第11話 崩壊

最近、晴れの日が続いている。

スカッと晴れて青空が見えるような、そんな澄んだ晴れ間ではなくて、常になにか霞んだような煙ったような、そんな曖昧な空。

それがどうにも自分の現状のように思えて、今日もまた私はため息をつく。


そんな状況から脱却しようと、ダイに連絡を入れて三日後。

ダイと再会してご飯を食べたあの日、時間をつぶすために見つけたカフェへと今日は連れだってやって来た。

自分の店の前で待ち合わせて、一言も話すことなくカフェへと向かって。

なんとなく気まずいまま、それぞれの注文を告げて。

じりじりと時間が進む中、どう話を切り出すかお互いに探っている。


「ねえ」

どうにもこの空気が我慢できなくなって、つい声をかけてしまった。

何から話すか、どういう言い方をするか、いろいろシミュレーションしていたはずなのに、すべてが吹っ飛んでしまっている。

「どうして言ってくれなかったの?」

しまった、口に出した瞬間にそう思う。

決して責めるような言い方をしてはいけない、そう思っていたのに。

ちゃんとダイの思いを受け止められるように、こちらから責めるのではなくダイから話してくれるまで待とう、なんてさっきまで思っていたはずなのに、ダイの顔を見たらダメだった。

ダイに対しては、どうも感情の抑制が効かないようだ。

「おじさんのこと、なんで言ってくれなかったの」

無言で見つめてくるダイの目から、感情は読み取れない。

また居心地の悪い沈黙が続く。

「…じゃあ、」

しばらくして話し始めたダイの声は少し掠れていた。

「キョウちゃんなら言えた?」

「えっ…」

「母さんが事故で死んでしまったショックで父さんが狂ってしまったんだ、なんて、キョウちゃんなら言えたの?」

「それは…」

何て返せばいいのか分からなかった。

私なら、どうだっただろう。

「僕は、言えなかったよ。言いたくなかった。特にキョウちゃんには」

「ダイ…」

両手を固く握りしめたまま、絞り出すように話すダイ。

声は震えているけれど、涙は見せない。決して泣くまいとしているようだった。

「だってキョウちゃんは、僕のことだけじゃなく、母さんのことも父さんのこともよく知ってるから」

そう、確かに知っている。

あの頃の私の全てだった、ダイと、その優しい家族。

「キョウちゃんの中の、あの頃のままの僕の家族を壊したくなかった。僕の家族がおかしくなる前の、一番幸せだった頃のこと」

やっと見せてくれた笑顔は、それでも泣いているように見えた。

「だって、キョウちゃんの中でまで僕の家族が壊れたら、僕はいったいどこに帰ればいい?」

その言葉は、あまりにも重く私の中に響いた。


ダイはきっと、私が自身の望む家族の形をダイの家族に見たことを知っていた。

それを崩すのが怖かったというダイの優しさ。

そして、ダイ自身が、自分の家族の幸せだった頃を私の中に求めていた。

せめて私がその頃の記憶だけを大切に暖めていたなら、崩れてしまった家族の形を少しでもとどめられるような気がして。

そしてそれは、ダイの弱さ。

記憶の中と寸分違わぬダイの優しさと弱さを今目の前に見て、私は胸がいっぱいになる。

辛かったときに隣にいてあげたかったという思いと、離れていたからこそ記憶だけを頼りにまっすぐ立っていられたんじゃないかという思い。

どちらの思いも、間違いじゃない。

同じような思いを抱いていた私だから分かる。

だからこそ、再会した今だからこそ、私にいったい何ができるのだろうか。

少しでも、ダイの力になりたい。

その思いだけが、頭の中に渦巻いていた。


それから、どれくらいの時間が経っただろう。

飲み干したカフェラテの氷がほとんど溶けてしまった頃。

薄まって汗をたくさんかいたレモンティーを手に取り、ダイはそれを一気に飲み干した。

「若い女の人がだめなんだ」

少し落ち着いてきたのだろう、ダイが話し始めた。

