は、生物部に所属している。

 元々、生物が好きだったこともあり、入部してみた。部員は僅か二人しかおらず、廃部寸前だが、毎日楽しくやっている・



「はあ……」

 僕が深い溜息を吐く。すると、一人の女性が近づいて来た。

「どうした少年?まるで、年頃の娘との接し方で悩む父親のような溜息をして」

「いや、確かに溜息は付いていましたけど……その例えは違うと思います」

「そうかい?君の溜息が私の父にそっくりだったのでな」

 くっくっく、と、その人は笑う。

 

 彼女の名前は、鰐淵美味。

 生物部の部長(部員が二人しかいないので当然と言えば、当然だが)だ。鰐淵先輩は僕より一つだけ上だが、大人っぽく、どこかつかみどころがない。

 

「自分のことで悩んでいることを知っているのなら、もっとお父さんを大切にしてください」

「しているさ。だが、残念なことに大切にしているからといって、相手が幸せ感じるとは限らない。愛は時に人を傷付けることがあるのだよ」

「時に……ではなくて、先輩のお父さんは毎日先輩のことで悩んでいるんじゃないですか?」

「はははははっ、その通りだ。では、訂正しよう。『愛は人を傷付ける』」

「断言しましたね」

「したとも、君のせいでね」

「僕のせいですか……」

「ああ、勿論君のせいだ」

「とても不条理に感じます」

「何を言う。この世界に存在して、世界に影響を与えない者など存在しないよ?小さな蝶々の羽ばたきだって、世界に影響を及ぼしている」

「『バタフライ効果』ですか」

「そう。この世界に影響を与えない者など存在しない。しかし、殆どの場合、一人の人間が世界に与える影響はとても小さい。極小だ。だから、多くの人間は自分がいてもいなくても同じだと考えている。だが、それは違う。例えば、ここにある人間いたとしよう。その人間が生きている未来と死んでいる未来。この二つは一見すると変わらないように見える。その人間が死んだことで悲しむ人間はいるかもしれないが、それだけだ。だが、その人間が死んだことにより世界に与えられる影響が極小ではあるが、変化する。その変化は微々たるものだが、時間が経てば経つほどその変化は大きくなる。何年、何十年、何百年、何千年、何万年……時間が経てば経つほどその変化は大きくなり、両者は全く違うものに……」

「あっ、もういいです」

「ちぇ、これからが面白くなるのに」

 鰐淵先輩は不満そうに唇を尖らせる。こうして、くだらない会話をしながら生き物の世話をするのが僕達の日課だ。


「で?少年、君は何を悩んでいるんだいだい?」

「その質問は、最初にするものではないのですか?」

「そうかもね。で、何があったんだい?いや、待て。当ててみよう」

先輩は腕を組んでう~んと唸る。その行動は、とても演出じみていた。


「分かった!!君は今、人間関係で悩んでいる」


「……先輩」

「どうだい?当たりだろ?」

「それ、『コールドリーディング』でしょ?」

「おや、知っていたのかい?つまらないな」

 先輩は、また唇を尖らせる。

 人間の悩みは突き詰めていけば、人間関係が原因となることが多い。友人関係や恋人関係は勿論のこと、仕事や金銭の悩みも突き詰めれば人間関係に行きつく。つまり、悩んでいる人間に『君は人間関係で悩んでいるね』と言えば大抵当たる。詐欺師などが良く使う手だ。

 先輩は、いきなり僕の頬っぺたを口が裂けるかと思う程強く引っ張った。

「いふぁい!ふぁにするんだふか!」

「ああ、ごめん。何となく抓りたくなった」

 先輩はさらに僕の頬っぺたを引っ張った後、パッと手を離した。

「君が生意気なのがいけないんだ。生意気な目、生意気な声、そして、生意気な性格。頬っぺたの一つでも抓りたくなるものだろう?」

 僕は頬を触る。ヒリヒリして痛い。きっと紅くなっていることだろう。

「で、少年君は何を悩んでいるんだい?」

 先輩はなおも、聞いて来る。

 僕は正直に言うかどうか迷った。本当のことを言った所で信じてもらえるか……いや、この人なら、あっさり信じてくれそうな気もする。もし、信じて貰えたのなら、鰐淵先輩は、きっと僕のために尽力してくれるだろうと思う。この人はそういう人だ。でも、それは鰐淵先輩に迷惑を掛けることに他ならない。

