第2話 侵入

 カナヘビ。

 ヘビと名前が付いているけど、トカゲの仲間だ。体長は二十センチ程。日本全国で見ることが出来る身近なトカゲ。


 でも、僕らを見ているカナヘビの体長はどう見ても五メートル以上。体高は一メートル以上ある。世界最大のトカゲ。コモドオオトカゲよりも遥かに大きい。


「なん……だ?あれ?」

 僕は驚きのあまり、声にならない。波布さんの顔はカナヘビの方を向いているのでよく見えない。カナヘビはじっと僕らを見ている。


 すると、突然、カナヘビは口を大きく開け、こちらに向かって来た。

「……っ!危ない!」

 僕は咄嗟に波布さんの前に出た。カナヘビが迫る。僕は思わず目を閉じた。


「邪魔しないで下さい」


 耳元で、波布さんの少し怒ったような声がはっきりと聞こえた。


「……?」

 目を閉じて、十秒以上は経つ。だけど、いつまで経っても襲われることはなかった。疑問を覚えた僕はゆっくりと目を開ける。


 ギチ、ギチ、ギチ、ギチ。


 白い巨大な蛇がカナヘビを締め上げていた。


「全く。私と雨牛君のとの甘い時間を邪魔するなんて」

 波布さんの怒気をはらんだ声が耳に入る。僕はゆっくりと彼女に視線を移した。彼女は右腕をカナヘビに向けている。


 足から力が抜け、僕は尻餅をついた。


 カナヘビを締め上げている白い大蛇は……波布さんの腕から飛び出していた。


「ヒトの恋路を邪魔するトカゲは……」


 カナヘビを締め上げていた白い大蛇は口を大きく開ける。そして……。


「シロちゃんに喰われて死んでください」


 大蛇は、ガブリとカナヘビの頭に喰らい付いた。そして、凄まじい速さで頭から飲み込んでいく。


 一分もしない内に、白い大蛇はカナヘビを丸呑みにしてしまった。


「ご苦労様でした。シロちゃん」

 波布さんがそう言うと、白い大蛇は大きな欠伸をする。そして、まるで煙の様に消えてしまった。

「雨牛君。大丈夫ですか?」

 波布さんは、腰を抜かした僕に手を伸ばす。それに対して僕は……。


「うわあああああああああああああああ!」

 

 僕は、波布さんの手を払いのけると脱兎のごとく逃げ出した。後ろから波布さんに名前を呼ばれた気がしたが、無視して走り続けた。



「なんだあれ?なんだあれ?なんだあれ?なんだあれ?なんだあれ?」


 家に帰るや、僕は自分の部屋の中に飛び込み布団に包まった。

 母親が心配して様子を見に来たが、僕は「具合が悪い」と言った。とても信じてもらえると思わなかったからだ。夕食も断った。とても食べる気がしない。

 それから、暫くの間。僕は布団の中で震えていたが、精神的に疲れたのかやがて、深い眠りについた。


「……くん」

「……んん」

 どこからか声が聞こえる。

「……牛君」

 この声は……波布さんだ。困った。あまりの恐怖に幻聴までしてきたのか?

「雨牛君」

 波布さんの声が耳元で聞こえた。幻聴とは思えない程はっきりと。驚いた僕は目を開ける。

「雨牛君」


 目の前に波布さんの顔があった。


 彼女は僕に跨り、じっと顔を覗き込んでいる。

「……な!」

 思わず叫びそうになったが、驚きと恐怖で声が出ない。そんな、僕を見て波布さんは心配そうな顔をすると、そっと手を頬に添えてきた。

「大丈夫ですか?大分うなされていましたが……」

「……なっ、なっ、何してるんだ!」

 ようやく声を絞り出すことが出来た。蚊の羽音の様に小さな声だったが、波布さんにはきちんと届いたようだった。

「別れる時、顔色が悪かったので心配で来てしまいました」

「ど、どうして此処が?」

「臭いを辿ってきました」

「に、臭い?」

 なんだそれ?怖すぎる!

 僕は昼間の白い大蛇を思い出した。蛇はかなり嗅覚が発達している。蛇が舌をチョロチョロと出しているのは周囲に漂っている匂いの分子を集めているからだ。その鋭い嗅覚は『獲物の追跡』などに使われる。

