最期の純血種

 私も直ぐ其処に参ります。では…

 目蓋を閉じて、最後の別れを言う。

 少しの間、母は足掻いていたが、やがて完全に『停止』した。

 母の最後を看取ってから目蓋を開けると、あの深淵とは比べても仕方ない程の光が目に入ってくる。

「これで…私一人…」

 立ち上がると同時に、リリムが此方に駆け寄ってきた。

「カ、カインさん…!な、何か変です!お姉様が悪魔王に連れ去られてから、何か違和感が…」

 リリムは肩で息をし、正体不明の違和感を私に訴えた。

「モルガン様が仕掛けた魅了が、完全に解けただけだよリリム」

 リリムは首を何度も横に振った。違うと。

「どうしたんだいリリム?」

「私はリリムじゃない、エレニ!エレニに戻りました!!」

 ああ、そうか。神崎さんに気付かせて貰ったんだったな。

 リリム、いや、エレニの頭をポンと一つ叩き、偽りわりなく笑った。

「良かったなリリム、いやエレニ。もう君を縛る物は無い」

 エレニは私の手のひらに頭を預けた儘動かない。

 まだ少し迷いがあるようだ。

 それも時間と神崎さんが解決してくれるだろう。

 動かないエレニを促し、クラウスの元に向かう。

 クラウスは眉根を寄せて、何度も寝返りを打っている状態だ。

「クラウスは大丈夫なんですか?」

「大丈夫だよ。今起こそう」

 肩に手を掛けて揺さぶると、クラウスは簡単に目が覚めて、上半身を起こして軽く頭を振った。

「な、なんだ…長い悪夢から目覚めたような爽快感が…」

「目覚めたようだねクラウス。君にも縛る物は無い。いや、ある意味とんでもない男に縛られたと言った方がいいか」

 苦笑する私を、キョトンとしながら見るクラウス。

「カインさん…俺…」

 しかしクラウスは、みるみるうちに暗い顔になり俯いていった。

「負けた事を申し訳無く思っているのかい?それで救われたなら良かったじゃないか」

 クラウスの肩に手を置く。

 クラウスも暗い表情の儘、動かない。

 テュルフィングに宿っている負の念は、これから北嶋が何とかするだろう。

 もっとも、私に勝てたらの話だが。

 今度は北嶋の方を向く。

 彼は膝枕が余程気持ち良いのか、ニヤニヤとだらしない顔でグネグネ動いている。

 そんな男が悪魔王を恐れず、人類の祖を全く寄せ付けずに倒したのか。

 知らず知らずに口元が綻ぶ。

 そして私は北嶋に向かってゆっくりと歩いた。

「カ、カインさん…」

「待ってくれカインさん!!」

 エレニとクラウスも、私の後を追って付いてくる。

 そして私達に気付いた聖騎士が、モードを背に隠して身構えた。

「案じなくとも、妹さんを狙っていたのはモルガン様。そのモルガン様が居なくなった今、妹さんの命を狙う事はしませんよ」

「欺きのカイン…その言葉、信じていいのか?」

 くすぐったいのか、時折ビクリと身体を震わしながら、睨み付けるリリス。

「欺く必要は無いでしょう。まぁ、信じるも信じないもあなたの勝手ですがね」

 欺くも何も、私は常に北嶋に『見張られている』状態。

 故に此処に来てからは何も出来ない。

 少しでもおかしな気を起こしたら、多分その時点で私は終わっていた。

 ちゃらんぽらんに見えて、凄まじく恐ろしい男だ。

 私は素直に讃えている。

 北嶋 勇と言う、新たなる『人間』を。

「それはそうと、彼を早く退かせないと、巻き添えを喰らいますよ」

 上に指を差す私。全員が同時に上を見る。

「あ、あれは神崎?ナーガから飛び降りたのか?」

 聖騎士の言う通り、遥か上空に居た神崎さんが、間違いない無く北嶋に向かって踵から落ちて来ている最中だ。

「馬鹿な!無茶をするっ!」

 北嶋を強引に退かせて退避する魔女。

「受け止めてくれなきゃ、私死んじゃうからねぇえええ!!」

 当然狸寝入りをしていた北嶋が焦りながら飛び起きた。

「馬鹿かお前えええ!?」

 腰を下ろして抱き止める形を取る北嶋。瞳孔を開かんばかりに目を見開いて、神崎さんを追っている。

「うわあああああ!!」

「きゃあああああ!!」

 ドカン!と激しい衝突音がし、北嶋の上体が激しく揺れた。

「し、信じられない…」

 クラウスが戦慄を持って呟いた。

「二人共無事だなんて…」

 エレニは茫然として、ただ事実を述べただけ。

 あの上空から落ちて来た神崎さんを、見事抱き止めた北嶋。

 それが信じられないと。

「あれが私達の最後の標的だったんだよ」

 一切のバランスを崩さず、衝撃を上手く逃がして平然としている北嶋。それに、必ず抱き止めてくれると疑っていない神崎さん。

 あれが最終標的だったとは、我ながら恐れを知らぬ愚考だったと苦笑いを浮かべた。

「馬鹿か!死んじゃうだろぶおっっっ!?」

 抱き止めた北嶋が叱る前に、神崎さんの左フックが見事北嶋の顎を捕らえた。

 神崎さんを離して三回転半程回り、地に倒れる北嶋。

「えええええ?今助けた相手に?」

 エレニもクラウスも顔の半分も口を開いた。信じられない事が、立て続けに起こっているのだから、呆けるのは仕方がない事か。

「あなたって人は毎度毎度毎度毎度学習しないよねっ!!」

 倒れた北嶋の襟首を掴みながら、グラグラ揺さぶる神崎さん。

 エレニとクラウスの目には、さながら悪鬼のように映った事だろう。

「か、神崎、もうそのくらいで許してやったらどうだろうか?」

 たまらず魔女が間に割って入る。

「まぁ、リリスがそう言うならね」

 掴んた襟首をパッと離した神崎さん。

 ガン!

