3雨男とアメフラシ 『ニヒリズム』『ジュブナイル』『メッチェン』【前編】



【アメフラシ】(雨降らし、雨虎、雨降)は、腹足網後鰓類の無楯類(Anapsidea, Aplysiomorpha)に属する軟体動物の総称。(中略)アメフラシの名前の由来は、アメフラシが海水中で紫色の液をだすとそれが雨雲がたちこめたように広がるからと言われる。また、雨の時に岩場に集まるからという説もある。これは、産卵のために磯に現れる時期が梅雨と重なるためではないかと考えられている。アメフラシの英名sea hareは「海のウサギ」という意味で頭部の二本の突起をウサギの耳に見立てたもので、中国名も海兎という。(中略)草食で、皮膚には食餌由来の毒素がある。(中略)雌雄同体で頭の方に雄の生殖器官を、背中に雌の生殖器官を持つ。(中略)紫色の液体には制癌作用があるとして研究の対象になっている。


(「ウィキペディア」より)





「……貝原益軒かいばらえきけんの「大和本草やまとほんぞう」には」

下痢げりに効くってか。へー」

「うわっ!」


 店番のかたわら、ネットでアメフラシを検索中に突然横から細身の能面男が現れて、僕は派手に椅子ごとこけてしまった。

「それ海辺にいるアメフラシ情報だろが。儂の事を調べてるのなら当てはまらんぞ。まぁ当たらずとも遠からずな所はあるが……雌雄同体っちゃ同体だわな。十分な「気」さえあれば、儂の場合は相手がいなくても子は産めるぞ」

「!!!???!!!」


 僕の中で、この間のゴタゴタは夢だったという事で落ち着いていた。でもあまりにも印象深い夢だったんで、ずっと気にはなってたんだ。しかも先日から夏休みだっていうのに、僕が外に出れば必ず雨が降る。何だか自然とあの夢と関連付けてしまっていた矢先、もう頭ん中はパニックだ。


「お……お前っ何でっ」

「何でって……」

 とぼけた顔の男はカンカン帽をかぶり、ビンテージもののアロハシャツにバミューダパンツ、素足にサンダルという、いかにも夏な恰好。なぜか手には海藻がたっぷり入ったサラダボウルを抱えてる。見た目は三十代ぐらいの人間だが、こいつは封印されてたはずの憑き物、


 雨降アメフラシだ。


「そんな他人行儀な言い方はないだろ婿殿」

「お前に婿殿なんて呼ばれる筋合いはないっ!だいたい何でオッサンに――」

「だったらこっちならいいのか?」


 そう言うとアメフラシは一瞬で蔵で見た女の子へと変わった。幅広の白い帽子にロングの黒髪、白のワンピースに足元は白のサンダル。不覚にもその清楚な出で立ちに見とれてしまった。


 でも不自然にもまだ手にはサラダボウルを抱えてる。


 そこで我に返れた。危ない危ない。


 じわじわとドアの方へ体をずらしたけど、ドアの前にはすでにアメフラシが立っていた。モシャモシャと海藻サラダを口に頬張りながら、気安く話しかけてくる。

「ところで餓鬼、今はお前ぐらいの歳なら『夏休み』というやつで、外で遊びまくってる時期だろ?遊ばぬのか?」

「遊ばないよ」

「何で」

「遊べないからだよ」

「だから何で」

「な……夏休み中は時々店番するって決まってるんだよ。それに僕が行くと雨になっちゃうし。ってか、お前には関係ないだろっ」


 あまりにも親し気に話かけてくるので、思わず返事をしてしまう。そう言いながらも、どうにかして逃げられないかとキョロキョロと目で辺りを探したけれど、逃げ場がない。これは夢だ、まだ夢なんだと呪文のように繰り返した。しかも今日に限って僕のボディーガードである猫のヘイスティングスがいない。


「あの凶暴な猫なら、呼んでも来ぬぞ餓鬼。今頃は……」

 ククッと悪い笑い顔を見せるアメフラシとは逆に僕は一気に不安になった。

 まさかっ!ヘイスティングスッ!

「儂がいた缶詰の魚でも食っとるわ」


 ヘイスティングス……。


 お前、以前もその手に引っかかってたよな。僕のボディーガードは当てにできないことが分かったので、カウンターの下にあるお札を手探りで探し始めた。しかし、隠密に動いてた手は、長く細いがゴツゴツした手で遮られてしまった。


 アメフラシは男に戻ってる。

「ほぅ、家の手伝いとは今時の餓鬼にしては殊勝なことだ」

 ここでビビっちゃ付け込まれる。僕は勇気をかき集めて、怒鳴った。

「さっさっきからガキガキ、僕は餓鬼じゃない。晴音はるとって立派な名前がある」

「いっちょ前に。儂とて名ぐらいあるぞ。千晴ちはるが付けてくれた。雨に虎と書いて、『雨虎あまとら』だ。これはアメフラシとも読むと言ってたぞ」


 そう言うとアメフラシの雨虎あまとらはさも嬉しそうにニンマリと笑った。ちょっと意外だった。あまりにも屈託のない笑顔だったので少し気が抜ける。ちなみに千晴とはひいじいちゃんの日記に出てきたコイツを逃がした張本人の名前だ。