「はい、そして窓から眺めていたら、雨牛君が苦しそうな顔をしたのが見えたので、もっと近くで顔を見ようと……」

「どっ、どうやって入ったの!?」

「窓から入りました」

 波布さんは首を動かし窓に視線を向ける。窓の鍵の近くに円形状の穴が開いていた。

「後で弁償します」

「べっ……弁償すればいいってもんじゃ……」

「雨牛君」

 波布さんは、ぐっと顔を近づけてきた。文字通り、目と鼻の先に波布さんの顔がある。

「大丈夫ですか?」

 波布さんの言葉に僕は一瞬恐怖を忘れた。その声には、確かに僕を労わる気持ちがこもっていたからだ。

「……大丈夫……だよ」

 僕は自然とそう答えていた。波布さんはフッと柔らかく微笑む。

「良かった」


「んぐっ!?」


 波布さんは、僕に覆いかぶさるように口づけをしてきた。両腕の手首をしっかりと握られ、引き剥がすことが出来ない。

「んっ、んっ」

「……っ!」

 波布さんの舌がヌルリとまるで蛇のように口の中に侵入してきた。息ができない苦しさと快感が僕を襲う。

「……はぁ」

 長いキスの後、波布さんはそっと唇を離した。

 波布さんの顔はほんのりと紅くなっている。すると、波布さんはおもむろに服のボタンを外し始めた。開いた胸元から大きな胸と黒い下着が見える。

「なっ、何してるの!?」

 波布さんがまた、顔を近づけてくる。今度は口ではなく、耳元に口を寄せてきた。

「すみません。雨牛君の顔を見ていたらなんだか興奮してしまって……」

 甘い声と吐息が耳に掛かる。僕の顔は一気に赤くなった。

「だ……駄目!」

「チュッ」

 波布さんの唇が僕の首に触れた。何度も何度も波布さんは首筋にキスをしてくる。波布さんの唇が首に触れる度、ゾクゾクした感覚が全身に走る。

「な、波布さん!や……やめて!」

「ごめんなさい。無理です」

 波布さんは僕の首筋から顔を離す。そして、またゆっくりと僕の唇に自分の唇を重ねようとした。


「梅雨……大丈夫?」


 ドアの向こうから母の声がした。おそらく、寝込んだ僕を心配して、また来てくれたんだろう。だが、タイミングが最悪だ。

 僕の上には女の子が跨っている。その女の子の胸元ははだけ、黒い下着が見えている。どう見てみもアウトだ。言い訳のしようがない。


 でも、それ以上に波布さんと母を合わせる訳にはいかない。彼女は得体のしれない化物を操る上に、何を考えているか分からない。母の身に危険が及ぶ可能性がある。


「雨牛君のお母様ですね。是非、ご挨拶を……」

 波布さんは僕の上から降り、ドアの方へ行こうとする。僕は咄嗟にその腕を掴んだ。

「だ、駄目!」

「ですが、せっかくなので……」

「ダメ!」

「梅雨?大丈夫なの?」

 母が、なおも心配そうに声を掛けてくる。幸い、波布さんと僕の会話は聞こえていない様子だ。でも、安心は出来ない。

 僕の部屋には鍵はない。母は部屋に入って来る前、必ずノックをするか、声を掛けてくる。いきなり部屋に入って来ることはない。でも、これ以上心配を掛けると、部屋に入って来るかもしれない。


「だ、大丈夫だよ」

 僕は出来るだけ明るい声で母に答える。

「本当?」

「う、うん。だ……大丈夫」

「なんだか、辛そうだけど……」

「だ、大丈夫だって!」

 叫ぶような大声で怒鳴ってしまった。母は僕の大声に驚く。

「そ、そう。ならいいけど……無理はしないでね。辛くなったら直ぐに言うのよ?」

「わ、分かった」

 母が部屋から離れる足音が聞こえる。ほっとしたのと同時に罪悪感が生まれた。母には後で謝っておこう。


「残念ですね。せっかくお母様とお話しできると思ったのに……」


「波布さん」

「はい?」

「お願いがあるんだ」

「雨牛君が私に?なんでしょう?」

 波布さんは、少し嬉しそうに笑う。そんな笑顔の彼女に僕は、はっきりと言った。


「帰って!」




「……分かりました」

「えっ?」

 波布さんは、あっさりと答えた。てっきり、「嫌です」と言われるとばかり思っていた僕の方が少し驚いてしまった。

 波布さんは窓を開けると、そのまま外に出る。

「では、お大事に」

 波布さんは、満面の笑顔を僕に向けた。


「また、来ます」


 不吉なことを言い残し、波布さんは夜の闇に消えた。


「はぁああああ」

 僕はベッドに横になる。僕の家は一軒家で、僕の部屋に二階にある。彼女がどうやってここまで上って来たのは疑問に思ったが、正直彼女が去ってくれた安堵の方が大きい。


「そういえ、一番肝心なことを聞くのを忘れていたな」

 あの巨大なカナヘビは何なのか?そして、波布さんの体から出た蛇は一体何なのか?

 一度見てしまったからには、聞かない訳にはいかないだろう。物凄く怖いが、明日学校で聞いてみるしかない。


 僕は目を閉じる。でも、穴が開いた窓から流れてくる風と、恐怖。そして、波布さんの開いた胸元と唇の感触を思い出し、その日は眠ることが出来なかった。

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