妖狐と魔犬

 空を駆け上りながら、妾と魔犬は牙を交わした。

 途中、魔犬が炎を吐き出して尚美達に当たりそうになるが、最硬の盾により阻まれた。

 彼方は気にしなくて構わぬようだ。

 尤も、気を散らした儘挑んでも勝てる相手では無い。

 ここは最硬や、他の柱の好意に甘える事にしよう。

――カッ!!

 再び炎を吐くブラックドッグ。

――西洋の魔物は、揃いも揃ってよく炎を吐くな

 九つの尾でその炎を薙払う。

――チッ、邪魔臭い尻尾だな…

 少し引いて間合いを取るブラックドッグ。しかし、まだだ。

――まだそこは妾の間合いぞ

 毛を硬質化させて、槍のように突き入れる。

――当たるか狐

 怯まずに、寧ろ突っ込んでくる。己の回避能力に自信があるようだが。

――馬鹿は貴様だ

 四方八方から突き入れる。

――だから効かんと言っているだろう

――何!?

 妾の尾を弾き返し、尚且つ接近して来る。

――馬鹿な!硬質化した妾の尾を!?

――貴様の尻尾より硬くなれば問題無い

 ブラックドッグの口が大きく開く。

 涎にまみれた牙が光っているのが見えた。

 その牙は、妾の喉笛に狙いを定めていた。

 超高速で向かって来るブラックドッグ。それを寸での所で躱し、そのまま上空へ退避した。

――避けたか。仕方無い…狐狩りには勿体無いが…カッ!!オオオオオオオオオ!!

 ブラックドッグが一つ咆哮をすると…

――気圧が変化した?

 一瞬空を見上げた妾の目に入る黄金の光。

――雷だと!?

 雷は一番高い場所に居た妾目掛けて落ちてくる。

――ちぃぃぃ!!

 尾を一本、避雷針変わりにし、雷を受ける。激しく鳴り響く音と同時に、落ちていく妾の一本の尾。

――尻尾一本程度かよ………

 残念そうに呟くブラックドッグだが、冗談では無い。

 妾のキャリアの中で、尾を飛ばした輩など居らぬ!!

――貴様、炎だけでは無かったのか!!

――ああ?俺はブラックドッグ。地獄の悪魔の化身とも、または妖精の類とも言われている魔犬。精霊を扱う事なんぞ、造作も無い……!!

 精霊だと?今の雷は風の精霊を使役したのか…

――貴様…まさか、四精霊を操る事ができるのか?

 妾の問いに、ブラックドッグはニヤリと笑って応えた。

 四精霊…西洋魔道、殊に錬金術には欠かせない、四つの元素の事を指す。

 炎の精霊サラマンダー、水の精霊ウンディーネ、風の精霊シルフ、地の精霊ノーム。

 奴が落とした雷は、風の精霊で大気に静電気を集めた訳だ。

――何を驚く事がある?こんなのは初歩だろう。ヌルい敵としか戦って無いって事か?

――生憎と西洋魔道には疎くてな……

 地に落ちた焦げた尾から目を外す。

 精霊を使う事が解ったら対処はできる。

――尻尾を落とされても怯まずか…流石は噂に名高い白面金毛九尾狐、切り替えが早い…!!

 妾の衰えぬ気を感じ、身構えた。

――油断してくれれば楽だったのだがな…

 慢心もせんとは、益々厄介。

――油断させたいのならば、少しは揺れろ。尻尾一本落とした程度じゃ動揺もしないか?少しは狐らしく化かして貰いたいものだな…

――そう思うか?既に化かされているかもしれんぞ?

 ニヤリと笑ってブラックドッグを見る。

――ハッタリか否か、貴様の喉笛をかっ切ってから考えよう…

 ブラックドッグは上空に居る妾目掛けて跳んだ。

 一瞬にして距離を詰められる。やはりなかなかの速さよ。

 迎え撃つ為に、妾も飛びかかると、瞬時にブラックドッグの目の前に到達した。

――速い!?

 漸く驚いてくれたか。スピードは妾に分がある。今度は妾が一本取ったか?

 奴の喉笛に妾の牙が触れる。

 通常ならば、首を飛ばして終わりだが…

――硬い!!鋼の如くの身体よな!!

 妾の牙は、奴の皮膚に傷を付けたのみ。

――俺に傷付けただけでも、驚嘆すると言うものだ

 身体を返して妾の首に狙いを定め、そのまま咬み付いてくる。

――ぬぅ!?

