第23話 協定
ダイはよく泣く子だった。
哀しいお話を読んだり、アニメの最終回だったり。
そんな単純な理由で泣いては、目や鼻を真っ赤にさせていた。
「また泣いたの?」
「だって、お姫様が死んじゃうんだよ…」
そう言いながら、また泣きそうになって。
そんなダイの頭を撫でて、落ち着かせるのが私の役目だった。
「きっと、お姫様は天国で王子様に会えるよ」
なんて、適当なことを言って。
それでもダイは、その言葉に素直にうなずいて笑顔を見せてくれるのだ。
「そうだね。きっと会えるね」
ニコッと笑ったダイを見て、私も心からほっとする。
泣いているダイを見るのは、ひどく心の痛むことだったから。
それでも、ダイは決して自分の事では泣かなかった。
お母さんの入院が長引いて寂しくても、おっとりしているのをいいことに標的とされていじめられても。
「お母さんにはきっともうすぐ会えるから」
「たぶん、僕の事なんてすぐ飽きるよ」
そう言って、寂しがったり腹を立てたりしている私を逆に慰めるのだ。
だからこそ、私はダイの泣ける場所でありたかった。
誰にも気を遣わず、素の自分のまま泣ける場所。
そして、ダイも私に対してそうだったんだと思う。
だからこそ、壁越しに私を泣かせてくるのだ。
それこそ超能力のように。
今も、お互いその思いは変わらない。
私は、唯一ダイの泣く場所でありたい。
いくらボロボロになったって、その気持ちは消えないのだ。
そんなダイが、泣いている。
私のせいだ。
このひどい有様に心を痛めて。
私がこんなことになってしまったことに、ダイは自分を責めている。
「…ダイ、」
泣き腫らしたような顔をしているダイに、そっと手を伸ばす。
泣いてしまったダイを慰めなければ。
それが私のせいでも、ちゃんと頭を撫でてあげたい。
それに、私自身がダイに触れたいのだ。
まだあまり力が入らなくて、指が細かく震えてしまっているけれど、それでも求めずにはいられなかった。
あんな姿を見せてしまったあとだというのに、私の心は正直にダイを求めていた。
意識を飛ばす前には、ダイに見られたということに絶望感すら抱いていたというのに。
ダイが私だけに向ける、絶対的な優しさ。温もり。
それらを、カラカラに渇いた体が全身で求めているのだ。
菜々さんに全てを話してしまったため、気持ちが軽くなったということもあるのかもしれない。
失うものなんて、何もない。それに気づいてしまった。
だってもともと、極端に何もないのだ。私たちには。
私たちが怖れるほどに失いたくないもの、それはお互いしかない。
「ダイ…」
懇願するように名前を呼ぶ。
ただひたすら、あなたの温もりがほしいのだ、と。
「キョウちゃん…」
私の願いに共鳴するように、ダイが近づいてくる。
私の手を取るダイの、私より一回り大きな手が震えているのが分かる。
お互いの弱さを共有するように、手を握り合った。
そう、これが、私がなくしたくなかったモノ。あったかい、ダイの手の温もり。
弱くても何でも、そこにいてくれさえすればそれでいい。
「キョウちゃん、ごめんね」
ダイが泣きながら謝ってくる。
謝ってなんかほしくないんだ。ただ笑っていてほしい。
ダイには、何も知らない少年のまま、吞気に笑っていてほしかったんだ。
「謝らないで…泣かないで、ダイ」
私の声も、みっともなく震えている。
泣きたくなんかない。
ケラケラ笑って、なんてことないよって示してあげないといけないのに。
でも、どうしたって涙は止まらなくて。
哀しいわけでも嬉しいわけでも、どちらでもない。
ただ、安心したんだ。
ダイが無事だったこと、目の光を失っていなかったこと。
そして何より、あんなひどい状態の私を見ても、ダイが幻滅していなかったことに。
「僕のため、だったんだね。僕のいろんなものを守ろうとしてくれていたんだね」
ダイが繋いでいない方の手でゆっくり髪を撫でてくれる。
