第10話 真相

最近いつも、もしものことを考えている。


もしもあの日、「連れて行って」と言っていたら。

私はダイとその家族の隣で、いつも笑っていられたのだろうか。

もしもあの夜、「行かないで」とダイに伝えられていたら。

やっぱり僕は行かない、と、ダイは傍にいてくれたのだろうか。

もしも、ダイの家族が私の家の隣に引っ越してこなければ。

私たちは出会うこともなく、そのため離ればなれになることもなかったのだろうか。


こんなこと考えたって、所詮は「もしも」の話。

今何をどう言ったって、何かが変わるわけではない。

それでも考えてしまうのだ。

今のこの現状よりも、もっといい現実はなかったのだろうか、なんて。

なんて不毛なんだろう。


もしダイの家族に着いていったとしても、結局他人の私はずっと一緒にはいられなかっただろう。

もしダイが傍にいることを選んでくれても、愛するお母さんのもとからダイを引き離すことなんてできなかっただろう。

もしダイの家族が隣に引っ越して来なければ、私は今よりももっと孤独で、その孤独と闘う勇気すら持てなかっただろう。


だからきっと、今この現状が最もいい選択だったんだ。


無理矢理なこの結論に毎日たどり着いてはため息をつく。

ダイが元気に生きているならそれでいいじゃないか、なんてそれらしいことも思ってみる。

それでも、私には確認するすべがないのだ。

ダイが本当に元気なのか。

おじさんはなぜ病院にいるのか。

そもそも、本当に入院しているのか。

それらのことが、もう会えないことと関係しているのか。

何もかもが分からない。


そんなことを考えながらも、日々は同じく過ぎていく。

いつのまにかもう、お見舞いの日から10日も経ち、優衣ちゃんは退院の日を迎えたのだった。


「本当にすみません。菜々さんも岩田さんも」

申し訳なさそうに言う優衣ちゃんは、片足をギプスで固められ、もう片足はサポーターを巻き、なんとも勇ましい姿で立っていた。

両手には松葉杖。

練習したらしく、その使いっぷりはなかなか堂に入っている。

「大丈夫大丈夫。一人じゃ荷物も持てないでしょ」

「そうそう。ご両親がどうしても来られないなら、私たちが来ればそれで解決なんだから、あんたは気にしなくていいの」


今日は優衣ちゃんの退院の日だ。

2週間ほどの入院を経て、ついに日常に戻ってこられることになった優衣ちゃんは、それでもしばらくは松葉杖生活を余儀なくされている。

それなのに、決まった退院日にはご両親がどうしても外せない仕事があるとのことで、優衣ちゃんは一人で退院することになったのだ。


松葉杖の子に、退院の荷物など持たせることなどできやしないし、私は優衣ちゃんのもらした電車への恐怖感を聞いてしまっている。

とても一人で帰らせるわけにはいかない、と思ったのだった。

というわけで私は、なぜか菜々さんも一緒に、優衣ちゃんの病院に来た。


「あんたこの2週間だけでこの荷物って、一体何してたの?」

パンパンに膨らんだカバンを二つ肩にかけ、菜々さんがうんざりした声をあげる。

ベッドのまわりを見ただけではわからなかった、細々した生活用品たちが、集めてみればかなりのボリュームになったようだ。

「入院っていうか、もう暮らしに近かったから。思ったより荷物ってあるものなんですね~」

飄々と語る優衣ちゃんは、やっぱり大物と言うかなんと言うか。


実際、若い女の子の生活なんて、しかもおしゃれにもちゃんと興味があり、人の目もちゃんと気にする優衣ちゃんみたいな子にとっては、いくら入院生活とはいえ身だしなみ用品があふれてくるのは簡単に想像がつく。