 尾を薙いで拒むも、ブラックドッグはそれを弾き返して妾の首に噛み付いた!!

――しまっ……

――なかなか楽しませて貰った………さらばだ狐!!

 ……………!!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 口の中が九尾狐の血で充満した。

 咥えていた九尾狐の頭が落ちて負荷が無くなり、軽くなる俺の顎。

 視線で落ちていく頭を追う。

 生気の無い目を見開き、音も無く地に付く九尾狐の頭。

 噂に名高い九尾狐だが、意外と呆気なかった。

 まぁいい、俺の狙いは閉じ込めた魔導士。

 次の標的たる魔導士を捜し、辺りを見回した。

 ぐるっと一周するように身体を回転させて、魔導士を捜す。

 その時、宙にある九尾狐の身体が目に入った。

――…首が落ちても暫くは生きている、のか?それとも首を落とされたのに気付いていないのか?

 いずれにしても、奴には戦う為の力は無い。身体もそのうち落ちて行くだろう。ただ在るだけの身体には興味は無い。

 改めて魔導士を捜す。

 九尾狐の身体から完全に背を向けたその時。風切り音が背後から聞こえ、思わず駆け出した。

――な、なんだ!?

 駆けながら振り替えると、頭の無い九尾狐の尻尾が、俺を目掛けて伸びて来ていた!!

――首を落とされても死なないのか!?

 流石に驚愕したが、此の儘ではヤバいと、尻尾の間合いから完全に離れた所で身構える。

 同時に下から凄まじい殺気を感じ、其方に視線を落とした。

――き、狐の頭!?

 さっき落とした九尾狐の頭が、牙を剥きながら俺に向かって飛んで来ていた!!

 身体を反らして九尾狐の頭から漸く逃れる。

――ば、馬鹿な!!奴は不死身か!?

 呆け気味で頭を目で追う。

 頭はゆっくりと身体に近付き、くっ付くように浮遊する。

――首と胴が離れても生きていられる訳が無かろう。愚か者め

 離れて浮いている狐の口から、はっきりと言葉が出た。

――で、では一体………

 首はゆっくりと口元を歪ませて、最後には笑う形となる。

――既に化かされているかもしれんぞ、と忠告した筈だが?

 全身の体毛が逆立った。

 幻術!?いつの間に!?

 いや、それよりも、確かに口の中に狐の血の味が充満した筈。

 思案中、頭と胴体が霞み掛かり、歪むようにその姿を消した。

――な!やはり幻術か!?どこだ狐!?

 視覚、聴覚、嗅覚を全開で使い、狐の姿を捜すも、見付けられない!?

――貴様が思いの外強くてなぁ…妾も久々に本気を出したのだ。化かし合いで狐に勝てる訳が無かろう?

 辺り一帯から反響するように聞こえる九尾狐の声。

 落ちて行った首も、血の味も全て幻術………

 九尾狐の幻術は、五感を全て騙せる程の幻術なのか!!

 俺の逆立った体毛が、未だに鎮まらなかった…

――どうした犬?妾の姿が見えぬのがそんなに不安か?

 五感を研ぎ澄ませていた俺に対して、挑発する狐。

 構わずに狐の姿を追う。

――仕方無い。貴様があまりにも哀れ故、今一度姿を現そうぞ

 声と同時に背後に気配を感じる。

 だが声は真正面。

 どっちが本物だ!?

――面倒だ!!二つ纏めれば関係無いだろう!!

 地の精霊に働きかけ、地面から岩を槍のように突き出し、真正面の声と背後の気配を同時に貫いた。

――どうだ!!今度こそ死んだか!?

――いや?

 今度は頭上から声がし、微かに頭を上に向ける。

――そっちに何かあるのか?

 右側から再び声!同時に左側にチラつく影!

――あああああああああああああザ!!!

 苛々し、槍を無数に突き出す。

 貫いた音が三つ。飛び散った血が7つ。

――全部幻か!!

――どれか本物かもしれぬぞ…くっくっくっ…

 本物は、今喋っている貴様だろう!!

 苛立ちが段々と頂点に達してくる。

――いいのか?冷静さを欠いていいのか?

 狐に言われて我に返る。

 姿を捜そうなんて、考えなければいい。周り全てに攻撃を仕掛ければ、問題は無いだろう。

――狐、貴様の挑発が、皮肉にも俺に冷静さを取り戻させた…

 考えるのはやめだ。代わりに集中力を攻撃に回す!!