あーあ、頭を撫でる役は私の方だったのにな。
そんなことを思うけれど、撫でられるのがどうにも心地良くて、涙を止めようとする力すら抜けていく。
「僕のせいでこんなに痩せて。傷だらけになって…」
「…ダイのせいじゃ、ないよ」
自分を責めようとするダイを必死に止める。
違うんだ。
これは全て私のワガママだ。
「私が、ただ私がそうしたかったの。ダイを、この体で幸せにできるなら、そう思って…」
その意志しかなかったのだ。
何も持っていない私が、自分自身のすべてを賭けて守りたかったモノ。
「…ほんとに、キョウちゃんはバカだね…」
自分もぼろ泣きしているくせに、ダイは私の頬を流れる涙を拭う。
「僕一人で幸せになったって、意味ないんだよ…」
そう言って声を詰まらせる。
「僕の横には、キョウちゃんがいなきゃ。そうじゃないと、一人で立っていられないんだよ、僕たちは」
そうだね。
私たち、いつだってお互いの半分を探し求めて生きていたのに。
忘れたわけではなかった。
いつだって思っていた。
だからこそ、思いすぎてしまったんだ。
幸せにしたい、と。
自分自身のすべてを賭けて、幸せにしたいと。
「僕たちは、二人で一人なんだって、ずっと言ってるのに…」
言葉が続かなくなったダイは、私の胸に顔を埋めた。
今度はダイの頭を私が撫でる。
ほんとに、バカだ。
私たちは二人揃ってバカなんだ。
ぐす、と鼻をすする音が聞こえる。
いつまでも経っても、ダイは泣き虫だ。
まあ、今回だけは私のせいなので、冷やかしたりもできないけれど。
こんなどうしようもない私たちは、やっぱり二人で手を取り合うしかないのだろう。
そのことが、どうしようもなく嬉しい。
「ダイ、ありがと…」
転がり落ちた言葉はありきたりな言葉。
それでも、この言葉以外、伝えたい言葉はなかった。
助けてくれて、みっともない私を許してくれて、ありがと。
「…こちらこそ、ありがと」
くぐもった声が聞こえた。
コンコン。
軽快なノックの音とともに、ドアが開かれる。
一度床に置いていたのだろう、湯気の立つ鍋を持ちあげた菜々さんが、器用に足でドアを閉めながら声を掛けてきた。
「話はできたかい?このおバカさんたち」
菜々さんにかかれば、二人ともおバカさんになってしまうらしい。
そんな軽い言葉で私たちを括ってしまうのも、菜々さん流の優しさだろう。
「ほら、スープ作ったから食べな」
鍋の中には、菜々さん特製の野菜スープ。
賄いでいつも作ってくれるスープだから、味は保障済みだ。
「キョウちゃんは具ナシだからね」
「…分かってますって」
そんなことを言いながら、お皿に盛り付けていく。
いつの間にかバゲットも用意されていて、立派な食卓の出来上がりだ。
「ほら、佐倉君。しっかり食べて。あなたもいろいろ大変だったんでしょ」
そう言って菜々さんは、遠慮がちなダイにもやや強引に食事を勧める。
「あ、はい…ありがとう、ございます」
無理矢理席につかされ、オドオドしながらスープに口を付けたダイだったけれど、菜々さん特製スープに全て持って行かれたようだった。
「…おいしい。これ、本当においしいです」
どんどん箸を進めていくダイを見ていると、自分の心が自然と落ち着くのが分かった。
食事の場とか、緑いっぱいの公園とか、生きる、ということがよく似合う子だ。
力強い生命力、というものを感じるわけではないけれど、しっかりと地に足をつけて、歩く姿がしっくりくるタイプだ。
そんなことを考えつつ、ぼーっとダイの食べる姿を見ていると、菜々さんが近づいてきて抱き起こしてくれた。
「ほら、キョウちゃんも。少しずつね」
そう言って、クッションを背もたれにして私を座らせると、スプーンでゆっくりスープを口に運んでくれる。
されるがままに口を開き、一口。