 揺さぶられた勢いが余った北嶋は、後頭部から地面に倒れた。

「のおおおお…痛ってえぇぇぇ…」

「自業自得とは言え、同情はするよ北嶋」

 手を差し伸べる聖騎士。

「あんなに頑張ったんだから、少しくらい役得あっても罰当たらんだろうが」

 その手を取って立ち上がる北嶋。

「まだ目に見える程頑張ってないじゃん」

「うるせー小娘。俺は気付かぬ所で色々とやってんだよ!多分」

 多分どころかその通り。

 そして此からは、誰の目にもハッキリと解る事になる。

 私と対峙する事によって。

 拍手をする私。全員が私を見る。

「いやはや、お見事。狂戦士と化したクラウスを、ハンディを持ちながらも倒した聖騎士。エレニを見事助けた神崎さん。そして、モルガン様の力が及ばない悪魔王を喚び出した魔女。どれを取っても此方の負けです」

「そうか。んじゃもう帰れ」

 シッシッと追い払う仕種をする北嶋。

「まだ私が居ますよ?」

 見逃せないだろう。私はそう言う存在な筈だ。

「見逃してやろうと言う心遣いを理解してねーのかツルッパゲ」

「それは有り難い事ですが、あなたの言うアダムとの決着を付けなくても良いので?」

 腹に力を入れて、普段は使わないわざを解き放った。

「な、何っ!?」

「カ、カインさんっ!?」

 北嶋と神崎さんを除く人間が、地に膝を付こうとしていた。妹さんとエレニは完全に両膝を付いたが。

「こ、これは威光!?」

 魔女が戦慄の表情を持って、私を見る。

「あなたも使えたとはね」

 そう言いながらも、焦った様子を見せない神崎さん。多少は読んでいたようだ。心構えをちゃんと持っている。

「その通り。人間を屈服させる威厳、威光です。私が一番、アダムの能力を強く引き継いでいます。長男ですからね」

 続いて眉間に集中し、その力を解き放った。

「!この心が震える感覚!」

「魅了!?」

 エレニとクラウス以外は拒否するように心を固く閉ざす。妹さんはキョトンとしているが。

「それも使えたの?」

 やはり焦った様子を見せず。何と言うか、この女が一番危険なような気がする。

「長男ですから」

 魅了を解除すると、拒んで踏ん張っていた者達が一気に脱力し、膝を付いた。

「解りましたか?私を殺さなければ終わらないんですよ」

 やる気があまり見えない北嶋に、挑発するように笑顔を向けた。

「いや、俺的には別に普通にぶっ殺してもいいんだけど」

 挑発を無視するどころか、初めから眼中に無い、と言うより、どっちでも構わないと言った返事だった。

「あなた私を倒したいんじゃないのか!?」

 思わず声を荒げてしまう。

「俺はボランティア要員じゃねーしな。使えそうな奴等はゲットしたし」

 そう言ってエレニとクラウスを指差す北嶋。

「…私は使えない訳か?」

「いんや、自殺志願者の手伝いや、呪いを祓うボランティアをする程お人好しじゃねーって意味だ。お前はこのまま放置の方が辛そうだし」

 何と言うドSっぷり!!

 私が一番辛い所を、ピンポイントで攻めてくるとは!!

 挑発の笑顔が、感情を殺す為の笑顔に変わっているのを自覚する!!

「わ、私をこのまま生かしておいても構わないと仰る?私はアダムやイヴと違って、魂は生きますよ?転生しますよ?」

 懇願に近いような訴えを起こしてみる。我ながら滑稽だが、何故かそうしてしまう。

「そりゃ転生するだろ。『もう一人』が、くたばる事を許さないようだからな」

 一斉に北嶋を見る場の人間。

 私も額から汗を流す。

「そ、そう言えば、カインさんも呪いを受けた身だとか…」

「わ、私と同じ、身内殺しとも言っていましたよね…?」

 エレニもクラウスも今思い出したか?

 意識レベルでは知っているが、表には出さないようにしていた筈だが。

「焦って緩んだか?『虚偽』だっけ?」

 …いちいちキョトンとしながら核心を付く男だ。

 ナチュラルで苛々してくる!!

「お?本性出て来たぜツルッパゲ。眉間とこめかみに血管が浮き出ているぞ」

 笑いながら私に指を差す北嶋。そして我に返る私。

 挑発するつもりが、逆に挑発されていたのだ。

「あの、良人…『虚偽』とは一体?確かに『欺きのカイン』の名は『この世界』ではそこそこ知られていますが、詐欺師やペテン師紛いの魔導士との認識の方が強いのですが?」

「そうだ。今回の件でイヴと繋がっていたと初めて知ったくらいだ。今でも最初の子程度の認識しか無いが…?」

 魔女と聖騎士の問いに、珍しく真剣な顔を拵えて返す北嶋。

「その認識は本当にお前等が思った認識か?」


 ドクン!!


 心臓の鼓動が一回大きく高鳴った。

 この男、最初から知っていた?

「ミミズを捕らえていたのはツルッパゲだ。これはもうバラしたか。んじゃ、小娘、お前何で平然としているんだ?」

 いきなり振られた妹さんが、訳が解らないと眉根を寄せる。

「ずっと命を狙われていたとは言え、仮にも姉ちゃんが目の前で悪魔王に殺されたんだぞ?姉ちゃん可哀想とか思わないか?悪魔王怖いとか思わない筈は無いだろう?」

 言われて押し黙る妹さん。何か引っ掛かる所があるようで、自分の心と会話しているようだ。

「………何時気付きました?」

 いや、解っている。問わなくても解っている。

 万界の鏡を欺く事は不可能だ。

「そりゃお前、最初からに決まっているだろうが」

 北嶋の返答は、私の期待した返答と一致した。

 最初から全て知っていながら、私に付き合っていたのか……!!

「…どちらが詐欺師か解りませんね………」

 私の言葉に、北嶋は胸糞が悪くなる程の笑顔を見せて応えた。

「『虚偽』とは嘘、偽り。あなたはあなたを知る人間全てを騙していたに過ぎない。イヴを守る為、自分の本当の力を隠す為にね」

「…神崎さん、あなたも知っていたんですか?」

「私もあなたと似たような物があるからね」

 そう言って自分の胸に手を当てる神崎さん。エデンから持って来た炎の十字剣の事を言っているのか。

「で、ではもう一人とは一体…?」

「視た感じ、カインは一人。特に何か憑いているとは思えないが…」

 魔女と聖騎士には通じていたか。やはり別格なのはあの二人だけ。

「だから騙されてんだって。こいつの魂に融合している野郎が視えねーのか?」

 言われて霊視レベルを最大限まで高める二人。

「……解らないな」

「『虚偽』とやらで認識をズラされている?」

 溜め息を付く北嶋。

「この俺の仲間なんだから、そんな様じゃ困るんだが…ツルッパゲの『虚偽』が天晴れなんだろうな。それ程知られたくねーんだな。まぁいいや。キングコブラ!!」

 喚ばれて黄金のナーガが北嶋の後ろに立った。

「そいつの嘘、飲み込んでやれ」

――承知致しました

 黄金のナーガが、その口を大きく開けた。

 そして私に向かって首を伸ばして来る。

「うおっっ!?」

 その迫力に思わず腕をガードに当ててたじろいだ。


 バクン


「し、しまっ…」

 私の『虚偽』が、黄金のナーガによって飲み込まれてしまった!!