 徐々に高まる大気中の精霊。

――ほう。妾の姿を捜すのは諦めたか

 地の精霊も徐々に高まっていく…地震と嵐を両方顕現させる!!

――おお、これは堪らぬ!!

 動揺したのか、俺の左後ろに白い影が現れた。

――ビビったか狐!!

 振り返って其方を向く。

――おおっ!?

 危うく集中力を途切れさせる所だった。

 振り向いた先には、十数匹もいた九尾狐!!

――あれもペテンか!!

――さて

――何を

――言っているのやら…

 無数に居る狐が、揃って同じ言葉を口に出す。

――最早構う必要は無い!!全部殺してやるぜ!!

 一際大きく咆哮したと同時に、大地は揺れ、大気が啼いた。

 揺れた大気から隆起する岩の槍。啼いた大気から繰り出される真空の刃。

 それが辺り一帯、竜巻を巻いたように暴れ出した。

 ある狐は貫かれ、ある狐は首を飛ばされ、ある狐は身体ごと吹っ飛ぶ。

――どうせ全部幻術だろう!!

 言いながら気配を追い、狐の姿を捜す。

 踏ん張っている狐が目に入るも、奴は違う。

 空を駆けながら退避する狐が目に入るも、奴も違う…

 暴風の中、俺に向かってくる狐が目に入るも、奴も違う!!

 どこだ!?どこだ!?

 ふと右上空に目を向けると、真空の刃から身体を反らして回避している狐を発見した。

――貴様が本体だあああ!!

 その狐に向かって飛び掛かった。

 他の狐には尻尾が九本あるが、あの狐は八本しか無い。

 先に俺が落とした尻尾の数を忘れている。

――所詮狐の浅知恵!!終わりだ!!

 奴の喉笛に牙を立てた。

 ガキン!と上顎と下顎が咬み合わさった。

――これも幻術…!!

 虚しく空を咬みながら呟いた。

 同時に、背中に激しい痛みを感じた。

 俺の背中の肉が抉れ、血が飛び散る。

 抉ったのは、雷で落とした狐の尻尾。

 それが光を帯びて、俺目掛けて飛んできたのだ。

 奴の尻尾は生きていたのか!

 いや、それよりも、俺の身体を抉る程の硬度に変化するとは!!

 尻尾はそのまま真っ直ぐ飛んでいき、空間に吸い込まれるように消える。

――そこか狐ぇ!!

 尻尾が消えた先に九尾が居る。

 駆けようと踏ん張るも、後ろ脚が動かず、砕けるように落ちていく俺の身体…

――ち、ちくしょう!!ちくしょうが!!あああああ!!

 苦し紛れに炎を吐くも、虚しく空に放たれた儘…

――ああああああああああ!!

 受け身も取れず、そのまま地に激突した。

――かはっ!かはっ!

 血反吐を吐き散らしながら、尻尾が消えた方向を見る。

 目が霞む。いや、空間が霞んでいるのか?

 まばたきを二、三すると、光が反射して煌めいている槍が、俺の直ぐ目の前にあった。

――狐か………!!

 その槍は狐の尻尾。

 水晶のように変化した狐の尻尾が、俺の眉間に狙いを定めながら静止していた。

 尻尾の付け根に目を向けると、ちゃんと九つ生えていた。

――くっ付いたのか…

――雷に焼かれたとは言え、まだ生きていたからな。再生は難しいが、組織同士くっ付ける事は造作ない

 俺から視線を外さずに、微動だにしない狐。

 見事な残心だ。虚を突いての反撃はかなり難しいだろう。

――よくぞ俺の身体を抉れたな。貴様の尻尾、何に変わった?

――金剛石

 金剛石にまで硬化できるのか…成程、それが虚を突いて高速で向かって来たのだ。俺の身体を抉る事も難しい事では無いか…

――…とどめを刺せ。脚が動かないのだから、逃げる事も出来ない

 どうせ捕らわれていた身。

 抗う事を諦めて久しかった日々。

 最後に命のやり取りができて、結構満足だ。

 静かに目を瞑り、眉間に突き刺さる事を待つ。

 その時、俺の前にあった影が消え、日の光が目蓋越しに差し掛かかった。

 うっすらと目を開ける。

 目の前で光を遮っていた狐が、身体を返して人間共の元へと歩いて行く最中だった。

 動かぬ脚を庇いながら無理やり身体を捻り、狐に向かって叫ぶ。

――とどめはどうした!生き恥を晒せと言うのか狐!!

