第3話 交換条件
「ふぁあ」
「よう、眠そうだな」
「おはよう、奏人」
登校の途中。大きな欠伸をする僕に奏人が声を掛けてきた。僕は虚ろな目で返事をする。
「昨日、ほとんど眠れなくて……」
「もしかして、例の手紙が原因か?」
奏人はニヤニヤしている。目潰ししてやりたい。
「当たりか。で、どうだったんだ?昨日、ちゃんと女子はいたか?」
「ああ、まぁ……」
「うお!マジか!」
「声が大きい!」
周りの様子をキョロキョロと伺う僕を見て、奏人は声を小さくする。
「で、何の用だったんだ?」
「うっ」
思わず声に詰まる。正直に言うべきか、嘘を付くべきか悩むが……。
「……告白された」
結局、正直に言うことにする。奏人は目を丸くして驚いた。
「おお!マジでか!」
「だから、声が大きいって!」
「で、どうしたんだOKしたのか?」
「断ったよ」
奏人はさらに目を丸くした。
「はぁ!?どうして?」
「どうしてって……」
「相当見た目が悪かったのか?」
「……綺麗な女の子だったよ。でも、断ったのは容姿のせいじゃない」
「じゃあ、なんで?」
またしても声に詰まる。正直に言うべきか、嘘を付くべきか悩むが……。
「……他に好きな子がいるんだ」
結局、正直に言うことにした。
「マジでか!」
奏人は先程よりもさらに大きな声で驚いた。
「誰だ?」
「言わない」
「教えてくれよ~」
「やだ」
「いいじゃんかよ~」
しつこく聞いて来る奏人をあしらっていると、後ろから声を掛けられた。
「おほよう、二人とも」
僕と奏人は同時に振り向く。僕の好きな人が満面の笑顔でそこにいた。
「おう、おはよう!リス」
「……おはよう」
明るく挨拶する奏人と違い、僕の挨拶は小さい。顔が赤くなるのを必死に抑えているためだ。
「あれ、アマ?どうしたの?」
栗鼠山はコクンと首を傾げる。そんな、仕草がとても可愛い。
「なんでもないよ」
「リス~聞いてくれよ!実は昨日、こいつ……」
「せいっ!」
僕は奏人のみぞおちに肘を入れた。奏人は短い悲鳴を上げ、体をくの字に折れ曲げる。
「オマエな~」
「勝手に言おうとするお前が悪い!」
「何、何?なんなの?」
栗鼠山が面白そうに聞いて来る。だから、その笑顔を止めて欲しい。可愛すぎる。
「秘密」
「ええいいじゃん!教えてよ!」
「いいじゃん、教えろよ!」
「ダメ」
栗鼠山と奏人の二人の追撃を躱しつつ、学校へと向かう。栗鼠山と奏人は楽しそうに笑っている。きっと僕も笑っているだろう。いつも通りの楽しい時間。
「おはようございます」
だけど、その声で僕の笑顔は一瞬にして凍りついた。ギギギとまるで錆た機械の様な動きで、僕は声の方に視線を向ける。
「雨牛君」
僕の怖い人が満面の笑顔でそこにいた。
「な……波布さ……ん」
「はい」
波布さんは嬉しそうに駆け寄ってくる。
「昨夜はどうも」
そして、いきなり爆弾を投下してきた。
「ちょっ……!」
思わず、奏人と栗鼠山に目を向ける。二人は、キョトンとした顔をしていた。
「えっと……波布さん?」
「えっ?波布さん?マジ?どうして?」
栗鼠山と奏人は軽く困惑していた。
学校でも有名な波布さんと僕が親しげに話していることに驚いているのだろう。当然だ。僕と波布さんには、これまで全く接点がなかったのだから。
波布さんはまるで、他の二人など目に入っていないかのように僕だけを見ている。
「今度は是非、お母様にご挨拶させてくださいね」
「「え?」」
栗鼠山と奏人の声が重なる。波布さんはそんな二人を見ようともしない。そして、とんでもないことを言おうとした。
「昨夜の続きは、今日にでも……」
「ああああああああああああああああああああ!」
僕は奇声を上げ、波布さんの手首を掴んだ。そして、ポカンとした表情で固まる奏人と栗鼠山を置いて走り出した。
体育館の裏に波布さんを連れてくると、彼女を壁に押し付けた。
「何、考えてるの!!」
大声で怒鳴る僕を波布さんはじっと見ている。波布さんは目を瞑ると、くっと顎を突き出してきた。
「何、考えてるの!!!」
僕はさらに大声で怒鳴る。波布さんは目を開け、首を傾げた。
「キスしたいのかな……と」
「違う!!」
僕は掌で額を抑え、「はぁ」と溜息を吐く。
「なんで、あんなこと言ったの!?」
「あんなこと?」
「さっき!二人の前で言ったでしょ!その……昨夜のこととか、この続きは……とか」
「はい、言いました。ですが……」
波布さんは、また首を傾げる。
「他に、誰かいましたか?」
「なっ!?」
僕は目を丸めた。「二人など目に入っていないかのよう」ではない。彼女は本当に僕以外、目に入っていなかったのだ。
「ああ、そう言えば、うっすらと声が聞こえたような……?」
「二人とも君に話し掛けていたよ!」
「そうなのですか?」
「うん」
「もしかして、一人は女の子ですか?」
「えっ?……うん……まぁ」
「なるほど……なるほど」
波布さんは少しの間、何かを考える。
「分かりました。これからは、貴方の周りの人にも気を付けてみます」
「……まぁ、そうしてね」
奏人も栗鼠山も明るい性格だが、無視されれば傷付くだろう。波布さんの様な有名人ならなおさらだ。逆に彼女の様な有名人と知り合いになれれば、とても喜ぶはずだ。
あれ、いつの間にか論点がズレている様な?僕は波布さんの発言に怒っていたはずなのに?