「何やってるんだ? ハル?」

「うわっ!」

 いきなり後ろから声をかけられて今日二度目の心臓が口から飛び出しそうになった。


 カウンター越しに、幼馴染の蒼太朗そうたろうが不思議そうな顔をして突っ立ってる。同じ高校の同じクラス。本当は今日は幼馴染男子三人で海に行く約束だったんだ。夕方には花火も予定してた。でも雨男の僕が一緒に行くと、台無しになってしまう。なので、今日は店番だと言って断ったんだが。


蒼太そうたこそどうしたんだよ」

 僕は雨虎をチラチラ横眼で見ながら平静を装った。相変わらず僕の横で海藻サラダをモシャモシャ食べてる。

「うん、いつものメンバーでお前だけ来ないのもなぁって。だからダメ元でおじさんに掛け合ってみようと思って。少しぐらい早く代わってもらえそうかなぁって」

 持つべきものは親友と感謝しつつ、こっちにも色々話せない事情があるんだ友よ。それにしても、蒼太朗は僕の横にいるこの海藻食ってるおかしな男を全く気にしていないんだけど、ひょっとして見えて無い?


「蒼太、あのさ……」

「どこへ行くのだ?ソウタ?」

 僕のセリフとかぶりぎみに横から雨虎が割り込んできた。しかも女の子の方になってる。


「わっ! えっ???」

 蒼太朗は今初めて見えたかのような驚き方だ。

「あ、初めましてぇ。晴音君の親戚の海兎みうです。ミュウミュウって呼んでね」

 は?


「で、どこへ行くのだ?」

「あ、は初めまして。えっと、今日は海に行く約束してて。でもこいつ店番があるからって。せめて夕方からの花火だけでも一緒にできないかなって」

 蒼太朗はドギマギしながらも律義に説明してくれる。ものこと雨虎改めミュウミュウはとびきりのスマイルでそれに返していた。そして今思い出したかのようにパチンと口元で可愛らしく手を合わせると、僕に向き直りその笑顔のまま言い放った。


「そうそう、おじさんからの伝言で、今日の店番は花火に間に合うまででいいよって。そうよねぇ、夏休みなんだからね~。いいな~花火~」

「本当に? 良かった!んじゃハル、十八時に綿津見わたつみ神社の例の場所に集合な。海兎ちゃんも良かったら一緒においでよ」

「あ、いや、蒼太……」

「えー、いいんですかぁ~?」

「大丈夫、一人増えたところで問題ないから。ハル、それじゃまた後でな!」

 そう言うと蒼太朗は店の前に置いてあったチャリに颯爽と乗って行ってしまった。隣では物の怪がニコニコしながら手をふっている。


「どういうつもりだよ、アメフラシっ」

「ミュウミュウと呼べ」

「誰が呼ぶかっ!」

「これだから餓鬼はっ」

「は・る・とっ」

「ガーキ。せっかくパンピーでも見えるように実体化してやったのだから、感謝しろ。これで花火を見に行けるじゃろ」


 パンピーて……やはり普段は見えないらしい。僕は儀式をしたから普段からでも見えるのかな?でも感謝はしないぞ。そもそも行けないように努力してたのに。


 不機嫌を顔に出しながらアメフラシをにらんだけれど、「ちなみに『海兎』は千晴が女用に付けてくれた名じゃ」なんて今度は可愛い笑顔で言うもんだから、怒りもどっかに行ってしまった。ずるいよ、外見が女の子は。

 






 まだ明るいけれど、時刻はもうすぐ十八時。蒼太朗はああ言ったものの、できれば行きたくない。もしアレが蒼太朗たちに何か悪い事をしでかしたらと思うと。でもその物の怪は連れて行けとさっきから駄々をこねてる。もう、超憂鬱なんだけど。


 「まーだ行かんのか?」

 雨虎はさっきから同じセリフをしつこく言い続けてる。外見はオッサンだが、中身は小学生のような奴だ。最初は魂をわれてしまうと恐怖でいっぱいだったけど、どうもあまり害があるように見えない。憑き物といっても悪い類のものじゃないのかもしれない。距離を置きつつ僕は無視を決め込んで、漫画を読み続けた。


「はーなーびーーーっ!」

「もう!しつこいよっ!」


 とうとう本と僕の間に割って入ってきたので、思わず怒鳴ってしまった。その言葉が癇に障ったのか、雨虎は急に声に凄みを効かせ、

「そうか、行かんのならこの場でお前を喰ってもいいってことだな!」

 と、みるみる目の前で黒目一色のエイリアン顔になり、体からは紫のどす黒い煤のようなものを漂い出し始めた。

「まっ待ってっ。ちょっと待って、落ち着こう、分った、行くから、うん、行こう、今すぐ行こう」


 慌ててそう言うと、何事もなかったかのように雨虎はすぐに元の顔に戻った。フンっと鼻を鳴らし、「早くしろ」とスタスタと表へ出て行ってしまった。

 前言撤回。一瞬でもコイツのことを害のない生き物だと思った僕がバカだった。

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