 同時に妹さんの目の前に立ち塞がる飛竜。

 良い判断だ。妹さんがこれを見たら、あまりの恐怖で、深い傷を負うかもしれない。

「!カインさん…!」

「う、嘘でしょ?な、何で?」

 霊視を行っていないエレニとクラウスですら恐れ、怯んだ私の本当の姿…

「うっ?」

「こ、これは!?」

 霊視レベルを最大限まで高めていた魔女と聖騎士は、私の最深部まで視た筈だ。

おぞましい私の魂を。

「お前等がドン引きした姿、俺は最初からそれを見てんだ。放置が一番辛いって言った意味、理解したか?」

 そして事も無げに言い放つ北嶋。

 何らかの方法で『虚偽』を永久に解く事ができたなら、それは確かにその通りだろう。

「…魂どころか肉体までも……」

 神崎さんが、ここで初めて険しい顔をした。いや、あの表情は同情か?嫌悪か?そのどちらもなのか?あるいは、そのどちらでもない、別の感情か?

 ともあれ、『これ』を見たのは事実…

 私の顔と左肩の間にある瘤。そして不自然に盛り上がった右胸と左腹。背中も常人より肉厚。

 つまり私は『人一人背負った』人間。

 瘤は頭だ。流れに沿い、鎖骨まで伸びている隆起がハッキリと人間の顔をしている。右胸と左腹にしがみつかれた状態で。

 魂は、肉体よりも、よりおぞましく、絡み合って融合しているのだ。

「…これが呪いですよ北嶋さん。虚偽は私が人並みに生活する為に必要だった訳です」

 他の人間に見られたのは初めてだ。

 辱められた感覚。

 屈辱を感じた私は、常に覆っている仮面まで外した。

「私の本当の姿を見たんだ…!!貴様等全員命は無いと思え!!」

 怒りとは、我を見失う。

 最初はアダムを倒した男に、何とか私を殺して欲しかった。

 忌まわしい姿の儘、死なせて欲しかった。

 しかし、私は怒りによって、死ぬ選択を放棄してしまう。

 押さえていた魔力が立ち上って行く。

「く、これ程とは…!!」

 唸った魔女と目が合う。

「…先ずはあなたからだ!魔女!!」

 魔女に殺気を向けた瞬間、別の方向から泣き声がして、殺気を治めた。

「お、お姉ちゃんが死んじゃった…お父さんとお母さんに何て言えば…う、うわあああああああ!!!」

 それは妹さんの叫び。取り乱して暴れ出す始末。

 更に蠢く『瘤』。


……ナンデミステタノ…ナンデコロサセタノ…ナンデ…ナンデ…ナンデ…ナンデ…


 …どいつもこいつも煩い……


 バリッ!!バリバリバリバリバリバリ!!!


 苛立って、肩の瘤を掻き毟ると、ドクドクと瘤から血が滴り落ちる。

「瘤から声が?」

 …神崎か…この女も煩い。

 私と同じような加護を持ちながらも、普通にのうのうと暮らせるとは、許せない…!!

「ちっ、苛々してキレたか。仕方ない。無表情、小娘を宥めとけ。うるさくて仕方ない」

 聖騎士に指示を出し、私に向かって歩いて来る北嶋。

 漸く望みが叶いそうで、思わず笑みを浮かべた。

「く、くっくっ…初めからこうすれば良かったんだ」

 仲間の命を狙う。そうすれば北嶋は勝手にしゃしゃり出てくる。

「そりゃ違うだろ。お前も優しさを見せていたんだからな。まぁ、その礼って事にしといてやる」

 ピクリと目蓋に力が入る私。

「優しさ…とは?」

 魔女の問いに面倒そうに答える北嶋。

「小娘に施した虚偽だ。ねぇちゃんがぶっ殺されても動じないようにな」

 そこまで理解していたか。

 再び瘤が囁いてくる。


……コロシテヨ…チチヲ…ハハヲ…コロシタモノヲ…コロシテヨ…コロシテ…コロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテ


「くっ!黙れ!!」

 バリバリバリバリと再び瘤を掻いた。余計な事は言うなと。

「父を…母を殺した?」

 魔女が怪訝な表情を拵えながらも、何か心に引っ掛かったようで、つい質問してしまったようだ。

「あの『瘤』の狙いは俺とお前だっつー事だな。アダムハゲとクルンクルンを殺したお前が狙いだっつうこった。だがまあ、お前も可哀想だが、俺を狙うんならやっぱり返り討ちにしなきゃならんな、ツルッパゲの弟」

 意識を『瘤』に向けた北嶋。

「くっくっくっ…聞いたかアベル…私もお前も殺すとさ!!」

 歓喜しかない!!漸く終われる!!永遠に続くと思われた、忌まわしき運命から!!

「アベル!?ならば呪いの正体は!!」

「人類最古の身内殺しの呪い…即ちアダムとイヴの第二子の呪い。そうでしょう、最初の子、カイン」

 場の人間が一斉に神崎さんを見た。

 私は瘤を掻き毟りながら、黙って笑っていた。

 妹さんを宥めていた聖騎士が口を開く。

「つ、つまり、アダムとイヴを守っていたのはアベル?」

「…私に殺された弟は魔界へ堕ちてしまった。対して殺した私は創造主の加護を受け、人間には絶対に殺されない『呪い』を受けた」

 私の返答に追記する形で、北嶋が続けた。

「腑に落ちない弟がツルッパゲに掲げた約束。『自分を殺して幸せになったんだから、せめて父と母は永遠に守ってくれ』んで、超引け目に感じていたツルッパゲはそれを承諾、結果こうなった、って訳だ」

 しれっと言い放つ北嶋。対して場の人間は全て硬直する。

「自業自得のツルッパゲも、魔に堕ちた馬鹿弟も知ったこっちゃ無い。だが、さっきも言った通り、礼はしてやるよ」

 ゆっくりと、ゆっくりと歩を進めてくる北嶋。その余裕の動作には頼もしささえ覚えるが…

「草薙は?」

「お前等馬鹿兄弟ぶっ殺すのに刃物は必要か?図に乗るなツルッパゲ」

 くっくっくっ!!