ここ最近、何を食べても味なんて分からなかったのに、菜々さんのスープは野菜の甘さが優しくて、心も体も温めてくれるようだ。
「…おいしい」
止まっていたはずの涙がまた転がり落ちてきた。
「…おいしいよ、菜々さん…」
まだ私、おいしさを感じられたんだ。
温かいスープを、おいしいと思うことが出来たんだ。
いろんなものをなくしたつもりでいたけれど、もう取り返しがつかないと思っていたけれど、まだ私は生きている。
「…ほんと、バカだねキョウちゃん。泣きながら食べて、赤ちゃんみたい」
茶化しながらも食べさせることを止めないでいてくれる菜々さんの目からも、涙が溢れている。
「こんな大きな子、生んだ覚えなんてないんだからね」
頭をガシガシ撫でて、またスープへ。
まるで本当の母親に看病してもらっているかのように、私の気持ちはこの上なく凪いでいた。
「…ありがと、菜々さん」
「どういたしまして、キョウちゃん」
菜々さんは、なんでもないことのように軽やかに返してくれた。
「さ、スープも飲めたことだし、これからのことね」
ダイもお腹いっぱいスープをご馳走になり、私も久しぶりの食事に満たされた頃、菜々さんはさも簡単なことのように切り出した。
「いい?キョウちゃん。あなたは季節外れのインフルエンザで倒れたの。食事もろくに取れず、ひどい具合だったところを偶然私が発見した。アンダンテも1週間強制的に休み。入院を勧められたけれど断って、心配だから私が近くで面倒を見ることになった。OK?」
「…はっ?インフルエンザ?」
ひと息で話し続ける菜々さんに困惑する。
話の展開に着いていけない。
ダイも怪訝そうな表情で菜々さんを見ていた。
「佐倉君はすでに1週間休みを申請していたのよね?」
「は、はい」
「それなら都合がいいわ。やっぱり力仕事は男の子じゃないと」
「え、力仕事?」
目をぱちくりさせている。
私の顔も、似たようなものだと思うけど。
「引っ越すよ」
「はっ!?」
二人の声が揃う。
菜々さんは、あまりに唐突だ。
「ここ、あの親父に知られてるんでしょ?そんなところに長居は無用。私の家の近くに空いてた部屋、抑えてきたから。今日はこのまま寝て、明日の朝には動くよ」
いや、確かにそうだけれど。
部屋を抑えてきた、とか。
正直、急展開すぎて話についていけない。
「…お願いします!」
頭を下げたのはダイだった。
「こんな危険なところに、キョウちゃんを置いていけない。僕も、手伝いますから…」
「あら、手伝うだけじゃダメよ。佐倉君、あなたも引っ越すの。そこ2DKだし大丈夫」
「え、僕も、ですか?」
「こんなキョウちゃん、一人じゃ心配だし。あなたも今の家、帰りづらいんじゃない?」
私は詳しいダイの事情は話していないし、ダイ自身、どこまで話しているか分からない。それでも、菜々さんの察しの良さには本当に驚く。
私たち二人の関係を慮って、私のことだけでなく、ダイのことまで救い上げようとしてくれているんだ。
「何から何まで、ホントありがと、菜々さん」
「これくらいなんてことないよ。キョウちゃんはもっと甘えていいんだから」
「…ありがとうございます。僕のことまで…」
「あなたのため、というより自分のためなの。私の妹みたいに思ってるキョウちゃんを、守ってくれるのはあなたしかいない」
そう言って、菜々さんは私の方へ視線をやる。
その顔があまりにもやさしくて、涙がでそうだった。
もう私は、菜々さんに対して強がることなんて出来そうになかった。
「佐倉君、キョウちゃんをお願いね」
「はい、しっかり守ります」
気がつけば、二人でそんな協定みたいなやり取りがなされていた。
ああ、幸せだ。
こんなぼろぼろになったけれど、やっぱり私は幸せ者だ。
久しぶりに感じる人のぬくもりに安心したのか、知らない内に眠りについていた。
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