 立ち止まる狐。微かに此方に首を向ける。

――勝負は決した。貴様の身体も時が経てば元通りになろう。せっかく解放されたのだ。傷が癒えたら好きな所へ行くが良かろう

――ふざけるなよ貴様!!傷が治ったら真っ先に貴様の首を取りに行く事になる!!魔導士を殺し、貴様の飼い主も殺す!!

 血走った目を向け、牙を剥く。

 狐は軽く溜め息を付いて答えた。

――妾の首を所望とな?好きにすれば良かろう?来たらただ迎え撃つのみ。そして魔導士を殺す事は不可能だ。何故ならば、魔導士は勇によって倒されるからな

 飼い主が『あの』魔導士を倒す事に、微塵の疑いも持っていないのか!?

 この俺を縛り付けていた魔導士を!?

 いや、それよりも…

――白面金毛九尾狐…国を滅ぼし、大多数の人間を殺した獣の王…冷酷無慈悲と聞いたが、噂とまるで違うな…?

 狐の口元が緩んだ。

 笑った?

――愚か者と付き合っている内に、色々と馬鹿らしくなっただけよ

 再び前を向いて歩き出す狐。

 後ろ姿に九つの尻尾を振る様を見た時、完全に俺から興味を外したのが解った…

――……待て

 去る狐を呼び止める。

 狐が微かに振り向いた。

――あの魔導士は強い。俺を縛り付けられる程に

――それでも勇に及ぶ訳が無い

――まぁ聞け。奴は貴様が言う西洋魔道を極めている。それだけでも厄介過ぎるが、奴には謎がある

――謎?

 狐の目が細くなり、耳がピクッと動く。

 その反応を見て笑った。

――漸く興味を持ったようだな…貴様も幻術を使うから解るとは思うが、術の多用は極度な疲労を伴う

――妾は疲れなど知らぬ

 プライドが邪魔をしているのか、再び興味を失ったように顔を背ける狐。

――俺も四精霊を使うから解る。だから誤魔化さなくてもいい

――…続けろ

 頷く俺。

――奴は超高度な術を多用しようが、持続させようが全く疲労しない。それこそ、呼吸をするように自然に術を使うのだ。俗に言うスタミナ切れは奴に期待できない

――ふ、スタミナ切れを狙うような賢い男では無いわ

 愚な事を、と笑う狐。本当に魔導士と対峙している男を信頼しているようだが…

――…それで話は終わり、と言う訳では無さそうだな?

 黙り込んでいた俺に気が付いて、笑うのをやめる。

――時。奴は時すらも止める。実際に俺を捕らえていた術は、時を止めた空間に閉じ込めて、永遠に彷徨わせると言う物だった

 一呼吸置いて続ける。

――空中の牢獄…そこに捕らわれた者は身体一つ動かす事ができず、呼吸すらできず、やがて思考すら停止する。生きながら死んで行く感覚だ

――貴様が捕らえられていた光の先か?

――そうだ。稀に死なぬ程度に時が動く。俺は『いつか使う』為にそこに『飼われて』いた。何と言ったかな…モルガン…と言う女も、いずれ其処に閉じ込めようとしていたようだ

 魔導士曰わく、愛する女と永遠に繋がる為。

 私のモルガンが私と常に一緒に居る事になると。

 これぞモルガンの幸福だと、汚らしく笑いながら俺に話した事がある。

 魔導士は多種多様な術や疲労しない身体は無論、その自己都合の狂気が一番恐ろしい所なのだ。

――奴は目的の為ならば手段を選ばない。貴様の飼い主にせいぜい気を付けるように言うが良い

 俺を倒した狐に対する、今の俺の精一杯の敬意。

 だが狐は笑みを絶やさず言い放った。

――気を付けろとは言えぬな。そんな男、勇が決して許す筈も無い。貴様が魔導士に感じた狂気…そんな物など、あの愚か者には塵に等しい

 完全に信頼しているのは結構だが、忠告に耳を貸さないのならば仕方無い。

――忠告はした。後は貴様の

 最後まで言わせずに、狐が口を挟んだ。

――見ておれば解る。貴様の忠告が杞憂だと言う事が

 そう言い放ち、俺から完全に視線を外し、人間共の元へ脚を進める狐。

 どこからそんな自信が出てくるのか、興味を覚え、狐の言う通り、魔導士とあの男に目を向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る