 この自信に満ち溢れた態度。

 自分の力量に、何の迷いも疑いも無い。

「私は普通に術を発動するよ?アンタの仲間、巻き添えになって死ぬよ?」

「本当に馬鹿だなツルッパゲ。お前ここをどこだと思ってんだ?」

 これが号令になったのか、北嶋の柱、最硬が全ての人間に亀甲の盾を張った。

――勇殿、他は我等にお任せを

「おー。んじゃ、サクッとやってくるわ」

 この仲間や味方を信じ切る潔さ。

「くっくっくっ…流石はアダムを殺した男…全てに置いて、アンタの方が上だ…」

「つか、俺より上って居ないだろ?」

 後三歩程で拳の間合い。

 まばたきをした私。

 再び目を開くと、私の目の前に拳が飛んで来ていた!!

 速い!いつの間に!?

 歯を食いしばり、上体を前方に下ろして『耐える』方を選択。

「うらあああああああああああ!!!」

 ゴッ

 上手く額に受ける事ができた。

 だが、衝撃が頭蓋全体に響く。

「がっ!」

 仰け反りそうになる身体。首に精一杯の力を込めてそれを拒否する。

「ほう?」

 パンチを額に当てた儘感心する北嶋。

「ま、魔術だけじゃなく、体術の鍛錬も行っていたからなぁ……」

 私は、左肘を畳んでのコンパクトなショートフックを放つ。

「ちっ、しゃーねーな」

 北嶋の瞳がギラリと光る。

 私の左ショートフックが北嶋の右顎に当たった。

「な、何だと!?北嶋が一発喰らっただと!?」

「ば、馬鹿な!!先の戦争でも一撃たりとも貰わなかったのに!?」

 聖騎士と魔女が尋常じゃない程狼狽えた。それ程までに希有な現象なのだろう。

 だが、この手応えが物語っている。

「…っつう!!」

 左拳に痛みが走り、思わず拳を押さえた。

「お前が耐えたなら、俺はその上行かなきゃ恥だろが」

 一歩、二歩と後退する私に容赦無い言葉を浴びせて、平然と『見下ろす』北嶋。

 左拳の痛みよりも、背筋を走る寒気に脅威を抱いた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 敢えて一発貰って『差』を見せ付けた北嶋さん。

 カインに、アベルに見せているのか。自分の力量を。

「心配しなくても、あれはわざとよ」

「あ、ああ、カインの様子を見て気付いた…だが、しかし、珍しい事には変わりない…」

 慌てていたアーサーも、途中から気付いた様子。

 普段の北嶋さんなら絶対に避けていた。

 なんでわざわざぶん殴られなきゃならねーの?痛ぇじゃん?とか言いながら。

「自分の一発を耐えたから腹いせに、でしょうね」

 物凄く合点がいったと頷く二人。

「北嶋なりのプライドか」

「だが、これは殴り合い勝負では無い。殺し合いだ。良人が負ける姿は全く想像できないが、注意は必要だろう…」

 打撃には耐えられても術は耐えられない。その点には同感だ。草薙を使わないと決めたようだし。

「全く…面倒臭い程頑固なんだから…」

 呆れて溜め息を漏らす。

「負けたらご飯抜きだからね北嶋さん…」

 呟いた瞬間、構えていた北嶋さんが一気に脱力し、此方を振り向いた。

「飯抜きだと?こんなに頑張っているのに、なんて酷い仕打ちを考え付くんだ神崎!!お前は真性の悪魔か!!」

 なんて地獄耳だ。

「心配する事がアホらしくなるわ…」

 大きな溜め息をわざと聞こえるように付くと、北嶋さんがムキーと言いながら地団駄を踏んだ。

「…私との勝負など眼中に無しか…」

 笑いながら魔力を膨れ上がらせるカイン。

「あ?だったらやる気出させろよツルッパゲよー?」

 ペシペシとカインの頭を気安く叩く北嶋さん。

 その腕を払い、憎悪の目を北嶋さんに向けた。

「此処まで馬鹿にされたのは初めてだ!!死ね北嶋!醜悪の破壊者あ!!」

 カインの背後に深淵の闇が現れる。

「な、何っ!?アバドンの闇を短縮詠唱で喚び出しただと!?いかんみんな!!目を閉じろ!死ぬぞ!!」

 流石は世界最高峰の悪魔使い。対応策に心強い。だけど…

――案ずるな。某の盾に守られている間は問題無い

 最硬の神様の亀甲の盾が私達を護って下さっている。故に私達は問題無い。

「き、北嶋はヤバいだろう?」

 アーサーの心配は杞憂に終わるだろう。多分アバドンの闇すらも北嶋さんには通じない。

 それよりも、リリスですら短縮出来ない超上級の術を簡単に…

 額から汗が零れて頬を伝った。

「素直に殺されてやるつもりも無かったが、貴様はいちいちやり過ぎた!!三首の声え!!!」

 突然、テープを早送りしたような呪が空間に響く。

「ブ、ブネの死の呪文?これも短縮で?いや、それもそうだが…」

「超上級呪文を二つ同時に発動させたですって!?」

 私もリリスも、立つのがやっとな程狼狽えた。

 決して長いとは言えないが、私のキャリアの中でも、その様な事をした魔導士は知らない。

 ブネとは地獄の侯爵で、その姿は人間とグリフォンと犬の三つの頭を持ったドラゴンであるとされている。

 三十の軍団を指揮するとも、夥しい数の魔物を支配しているとも言われているが、一番厄介なのは死の呪文。

 これを聞いた者には、例外なく死が訪れると言われている。

「しかもまだ終わりじゃない…」

 二術同時発動を行ったカインが、集中力を切らせていない。

「三術同時発動?まさかそんな…」

「やる。深淵も死の呪文も北嶋さんには足りないと思っている。だから必ずやるわ」

「超上級呪文を三術同時発動…もしできるなら、そいつは人間じゃない、悪魔だよ神崎…」

 俯きながら呟くリリス。

 悪魔に近い位置に居たリリスだからこそ解るのだろう、カインの底知れぬ力を。

「三術同時発動…噂で同時に術を発動させる事ができる魔導士が居るとは聞いていたが、それが奴だったとはな…」

 …アーサーの発言に違和感を覚えるが、頭を振ってそれを断ち切る。

 今は北嶋さんとカインに集中しよう。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「貴様には理解出来ないだろうが、一応言っておく…今発動させた二つの術は超上級呪文だ。短縮さえ容易では無い超上級呪文を、二つ同時に発動させる事ができる人間は、私の記憶では私を含め、二人しか居ない……」