それでもふと疑問に思って、

「ご両親はあんまり来られなかったの?」

なんとなく聞いてみる。

「ああ、手続きのときに一度だけ。うち、放任主義なんです」

明るく笑う優衣ちゃんの、さみしがり屋のルーツを見た気がした。

咄嗟に何も返せなかった私を優しく見やって、

「しょうがないなあ。菜々さんと京佳さんが面倒見てあげましょう」

おどけたように菜々さんは言う。

いろんな思いにとらわれそうになった私と優衣ちゃんを、さっとその場から掬い上げてくれる。

やっぱり菜々さんにはかなわない。

「じゃあ遠慮なく。菜々お姉ちゃん!」

甘えた声を出した優衣ちゃんは、

「こら!調子に乗らない!」

なんて、軽く小突かれていたけど。

それでも本気で優衣ちゃんは嬉しそうだった。


「だいたい荷物はまとまったかな」

「そうですね。あとは看護師さんが退院関係の書類を持ってきてくれたら晴れて退院だね、優衣ちゃん」

「はい!やっと出られる~」

そんな、なんてことない会話を繰り広げていた私たち。

そこへ、

「この度は本当に申し訳ありませんでした!」

突然緊迫した声が響いてきた。

「え、なに?なんかあった?」

小声で菜々さんは私たちの顔を見渡す。

「ああ、なんか、斜め前のベッドの人が、患者さんにペットボトル投げ付けられたらしくて」

「え、そんなことあったの?」

「この病院、精神科もあって、そこの患者さんだったらしいんですよ」

そういえば、病院を調べたとき、様々な科があって驚いたのだ。

「ケガはなかったみたいなんですけど、若い女の人だったからショック受けちゃったみたいで」

「そりゃそうだわ。怖いもんね」


そんな会話を繰り広げていた間も、謝罪は続いていたようだ。

「本当にすみません」

「今後こういうことがないようにいたします」

何人かの声がする。

カーテン越しにちらっと見えた姿は、白衣のスタッフと普段着の若そうな男の子。

「看護師さんと、あと誰かな」

「その、投げつけた人の家族が謝りに来るって昨日言ってたから、そうじゃないですかねぇ」

「なんか若そうだけど」

「そんな人の家族やってるのも大変だね」


なんだか、家族という言葉が耳に就く。

家族、家族か。

居てほしくもない家族。

まるで私の家族みたいだ。

「キョウちゃん?」

少しぼーっとしてしまったようだ。菜々さんが怪訝そうにこちらを見てくる。

「ごめんなさい、なんでもないです」

「分かった!岩田さん、おなかすいたんでしょ!」

明るい声でかぶせてくる優衣ちゃん。

私があまりよくない思考にはまりかけたのを、なんとなく察知してくれたんだろう。

「ちょっと、ね。」

優衣ちゃんが優衣ちゃんであることに、私はこんなにも救われていた。

「私もなんかおなかすきました。菜々さんなんかおごって~」

「二人とも仕方ないなぁ」

菜々さんは笑いながら頭をポンっとたたく。 

「帰り、どこか寄ろうね」

「やった!」

ああ、私の周りは、今はこんなにあたたかい。


「ちょっと、お手洗い行ってきます」

なかなかこない書類を待ちわびて、優衣ちゃんがそんなことを言い出した。

「大丈夫?ついていこうか?」

「大丈夫です!なんたってしばらくここに住んでたんですから」

妙に自信満々に言う優衣ちゃんに少し笑う。

「じゃ、気をつけてね」

荷物と私たちでいっぱいになってしまったベッドサイドから松葉杖の優衣ちゃんを送り出すため、一度カーテンを開けて外へ出る。

部屋を出る優衣ちゃんを見送りながら、なんとなく目をやった斜め前のベッド。

深く頭を下げたスタッフさんと男の子の姿が目に入る。

ああ、大変だなあ。若いのに。

そう思って、目を逸らそうとしたときだった。

ふいに緊張から解かれたように頭をあげた二人は、無意識にこちらを見やったようだった。

ぱっと目があって、息をのむ。

「…ダイ?」

先ほどまで頭を下げていた若い男の子は、驚いたように目を見開いていた。

「キョウちゃん…」

音を発さず、口の形だけそうつぶやいたダイは、咄嗟に目を逸らし、スタッフについて部屋を出ようとする。


追いかけたい。

追いかけて全部聞いてしまたい。

おじさんがこの病院の精神科に入院していること。

見知らぬ女性患者にペットボトルを投げつけてしまうような状態であること。

それでも、今追いかけることはできない。

被害者の前で、加害者のプライベートな部分を見せるのもよくないだろう。

そして何も知らない優衣ちゃんや菜々ちゃんに知られてはいけない。


会えないといったダイの言葉。

それは、やはりおじさんのことだった。

想像の、かなり斜め上の方向に事実はあったけれど、不可抗力的にそれを知ってしまった。


ねえダイ。

これもまた、運命って言うんじゃないの?

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