そこで、僕はようやく思い出した。
いや、本当は開口一番直ぐに聞かなくてはいけないことだったけれど、昨夜のこととか、今朝のこととか、衝撃的なことが起こり過ぎて、すっかり忘れていた。
「波布さん、聞きたいことがあるんだ」
「私のスリーサイズでしたら、上から8……」
「違う!!」
一人の女の子に対して、こんなに大声を出し続けたのは初めての経験だ。何度も深呼吸をして、息を整える。
遠まわしに聞くことかどうか迷ったが、はっきり聞くことにした。
「あの蛇は何?」
「……」
「……」
「真剣な顔も素敵です」
「波布さん!真面目に答えて!」
「私はいつでも真面目ですよ?」
僕は、またしても深い溜息をついた。このままだとまた、彼女のペースだ。冷静に、冷静に。
「もう一度聞くよ。あの蛇は何?」
「知りたいですか?」
「……うん」
「分かりました。私の知る範囲でよければ教えましょう」
「ありが……」
「ですが、ひとつ条件があります」
「……な、何?」
まさか、「教える代りに自分と付き合え」とでも言うつもりだろうか?波布さんは頬を少し紅くして、条件を提示した。
「キスしてください」
「……キ、キス?」
「はい」
「そ、それは何度もしたじゃないか」
「はい、ですが、それは全て私からしました。ですので、今度は雨牛君からしてください」
「あっ……あっ……えと」
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。「教える代りに自分と付き合え」と言われるのと同じぐらい。いや、もしかしたらそれ以上に不味い。
「ほ、他のことなら……」
「では、昨夜の続きを……」
「やっぱなし!」
こんな所で出来るはずがない。いや、こんな所でなくともするつもりはないけど。僕には好きな子がいるんだ。
かといって、あの出来事を見てしまった以上、放置しておくわけにはいかない。あの巨大な『カナヘビ』は勿論のこと、波布さんの白蛇についてもだ。
でないと、今後あの巨大な生物によって、僕の大切な人達が傷つくかもしれない。。
父に母、そして、奏人と栗鼠山、さらに部活の先輩の顔が脳裏に浮かぶ。
そうならないために、少しでも情報が欲しい。
「本当にキスしたら教えてくれるの?」
「はい」
「本当に?」
「はい、必ず約束は守ります」
「……」
このまま、キスをしないという手もある。でもそうしたら……。
「分かった」
迷った末、僕は波布さんにキスすることに決めた。
波布さんは目を閉じる。そして、僕がキスしやすいように顎を上に向けてきた。
「どうぞ」
「……よし」
僕は波布さんの両肩を掴む。
ドクン、ドクン、ドクン。
心臓が尋常ではない速度で鼓動する。このまま破裂するのではないだろうか?
手からは温泉のように汗が湧きだし、顔はマグマの様に赤く染まる。
「ふぅ、ふぅ」
息が荒くなる。まるで変質者だ。
「ふぅ……」
僕は波布さんにゆっくり顔を近づけた。十五センチ、十二センチ、十センチ……波布さんの顔がどんどん近づいて来る。
だが、僕は波布さんの口にキスするつもりはなかった。
波布さんは「キスをしてほしい」と言っただけだ。「口にキスをしろ」とは言っていない。僕は、波布さんの頬にキスをするつもりだった。頬なら口ほどに、やばくはないだろう。
軌道を口から、頬の方に修正し、僕は顔を近づける。頬まであと五センチの所まで来た。
波布さんが、突然目を開けた。
「やっぱり」
波布さんは僕の顔をガッチリ掴む。
「照れ屋さんなんですから」
「んぐっ!」
ぐいっと引き寄せられた。頬に向かっていた僕の口は、強引に軌道をずらされ、波布さんの口に重なった。
「んんっ」
「んぐうううううう!」
長いキスが始まった。
「んっ」
「んんんんん!」
「んっ」
「んぐううううう!」
「はぁ」
「ぷはっ」
ようやく解放される。同時にチャイムが鳴った。
「続きは、また放課後にしましょう」
「ちょっと!」
僕は波布さんを睨みつけた。このまま逃げる気か?しかし、彼女が怯むことはない。
「心配しなくても大丈夫ですよ。約束は守ります。ですから……」
波布さんはニコリと微笑む。
「連絡先を交換しましょう」
仕方なく僕は波布さんと連絡先を交換した。
(もしかして、最初からこれが狙いだったのだろうか?)
僕に声を掛けたタイミングも、はぐらかす様な会話も、そして、キスをし終えたタイミングも、連絡先を交換せざるを得ない状況を狙ったのだとしたら? いや幾らなんでも、そんなことできるはずがない。偶然だろう。……偶然だよな?
「早く行かないと遅刻になってしまいますよ?」
波布さんは、ボサッと立っていた僕に優しい声を掛ける。それはもう、嬉しそうな笑顔をしながら。
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