「だから何だツルッパゲ。暗くなったのと、うるせー音が聞こえるだけだろうが」

 耳をほじりながら、興味を覚えようとしない北嶋。

 まぁ、それは仕方無い。解らぬ者に価値は無いからだ。

「……まだ発動初期段階とは言え、アバドンの毒とブネの死の呪文を食らっても平然として居られるのは貴様くらいのものだが…物理攻撃ならどうだ?」

 これ以上は私もマズい。だが、私のちっぽけなプライドが理性を凌駕し、私に呪を唱えさせる。

「守れよ盾!!」

 私の周りに無数の盾が現れる。

「斬り殺せ剣!!」

 北嶋の周りに剣が顕現する。

「お?何だ何だ?」

 そう言いながら、全く動じていない。やはりイラつく奴だ。

「荒野の王!!」

 発動させた術。

 北嶋に向かって飛び出す無数の剣。

「くはあ!!はあ!!はあ!!はあ!!はあ!!」

 同時に私も膝を付き、蹲った。

 凄まじい程の疲労。立つ事すら出来ない。息を整える事すら儘ならない。

 これが三術同時発動の代償だ。

「ぬおおおおお!?」

 焦りながらも全て避けきる北嶋。

「はぁ!!はぁ!!ア、アザゼルは荒野に住む堕天使で、二百の堕天使の上に立つ者だ…男には剣と盾の作り方を教え戦場に送り込む…誇り高く、人間嫌いで気難しい悪魔だが、これくらいの力は貸してくれるのさ…」

 力尽きる寸前、とうとうそこに尻を付いた。

 北嶋は、相変わらず向かってくる剣を避けている。

 一瞬の隙を付き、北嶋がアザゼルの剣を一本掴んだ。

 それを武器に、向かってくる全ての剣を叩き落とす。

「ど、毒がまだ効いていないのか?死の呪文もまだ効かないのか?」

 常人なら死んでいる。

 最低でも、動きが鈍ってもおかしく無い筈だが…

 ふと、北嶋の胸に下がっている賢者の石が目に入る。

 光っている…毒を中和しているのか?

 ならば死の呪文は?

「あああ!!うっせーなこの雑音!!黙らせろツルッパゲ!!」

 雑音?

 死の呪文ですら、北嶋にとっては、ただの雑音だと言うのか?

 故に死の言霊など届かない、と?

「私も大概だが、貴様にこそ化け物の称号が相応しい………」

 呟く私に、剣を全て叩き落とした北嶋が、超スピードで接近していた。

「盾邪魔っっっ!!」

 振り下ろした剣が盾に阻まれ、私には届かない。

「本来ならば、飛び出した剣の巻き添え防止の為の盾なのだが…」

 その剣を全て叩き落としているのだ。

 盾も意味が無く…いや、北嶋の斬撃を防ぐ意味ができたか。

「ふ、ふはは…アンタは確かに大した奴だが、アバドンもブネもアザゼルも、アンタが気に入らないらしいぞ…」

 背後にある深淵から顔を覗かせるアバドン。

 ブネは死の呪文を更に響かせる。

 アザゼルの叩き落とされた剣が、北嶋に向かって再び飛んで来た。

「うお!?キキュイィィイィイまた飛んでキュイィィキュイィイイイイきたっ!?つか、何見てキュキュンキュイイイイィィイイイイイイ!!つか、うっせーなあああ!!!」

 苛々して盾を蹴る北嶋。ビリビリと衝撃が盾に走る。

「苛々しても意味が無いぞ北嶋…」

「うっせーなツルッパゲ。取り敢えず、剣をどーにかすっから盾よこせ」

 私の前で顕現された盾を掴む北嶋。

「馬鹿な事を…アンタを殺す為に喚び出した剣の対だぞ、その盾はあああ!?」

 北嶋は何のストレスも無く、盾を担いで自分の前に掲げた!!

「何故敵のアンタが盾を普通に扱えるううう!!?」

 座りながら絶叫した。

「あん?道具に敵も味方もあるかツルッパゲ」

 盾に突き刺さる様を、悠々と見ながら返事をする北嶋。

 疲労して立つ事が出来ない私は、さながら腰が抜けたようにその光景を見ているしかなかった。

「これでキュキキュイィィイイ刺される心配はキュィイィ無くなったなキュィイィアアアアァァァアア!!だから!!うっせーっつってるだろうがあ!!!黙れゴルラアアアアア!!!」

 北嶋は、腹から全開に吼えた。その結果………

 ……………………………………

「ブ、ブネの呪文が掻き消された?」

 ただ叫んだだけで相殺したのか?