 かといって、話さなければ先輩はずっと、僕の悩みを聞いて来るだろう。僕を助けようとして。変わった所もあるが、この先輩はそういう優しい人なのだ。

 僕は、正直に話すべきかどうするか迷う。

「……えっと、先輩」

「うん」

「……実はですね」


「……へぇ、君、告白されたのか」

「……はい」

「でも、君はそれを断った」

「……はい」

「しかし、君に告白した女の子は諦めず、何度も君に告白してくると」

「……はい」

「つまり、君は何とか彼女に自分のことを諦めさせたい訳だね?」

「……まぁ、そういうことです」

「なるほど」


 迷った末に僕は、虚実織り交ぜて話すことにした。

 巨大なカナヘビや白い大蛇のことは話さず、ただ『何度も告白してくる女の子』に困っているということだけを話した。

 波布さんの名前は伏せたし、彼女からのどんなアプローチを受けているのかも言っていない。激しいキスをされ、さらには部屋に不法侵入して来て、襲われたなどと言えるわけがない。


「……君が告白を……ね」

 先輩は僕の顔をじっと見てくる。なんだろう。僕が告白を受けたことがそんなにおかしいのだろうか?先輩は、フッと笑う。

「話は分かった。私から君に言えることは一つだ」

「何ですか?」

 僕は期待した。直接聞いたことはないが、先輩が持つ大人っぽさはもしかしたら、多くの恋愛を重ねているせいなのかもしれないと考えたことがあるからだ。もしそうだとしたら、何か良いアドバイスをしてくれるかもしれない。

 だが、先輩は……。


「全く分からん」


 実に清々しい声で、僕の期待を裏切った。


「……分かりませんか」

「ああ、全く分からん」

「……何かアドバイス的なものも当然……」

「出来る訳がないな」

「……ですよね」

「すまんな、少年。私は恋愛というものをしたことがないのだよ」

 先輩は僕の予想とは真逆のことを言った。

「そうなんですか?少し、意外です」

 本当は、とても意外だった。

「ああ、恋をしたことはあるのだがね。諦めた」

「どうしてですか?先輩に告白されて断る男はいないと思いますが……」

 僕がそう言うと、先輩は少しだけ口の端を上げた。

「その人には好きな人がいたのだよ」

「あっ」

 僕は、自分の無責任な発言を後悔した。

「すみません」

「気にしなくていい。もう、忘れたことだから」

「……」

 先輩の声は、サバサバとしている。もう未練などないのだろう。

「と、言う訳で恋愛する暇もなく失恋した私は、男女交際というものを経験したことがないのだよ」

「分かりました」

 僕は出来るだけ明るく笑う。

「自分で何とかしてみます。話を聞いて下さり、ありがとうございます」

「いいさ、可愛い後輩の悩みを聞くのも先輩の仕事だ」

 そう言うと、先輩は顎に手を当て、何かを考えた出した。数秒程固まった後、先輩は口を開く。


「もし、君さえよければ、その女の子に会わせてくれないかい?」


「え?」

「君にもう付き纏わないよう、私から言ってあげようと思ってね」

 僕は慌てて、首を振る。

「い、いえ、いえ、それには及びません!」

「しかし……」

「いえ、本当に大丈夫ですから!」

 先輩は何かを言おうとしたが、その前に僕が言葉を出した。

「自分で何とかしてみます!」

「……そうかい?」

「はい!」

「分かった」

 先輩は柔らかく微笑む。

「まずは自分で頑張ってみたまえ、でも何かあったらすぐに言うんだよ?」

「はい!分かりました」

 


