3雨男とアメフラシ 『ニヒリズム』『ジュブナイル』『メッチェン』【後編】

 このまま水面にダイブだと思った。


 が、衝撃が無い。


 そっと目を開けるとそこには巨大な鮫も渦巻く黒雲も無く、風はおさまってた。黒い雲間から光の筋が何本も射してる。


 綺麗だなぁ。


 そっかぁ、僕あの高さから落ちて死んじゃったのかぁ。


 だって目の前には天女様がいて、僕に微笑みかけてくれてるんだもん。やっぱ日本人だと天使じゃなくて天女がお迎えにくるんだなぁ。


の見るところ、いまし九祈くきのものか?」

 天女様が直接僕の頭ん中に話しかけてきた。


「?はい、僕、九祈晴音っていいます」

「やはり。九祈家の者には世話になった。特に千晴には。今日のところは汝の血に免じて不問にいたすが、二度とこのような不快極まる無礼無きよう、しかと肝に銘じよ」

 天女様はそう言うと、スッと消えてしまった。


 代わりに僕の手を取ったのは、ミュウミュウだった。そっと両手で僕の顔を包みこむ。

「アメフラシ……お前も死んじゃったのか」


「何アホな事言っとるんじゃ。とりあえず豊玉毘売命が千晴の事を覚えていてくれて良かった」

 浮いていた僕はいつの間にか元居た秘密の入り江に戻っていた。

「千晴って、お前を逃がしてしまったどうしようもないご先祖様の……」

「どう伝わっとるのか知らんが、まぁ千晴の過去の行いのおかげで、海神は今回の事をチャラにすると言ってるんじゃ。それこそ肝に銘じておけ」


 そうかぁ、神様に貸しがあるなんて凄いなぁ。それにしても鼓膜が破れているのか聞こえが悪い。周りを見渡すと台風の後のように木の枝や葉っぱが散乱してる。その倒木に交じって蒼太朗の姿が見えた。


「蒼太朗!」


 蒼太朗の姿を目にした瞬間、僕は現実に引き戻された。

 しっかりと足が砂浜に着くのと同時に重力も戻る。こけそうになりながら駆け寄り、口に手をかざした。よかった、息してる。


「礼はいらんぞ、それより例のものをいただこうか」

「礼? 例のもの?」

「儂がおらんかったらお前たちは海の泡じゃ。感謝しろ」

 確かに、何をどうしていいのか分からなかったのは認めよう。ただし体張ったのは全部僕だけど。


「何か納得いかない」

「これだから人間は。落っこちるお前を助け、先ほどは貴重な血で鼓膜の応急処置までしてやったのだぞ」

「応急処置って――」


 そういえばまだモヤモヤしてるものの、声は先ほどよりクリアに聞こえるし、痛みもずいぶん楽かも。ミュウミュウは指先を僕の擦りむいた頬っぺたに当てると、軽く撫でた。指先には紫色の液体が付いてる。


「うわっ。お前何す」

「痛みはどうじゃ」

「え?」

「頬のすれた痛みはあるかと聞いておる」

 ほっぺたに手を当てると、鮫肌ですりむいた傷は無く、痛みも引いていた。


「ない。全く……痛くない。いったい……」

「儂の血液や涙はお前たち人間にとって薬になる。ちなみに今のは煙幕などに用いるやつで、同じ色をしておるが儂の貴重な血ではない。じゃが軽い傷ならたちどころに治す。祈祷の傍らお前の先祖は儂から薬を作り薬問屋を営んで財をなした。まぁ晴壱がそれを古本屋に変えてしまったがな」

「本当に昔はお金持ちだったんだ……」

「で、その見返りに儂はお前たちから『気』をもらうというわけじゃ。これは契約であり、権利じゃ。随分気をつこうたから、たっぷりいただくぞ」


 そう言うとアメフラシは両手で僕の頭をらえると、長い睫毛が見えるほど顔を近づけ息を吸った。胸キュンな展開のはずなのに、天地が逆転するほどの眩暈に襲われ、僕はそのまま気を失った。






 夢の中で浅瀬にたたずむアメフラシを見た。彼女は手からポトポトと小さな黒い塊を落としてる。嬉しそうに、早く大きくなれよ、なんて語りかけながら。






 遠くで救急車の音が聞こえ、僕は目を覚ました。どうやら病院のベッドの中らしかった。

 何かこれデジャヴを感じるんだけど。今までのは夢だったの?それとも現実?


 隣に目をやると、蒼太朗が腕にギブスをしたままスース―寝息を立ててる。向かいには金髪と茶髪と派手な服が見えるから、彼らも無事だったみたい。そうかぁ、現実かぁ。





 幸い2人共一日で退院できた。何故か親にはこっぴどく怒られたけど――僕の所為じゃないのに――兎に角無事に返してもらったこと、後でお参りしとかなきゃな、だってさ。


 見舞いに来てくれた石英と柚月さんに聞いた話だと、二人が交番にたどり着いた途端に暴風で一歩も外に出られず、神社の方角には大竜巻が発生。急に晴れたので急いで戻ると、僕と蒼太朗がミュウミュウに支えられて散歩道を歩いていたらしい。僕はどっちかというと引きずられてたらしいけど。一緒に駆け付けた警官が救急車を呼んでくれて、目が覚めたときはみんな病院のベッドの中だった。







 


 とんだ夏休みを過ごし、無事新学期を迎えることができた。耳も治り、あの日のことがきっかけで柚月さんとは学校で挨拶を交わす仲になったけど、まだちょっとぎこちない。


 あいつはといえば、あれ以来全く見かけ無くなった。父さん曰く、十分な「気」が手に入って子供も産めただろうから、今年はもう姿を現さないんじゃないかな、とのことだった。







 全くもって非日常的な体験ばっかりで、この退屈極まりない日常が愛おしくさえ感じる今日この頃。いつもの退屈な店番中、ふと、何だかうるさい奴が急にいなくなるのはちょっと寂しいかも、とか感じたりして。


 まだ暑さが残る夏休み明け、僕はいつも通り扇風機の前で猫のヘイスティングスと一緒に退屈な日々にまったりと幸せを感じてる。



 このまったりした日常しあわせがドタバタになるのは、また別の――。

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