「ふぅ、これで静かになったな。後はお前か黒いのよぉ?」

 深淵から覗かせていたアバドンを睨み付ける北嶋。

「アバドンと目を合わせると死ぬぞ…」

「この北嶋 勇とガンの飛ばし合いをすると言うのか。面白い」

 …聞いちゃいねーし。

 私の頭をグイッと退かして、アバドンの闇に向かってズンズン歩き出す。

 凄まじい殺気をアバドンに向けながら進む。

 そして事もあろうか、深淵に腕を突っ込んで、アバドンを引っ張り出そうと試みた。

「おら出てこい。おら、おらあ!!」

「や、やめろ!!アンタは無事で済むかもしれないが、他の人間は違うだろう!!と言うか、チンピラかアンタは!!」

 焦って術をキャンセルする。

 深淵が無くなり、北嶋は「うおっ」と言いながらつんのめり、両手を地に付けた。

「いてて…あれ?全部無くなったな?」

「アンタが無茶するから、キャンセルしたんだよ!!」

 巻き添えでクラウスとエレニを死なす訳にはいかない。不本意過ぎる程不本意だが、致し方無い。

「ふーん。んじゃ、残るのはお前だけだな」

 凄いいやらしくニヤァと笑い、私に腕を伸ばしてくる北嶋。

 せめて一太刀とも思ったが仕方無い。元々殺される為に挑んだ戦いだ。

 私はゆっくりと目蓋を閉じた。

「覚悟はあったようだしな。まあ、天晴れと言っておこうか」

「ああ、世話になるよ北嶋。」

 目蓋を閉じて視覚を無くした私だが、耳にはアベルの呻き声が入ってくる。

……アキラメルナ…ヤクソク…チチトハハヲ…ワタシノブンマデ…

 無理だよアベル。

 私達は負けたんだ。

 十の加護を持ち、魔道に精通し、数多の時を駆けて来た私だが、父を母を凌駕していた私だが、『ただの人間』には勝てないよ。

 魔や聖に頼り、敬い、恐れる私達では、『新しい人間』には決して勝つ事ができない…

……コロセ…コロセニイサン…コロセヨ…コロセコロセコロセコロセコロセ…

 喚いているアベルに、北嶋の手が触れた感覚を覚える。

 やっと終わった………

 安堵感でいっぱいになる。

「あ、あれっ?」

 裏返った声と共に、アベルに触れた感覚が無くなった。

 思わず目を開けた。

 ちょうど驚いている北嶋と目が合った。

「……なんだ?」

「…虚偽じゃねーのか…つか、嘘なら鏡が見切れない訳ないからな」

 不思議そうに、再び肩のアベルに手を触れる北嶋。

「なんなんだ一体!早く殺せ!あいたっ!?」

 北嶋は、ぺーんと私の頭を叩いた。

「うっせーぞツルッパゲ。ちょっと黙れ」

 ジンジン痛む頭を擦り、なんなんだとブツブツ文句を言ってみる。

「お前いつからだ?いや、最初からか…」

「だからあ!!一体なんなんだと言っているだろう!!」

 苛々して仕方無い。

 瘤…アベルの呪いの顕現化が、一体なんだと言うんだ!?

「…まぁいいや。最初のプランと変わらねーし」

 そう言いながら瘤を掴む。

「超痛ぇだろうが我慢しろよ?」

「まさか?瘤を引っこ抜くつもりか?無駄だ。外科的手術も、呪術的まじないも何度も何度も行った。だが、その時は確かに取り除けるが、時が経てば再び瘤ができるあいたっっっ!?」

 再び私の頭を叩く。

「何勘違いしてんだツルッパゲ。お前に言ったんじゃねーや」

 ならば誰に言っているんだ!!

 痛む頭を擦りながら、北嶋を睨むと、瘤を掴む力が伝わった。

……ニイサン…ヤメサセテクレ…トメテクレ…ワタシヲ…ヒキハナサイデ…

 抗えないのは理解しているだろうアベル。

 お前も漸く終われるんだ。

 安心しろ。お前だけ逝かせはしない。私も直ぐ後を追う事になる。

 アベルと無理やり対話を終了させて、目を閉じた。

「一気に引っこ抜けばダメージも小さいだろ。多分」

 …気のせいか?私に言っていないような感がある。

 かと言って、自分に言い聞かせている訳でも無い。

「んじゃいくぞ。うらあああああああ!!」


 バリバリバリバリバリバリバリバリ


 身体から、無理やり瘤を引き剥がした。

「ぐわあああああああああああ!!!」

 かつて感じた事の無い痛み。迸る血飛沫で、私も北嶋も朱に染まる。

「がああああああああああ!!!」

 痛みに耐え切れなく、転がり回る。

「痛ぇだろうが、俺を恨むなよ。愚痴苦情はツルッパゲに言え」

 霞む目を北嶋に向けると、北嶋は人型の瘤…アベルを優しく地に下ろしている最中だった。

 な、何故アベルを…?

 あれはただの呪いの顕現化な筈…

 何故…?

 何故?

 意識がどんどんと吸い込まれる感覚。

 いや、逆行している?

 現代、中世、古代へと、私の意識が戻っている………

「はっっっ!?」

 時間にして数秒だが、確かに戻っていた。

 アベルを殺した時にまで遡っていた。

 私は…

 私は…

 私は…

 アベルに呪われてなどいない………

 目を見開いて北嶋と瘤を見る。

 北嶋は瘤の止血をしているようで、賢者の石を翳している最中…

 視たのか!その時の出来事を!!

 だからアベルを……

「よし、取り敢えず血は止まっただろ。今までいらんと棄てられていたが、お前の責任じゃないから気にすんな。お前も思い出したようだなツルッパゲ」

 私と視線が合った北嶋が、ゆっくり立ち上がり私の元へと歩を進める。

「私は…私はっっっ!!」

 凄まじい程の自己嫌悪に陥り、涙を流しながら北嶋を見た。

「まぁ何だ。同情はするぞ。弟に。ん?」

 私に向かって来る北嶋が止まった。

 クラウスとエレニが、私と北嶋の間に入り、身構えたのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺にめっさガンをくれる負け犬達。