 部活が終わった後、僕は波布さんを呼び出した。

 場所はいつもの体育館裏と言いたい所だが、体育館では、まだバスケ部が練習しているため、見られてしまう可能性がある。だから、僕は別の場所で波布さんを呼び出すことにした。

 彼女を呼び出した場所は理科室だ。

 生物部は現在、理科室を部室として使わせてもらっている。二人しかいない部活に部室は用意できない。という訳だ。しかし、それでも理科室を貸してくれたのは、鰐淵先輩のおかげだ。成績は全国でも上位に食い込み、授業態度もまじめな先輩は教師達からの信頼も厚い。

 全ては先輩の人徳のおかげだ。


 先輩は既に帰宅し、理科室には僕一人しかいない(生物部の顧問は滅多に顔を出さない)。部活動をしている生徒が多く残っている学校の中で、二人っきりで話すには此処しかないだろうと思う。


 先輩と話したおかげで、元気が出た。

 待っている間、僕は気合を入れる。よし、今度こそちゃんと波布さんから話を聞く。もう、彼女のペースに巻き込まれない!そう自分に言い聞かせた。

 僕は、心を決めて波布さんが来るのを待った。




「はぁ、はぁ」

「な、波布さん……やめて!」

 理科室に来るや否や波布さんは抱き付いてきた。吐息が顔に掛かり、くすぐったい。波布さんは僕の唇に自分の唇を重ねよとしてくる。

「やめて、やめてったら!」

 僕は顔をそむけ、波布さんの口づけを必死に躱す。すると、波布さんは僕の頬にキスをしてきた。頬に波布さんの唇が当たる度、チュッ、チュッと音がする。

 波布さんは、さらに強く僕に抱き付いて来た。波布さんの大きな胸がさらに潰れる。柔らかな感触が全身に伝わり、顔が紅くなる。

「な、波布さん、お願い!やめて!」

「はぁ、雨牛君……」

 波布さんは舌を出し、僕の頬をペロリと舐めた。体中がゾクリとする。


「綺麗な目、甘い声、柔らかな唇、温かい身体……そして、優しい心。こんな素敵な人に抱き付かずにいられますか?無理です。キスをしないでいられますか?無理です。ああ、雨牛君。好きです。好きです。好きです。大好きです。愛しています」


 波布さんは頬に舌を這わせる。波布さんの舌は僕の耳まで到達した。今度は耳を舐められる。

「……っ!!」

 頬にキスをされた時とは比べ物にならない程の快感が襲ってきた。あまりの感触に体中の力が抜ける。

「貴方が欲しい」

 波布さんは、さらに舌を這わせてくる。今度は僕の耳の穴の中に舌を入れようとした。

「……っ、駄目ええええええ!」

 僕は寸前の所で、波布さんを引き離した。


「なみ……はぁ……さん……あの……はぁ……約束……はぁ……したでしょ?」


 興奮が収まらず、息が荒くなる。細切れだったが、波布さんの耳には、はっきりと聞こえたようだ。

「そうでした」

 波布さんは、深々と頭を下げる。

「雨牛君を見た瞬間、嬉しくなってしまい、つい……本当に申し訳ありません」

 強く反省している様子の波布さんに僕は少し驚く。

「……いや、分かってくれたらいいよ」

 僕がそう言うと、波布さんはパッと顔を上げ、また抱き付いてきた。

「ちょっ……なんで、また抱き付くの!」

「雨牛君の優しさに感動してしまい。つい……」

「は、離れて!」

「五分だけ、あと五分だけ」

 五分だけと言っていたのに、波布さんが離れてくれたのは、それから十五分以上経ってからのことだった。


「続きは、また話の後で」

「しないからね!」

 

 僕は大声で叫んでしまった。結局、また波布さんのペースだった。



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