「びっくりしたよね。父さん、あんな感じになっちゃって」

私は静かにうなずく。

「まさか僕も、あんな感じでキョウちゃんに会うとは思ってなかったよ」

いろんな偶然が重なった結果だった。

私がおじさんのことを知ったのも、ダイが隠したかったことを暴いてしまったことも。

「母さんの亡くなった原因になったのが、若い女性の看護師さんが間違えて射った点滴だったんだ。だからいつでも、狙うのは若い女の人ばっかり」

おばさんが亡くなったショックと、裁判での疲れと。

おじさんの精神は、誰も気づかないうちにどんどん蝕まれていった。

最初は、裁判がやっとのことで終結した日の夜。

家へと向かうおじさんは、横を通りかかった女子大生を突然殴り付けたらしい。

「僕も警察の人から聞いたんだけどね」

ダイはそう言ってその時の状況を教えてくれた。 

突然殴られた女性は、必死に逃げたそうだ。

それはそうだろう。この暴力行為に意味はないのだ。唯一おじさんの中以外には。

逃げ惑う女性を追いかけて、おじさんは叫んでいたそうだ。

「由美子を返せ!」

と。

由美子とは、ダイのお母さんの名前だ。おじさんが愛してやまなかった、おばさんの名を叫びながら、おじさんは何を思っていたのだろう。


その光景を思い浮かべると、あまりにも痛ましい。

何の罪もないのに追いかけ回される女性と、何の罪もないのに愛する者の命を奪われ狂ってしまった男性。


そのうち近所の人の通報もあり、警察に保護されたおじさんは、警察でも支離滅裂なことを言い続けていたらしく、そのまま精神病院に措置入院となった。

そこからなんとか任意入院に切り替えることはできたが長期入院となり、やっとのことで退院したもののまともに仕事に就ける状態でもなく、結局はダイが生活面のすべてを担っているらしい。

「そこから、状態は一進一退。すごくまともに僕に泣きながら謝ってくる日もあるし、かと思えば一日中、目に見えない誰かと会話して怒ったり笑ったりしてる日もある」

今は、5回目の入院なのだそうだ。

「被害者の女性には本当に申し訳ないことをしたと思ってる。傷の痛みもそうだけど、父さんのせいで夜道がトラウマになってしまったかもしれないし」

目をそっと伏せたまま、ダイは話す。

「でもね、すごく理不尽なことなのは分かってるんだけど、なんで父さんの目に触れたんだ、なんて思ってしまう愚かな自分もいるんだ」

若い女性、というそれだけの条件なら、まだここまで突然発症することはなかったのかもしれない。

それでも、その女性は、非常にその看護師に似ていたのだ。

「あのとき彼女さえ違う道を通ってくれていたら、おかしくなったとしても、ここまで急激に悪くはならなかったんじゃないかって。似ている彼女だったからこそ、引き金をあっさり引いてしまったんじゃないかって」


なんて自分本意なヤツなんだろうね、僕は。


そうつぶやくダイの姿があまりにも儚く見えて、私は思わずその手をとった。

ダイは私の手を拒絶するでも受け入れるでもなく、じっと動かない。

それでも私に、手を離すという選択肢はなかった。

ここで離してしまったら、もう二度と会えないような気がして。

このぬくもりに、もう二度と触れられないような気がして。


「ねえ、キョウちゃん」

どこを見ているのか、ダイの目はずっと私から逸らされている。

目を見るのは怖い、それでも問いかけずにはいられない。

そんなダイの気持ちが伝わってくるようだ。

それでも、そんな私の感傷を嘲笑うかのようにダイは言葉をつなぐ。

「あんなに大好きだった家族を、殺してしまいたいって思ってしまう僕も、狂ってると思うかい?」


ああ、崩れる。

崩れていく。


私はこの日確かに、揺らがないと思っていたものが崩れ去る音を聞いたのだ。

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