 優しい俺は、一応理由を訊ねてやる。

「なんだお前等?その反抗的な目つきは?」

 隈取とレプリカは、目つきを崩さず、更に構えを取りやがった。

「これ以上カインさんを痛めつけると言うならば…」

「ここから先は私達が戦う!!」

 ふむ、俺がツルッパゲをボッコボコにした事が不服な訳か。

「ツルッパゲの子分が、俺にどーやって勝つっつーんだ。面倒臭ぇーからちゃっちゃと退け」

 構わずに進む俺。

 隈取りの剣に殺気が籠り、レプリカがなんか口ずさんだ。

「やりたいならやってもいいが、手遅れになるぞ」

 ツルッパゲに指差す俺。振り返る負け犬共。

 ツルッパゲが両手で顔を覆いながら、ガクガク震えているのが目に入った事だろう。

「カインさん!」

「どうしたんですかカインさん!」

 慌ててツルッパゲに近寄る負け犬共。

「思い出して、激しく後悔してんだよ」

 ツルッパゲは弟に呪われてはいない。

 自分の辛い部分を弟に押し付けて、それを『事実』と思い込んだのだ。

 成程、キングコブラが『虚偽』を、『嘘偽り』を飲み込んだ時、自身に掛けた嘘も飲み込めなかった訳だ。

 ツルッパゲにとって、それが『真実』となっていたのだから。

「そ、それはどう言う意味だ?」

 隈取りが俺にガンをくれて問い質す。

 すんげぇムカついて、ついつい叩く俺。

「ぐわ!!」

「クラウスにビンタするなんて、野蛮人!!死んじゃえばいいのに!!あいた!!」

 無礼千万なレプリカにも拳骨制裁を与える。

 まあ、軽い躾けはこれで良しとして、先に進むぞ。

「思い込み。それは真実となる場合がある。それが肉体に現れた人型の瘤だ。自分で顕現させた瘤により、益々弟を憎み、恐れるようになったが、実は弟はずっと言っていた」

「な、なにを?」

 隈取が質問して来るが、とても面倒だ。なので、当事者に話して貰おう。

「おいお前、説明してやれ」

 振り返り、瘤に親指を向けた俺。

「え!?なに!?」

 そっちを見たレプリカが、素っ頓狂な声を上げた。

 抱きついた儘の形状になっていた瘤。

 それがグンニャリと柔らかくほぐれたのだ。

「な、何っ!?」

 隈取も素っ頓狂な声を上げるが、待て待当て待て。

「おい、還ってもいいが、ちゃんと説明してから還れよ。俺悪者の儘だろうが。お 前の依頼通りにこなしたってのによ」

「い、依頼?瘤に?あの一瞬触れた時に受けたの?」

 レプリカの問いに頷く俺。

 と同時に、瘤が光りだし、立体映像のようにすっ裸の人間が現れた。

 だがアダムハゲと同じ顔した男だったので、全くときめく事は無かった。

「アダム!?魂まで消滅した筈では!!」

「ハゲはクルクルパーマだが、こいつはサラサラストレートだろが。 間違うな銀髪。こいつはアベル…だっけ?」

 自信が無く、聞いてみる。

 弟はめっさ爽やかスマイルを浮かべながら、ゆっくり頷いた。

「アベル?本当に?呪いはアベルが仕掛けたんじゃなかったの!?」

 神崎まで騙されていた、ってか、ツルッパゲがそう思い込んでいたからそうなったんだが。

「北嶋!こいつは敵か味方か!?」

 無表情が困惑して訊ねて来る。いや、クライアントだが。クライアントは敵では無いだろう。

 味方?う~ん…

 ここいらは微妙で、ちょっと返答に困る。

――あの…そろそろお話をしても宜しいでしょうか?

 焦れた弟が突っ込みのように話し掛けてきた。

「喋った!!しかも柔らかいオーラ…本当にアベル?」

 驚愕の神崎。

「だから弟だっつってんだろ。だよなツルッパゲ?」

 振られたツルッパゲは、顔を覆いながら激しく頷く。

「アベル…アベル!!私は!私はっっつ!!」

 どうも言葉が出て来ないツルッパゲに、弟は優しく微笑んで首を横に振った。

――兄さん、私は兄さんを恨んでなどいない

 場がどよめくも、ツルッパゲはお構いなしに話す。

「解っているっ……!!大地に流されたお前の血は、創造主に向かって殺されたのを訴 えたんじゃない!私の贖罪を訴えたのだ!!」

 嗚咽するツルッパゲにドン引きする俺。

 40過ぎたハゲのおっさんの涙が、こんなに美しく無いものだとは、想像すらできなかった。

「つ、つまり創造主に自分を殺した兄の罪を許すように訴えた?」

「創造主は唯一無二…わざわざ殺された事を訴え無くとも、真実は簡単に知る事ができる。いきなりアベルが居なくなった理由も然り。か…」

 妙に納得するガイジン二人。便乗して腕を組み、俺はウンウン頷いた。

――結構どうでも良いと思っていますよね?

 弟が霊魂の分際で突っ込みを入れてくる。意外と親しみ易いかもしれん。

「いいからちゃっちゃと続き言って成仏しろよ」

 面倒臭ぇから終わらせたい俺は、敢えてスルーを選択する。

「創造主にアベルの行方を問われた私は『知りません。私は弟の監視者なのですか?』と答えた…思えばあれが懺悔の最後のチャンスだったのだ…結果『最初の嘘』を吐いたのだが、創造主は私に最後までチャンスを与えて下さっていたのだ…!!」

 まぁ、そのチャンスを豪快に棒に振って追放されたんだから、自業自得だが。

「創造主はカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。これが罰」

「人々に殺されることを恐れていると言ったカインに対し、彼を殺す者には七倍の 復讐があることを伝え、カインを殺させないように刻印をした。これが加護、決して人間には殺せない『呪い』」

 ツルッパゲの言葉に追記する形を取り、納得する銀髪と無表情。こいつ等もアブラハムだっけ?の宗教の人間だから、そこそこ読めるのだ。

「そして私はその全てが弟にあるとして逆恨みし、弟を憎むようになった…!!」

 聞けば聞く程弟に同情する俺。だから依頼を受けたんだが。

 兄貴を助けてくれっつー依頼をだ。

――私は兄に訴え続けていました…憎まないでと…ずっと…ずっと訴え続けました…だが、それが裏目に出たのです。

 申し訳無さそうに俯く弟。

 そりゃそうだ。

 甥っ子にすら誤解されたのだから。

「私の子、エノクが冥界を訪れた際、大天使ラファエルの案内で死者の魂の集められる洞窟を目撃した。そこにはアベルの霊はその時代になってもなお天に向かってカインを訴え続けていた、と…カインの子孫が地上から絶える日まで叫び続ける、と…」

 呪いの言葉でも吐いていると思ったんだろう。

 誤解のスパイラルだな。

 そして殺された時に弟が言った言葉、父と母をよろしく頼む。

 それがツルッパゲの中でグッチャグチャになった訳だ。

 父と母を守れ。自分を殺したから当然だ。

 死なずに永遠に守り続けろ。

 息子の目撃談も重なり、ツルッパゲの思い込みは真実になり、それは肉体にも顕現された訳だ。

 実際、魂は絡み合って融合している訳では無い。

 体育座りしているツルッパゲの魂に、弟が一生懸命寄り添いながら違うと、誤解だと訴えていた形になっていた。

 ツルッパゲの意識の中で、永遠に纏わり付く呪いに変わっていただけなのだ。

――やっと……

 んあ?と、全員が弟を見る。

 めっさ泣いている弟の姿が目に入った。

――やっと思い出してくれたね…解ってくれたね兄さん………

 そのまま座って、おいおい泣いているツルッパゲに抱き付いた。

「アベル…っ!!」

 それをツルッパゲが抱き締めて、二人でおいおい泣た。

 うーん、美しい兄弟愛…多分。

 俺も空気を読まん訳じゃない。

 場に居る全員が貰い泣きしている中、好感度を下げる言葉は吐かない方が、良い事くらいは知っている。

 そして泣き出してから小一時間程経過した。

 相変わらず周りは貰い泣き最中だが、俺はぶっちゃけ飽きてきた。

「おい弟。まだ終わらないのか?そろそろ報酬が欲しいんだがな」

 シクシク泣いてざわめいていた場が、一気に静まり返る。

 そして全員、俺に冷ややかな視線を投げつけた。

「な、なんだよ?仕事だから報酬は当たり前だろが」

「仕事って…まぁ、北嶋さんはタダ働きが世界一嫌いだからねぇ」

 頭を抱えて呆れる神崎。

「おま…結局タダ働きみたいなもんなんだからな!!」

 むくれる俺。

「アベル…北嶋にどんな約束を?」

――ああ…あの少女の悲しみを持って行く事を約束しました

 弟がトカゲの影に隠れて、ぜーぜー言っている小娘に指を差した。

「モード…命を狙われていたとは言え、姉が目の前で殺されたんだ…少し落ち着いたんだが…」

「お前が付き添ってろっつったのに、ガヤに混ざったから不安になってんだろがロリコン」

 嫌味を零すとズーンと暗くなる無表情。

「モードが…自分は大丈夫だし、飛竜も着いているから北嶋の手助けをしろと…」

「気を遣ったんじゃないか!!それで本当にこっちに来たのか君は!!」

 銀髪に責められ、神崎に白い目で見られて益々暗くなる無表情。

 流石に哀れだ。

 味方をしたら、俺まで非難されるからできん。

 許せ無表情。

 俺は意識的に、無表情から視線を外した。なんか巻き添えになりそうで嫌だったからに他ならない。

――約束通り…あの少女の負担を少しでも軽くする為に、彼女の悲しみを持って行きます

 指を差した状態から手を開く弟。

 なんか光が放出されて小娘を包む。

――む?なんだ?この暖かいオーラは?

 トカゲが気配を感じて振り向く。

「あ…あ…あ…」

 一瞬震えてカクンと落ちる小娘。

――モード!!

「貴様!一体何をした!!」

――気を失っているだけですよ。次に目覚めた時、彼女は少しですが、心の荷が落ちて穏やかになっている筈です

 弟は、めっさ爽やかスマイルで微笑んだ。

「そんな事が可能なのか!?」

 銀髪が仰天して問う。

――ただ大丈夫と言っただけですけどね

 まぁ要するに励ましただけだ。

「柔らかく暖かいオーラで包んで安心感を与えたのね…『持って行く』とはよく言ったものだわ」

 苦笑いする神崎。自分は二度と現世には現れる事は無いから、あのオーラは継続不可能。

 オーラが薄れた頃には心の傷も薄れるだろう。

 故に持って行くと言う表現を使ったのだろう。

 まぁ、これが弟の精一杯の報酬だから仕方ない。

「成程、タダ働きみたいなもんね。結局北嶋さんには何の利益にもならないんだから」

 神崎が笑いながら俺の腕に自分の腕を組んだ。

「仕方ないだろうが。おら、弟、もう還れ。俺は婚約者とイチャイチャしなきゃならんからな」

 開いている腕で神崎を引き寄せるも、神崎も開いている腕を使い、俺の身体をグッと押し退ける。

 …なんなんだこの切なさは。

――はい。私の永い想い…叶えて下さり、ありがとうございました…

 深々と頭を下げる弟。そしてツルッパゲを見る。

――兄さん、お元気で

「アベル…アベル!私は二度とお前に会えない!!だから今言わせてくれ!!お前が弟で良かった…!!そして…」

 ぶわわっと涙を噴き出して、続く言葉が出て来ないツルッパゲ。

 う~ん、実に美しくない。

――私もあなたが兄で良かった…

 弟も笑いながらも涙を零す。

 こっちは美しいな。本当に兄弟かお前等?

 弟は光に包まれて、そのまま消えた。

 最後まで頭を下げながら消えた。

 そしてそれから結構な時間が経ったが、ツルッパゲが未だに泣いている。

「お前美しく無いぞツルッパゲ。汚いからもう泣くな」

 精一杯励ましの言葉を掛けてやる優しい俺。

 だが周りの視線は、俺に対して冷ややかだった。

「グスッ…永い…永い時を掛けての解放と和解…多少の事は目を瞑って貰いたい…グスグスッ…」

 グシグシと鼻を啜って抗議するツルッパゲ。やはり汚い。

「まぁいいが、お前等からも対価を戴くからな。文句はあるまい?」

「グスグスッ…対価?」

 グシグシと鼻を啜って聞き返してくる。

 非常に鬱陶しいが、我慢してやる優しい俺は、そのまま続ける。

「隈取りもレプリカもお前も、呪いを解いてやったろーが」

「ああ、グスッ…金ですかね…グスッ…それとも別の…グスグスグスグスグスッ…あいてっ!?」

 グズグズグズグズ鬱陶しくて遂には我慢できなくなり、頭を叩いた。

 手形紅葉が美しくハゲ頭に咲く。

「汚いから泣くなっつったろーが!!」

「泣く事すら許してくれない訳か…なんて野蛮な奴なんだ…」

「鬱陶しいんだよ!泣くなら家帰ってから、腹一杯泣けばいいだろ!!」

「タイミングとか色々あるだろうが…」

 不満なのかブツブツ零しているツルッパゲだが、面倒なので本題に移る事にした。

「お前等は俺のおかげで助かった。つまりお前等の命は俺の物だっつー事だ。今後は俺に忠義を誓い、俺の命令には絶対服従だ。取り敢えず裏山の手入れをやって貰うぞ。文句は無いな」

 異議異論は認めないと仁王立ちして、負け犬達を見下ろした。腰に手を当てながら。

「ヴァチカンの時と同じかよ。あの時は結構楽しかったけどなぁ…」

 なんか遠い目をして懐かしむ無表情。

「な、なんだ労働力か…無理難題をふっかけられるかと…」

「抱かせろとか言われるかと…」

「そ、そんな事で宜しいので?多額な金を請求するのかと…」

 安堵する負け犬達。つか、こいつ等俺をどーゆー目で見てんだ。

「なんだ。私と変わらないじゃないか」

「何時でもサボりたい人だからね。こんなもんでしょ」

 呆れる神崎と銀髪。こいつ等も俺を随分小さく見ているよーな気が…

 何となくモヤモヤするが。

「ま、まぁそんな訳だ。取り敢えず喉乾いたからジュース買ってこい」

 財布から小銭を出してツルッパゲに放る俺。

「パシりかよ!!」

「それよりも小銭だけって!!ジュース1本しか買えないわよ!!」

「自分の分だけか!!」

 負け犬達にやいのやいのと突っ込まれる俺。

 とてつもなく、やるせない気持ちになり、ズーンと落ちてくる…

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