イヴとリリス

 肩で息をする。全身が汗で濡れている。

 あの魅了…予想以上に厄介だ。

「ふっふっふ…どうした魔女?もう終わりか?」

 いやらしく笑うイヴ。

 そのイヴの後ろには、私が喚び出した悪魔達が、仕えるように控えている。

「まさか…私の契約悪魔を、悉く捕らえるとは…」

 喚び出した悪魔達は、イヴの魅了によって私から離れ、イヴの配下となったのだ。

 上級悪魔ならば契約破棄など絶対にしないが、生憎先の戦争で、喚び出せる悪魔が限られてしまった。数多くいる下級悪魔では、この様か。

「魔女よ。所詮卑しい悪魔の母たる貴様など、創造主に認められた人類の母に及ぶ訳が無いんだよ」

 顎をクイッと持ち上げると、魅了に捕らわれた悪魔達が私目掛けて襲い掛かって来た。

「く!禁忌の名!」

 呪を発動すると、地に逆五芒星の陣が浮かび上がり、地獄の底から響くような音…声が聞こえた。

「これは!!」

 咄嗟に耳を塞ぐイヴに舌打ちをした。捕らわれた悪魔達が絶叫して次々と倒れて行く。

 知っていたのか。意外と博識じゃないか…

 悪魔達は石化したように固まり、耳から血を噴き出し、風化するように消え去って行く。

 やがて場には私とイヴの二人だけとなり、それを確認したイヴは、漸く塞いだ耳を解放した。

「デモゴルゴーンの本当の名を口に出させたか」

 忌々しいと唾を吐き出したイヴ。

「まさか貴様がそこまで精通しているとはね。成程、魅了だけでは無いと言う事か…」

 デモゴルゴーン。地獄の軍勢の指揮官として恐れられているが、その実体は誰にも知られていない。

 デモゴルゴーンという名も仮名のようなものであり、この悪魔の本当の名を口にする事は禁じられている。

 デモゴルゴーンが地獄から名を呼ぶように悪魔達に囁きかけ、口にした悪魔達はあのように絶命した訳だが…

「あわよくばも無理だったか…」

 本当の名を知っていたなら儲け物だと思っていたが、イヴは耳を塞ぎ、デモゴルゴーンの囁きから逃れた。

 イヴが呪の内容を知っていたとは驚きだった。そこそこ精通していると言う確証を付けた事になる。

「侮っては困るね。私は貴様と違い、幾年の時を掛けてアダムに狙われ続けられていたんだ。隙あらば、私が殺そうと思うのは当然だろう?」

 だから悪魔の手を借りようと、それなりに研究はしていた、と言う訳か。

「貴様の魅了…あの男が欲したのに、何の不思議も無いな」

 悪魔を契約破棄までさせて、自分に取り込む程の効果。アダムもこの魅了に脅威を抱いたに違いない。

 欲するのは当然としても、自分が殺した妻が、仕返しに来る事を恐れたのか。

 あの男もなかなか胆が小さいものだな。

「何故か通じる相手と通じぬ相手に分かれるが、取り立てて不便は感じない。このようにね!!」

 イヴの瞳が妖しく光った。

 口元を良く見ると、何か口ずさんでいる様子…

「!悪魔を喚んでいるのか!?」

 しかもこの術は!!

「先に貴様が契約していたのか!!どおりで私と契約を結ばない訳だ!!」

 不味い!アレを凌駕する悪魔は、今は手持ちに居ない!!

 数で押すか?いや、七王クラスでなければ、アレは止められない!!

 焦る私を余所に、イヴの詠唱が今終わる。

 そして、良人の亜空間が巨大な障気に覆われた。

「く!!」

 思わずたじろぐ。

「ああっはっはっは!!どうだい魔女?リリムが喚び出す、古代の巨人に負けぬ巨躯!!お前のご自慢の七王にも、引けを取らぬ巨大な魔力!!」

「それを魅了で捕らえたと言うのか!!」

 イヴの背後に、山のように巨大な悪魔が姿を現した。

 巨大な腹に象の頭を乗せた人間…人型の姿をした悪魔!!

「暴飲暴食を司る悪魔!ベヘモット!!!」

 七王のレヴィヤタンは、中世以降は悪魔とされているが、旧約聖書の中で振れられている姿は、巨大な海の怪物だ。

 鰐の姿とも鯨の姿だとも、あるいは海蛇だとも言われている、海の悪魔だ。

 神が天地創造の五日目に創り出した存在。

 そのあまりの巨大さから、いかなる武器も効かず、悪魔祓いなどにも効果が無いとされており、神自ら最強の生物と認められている。

 そして、この海の悪魔レヴィヤタンと対となるのが、陸の悪魔ベヘモットなのだ。

 恐るべしはその食欲で、毎日千もの山に生える干草を貪り喰うと言われる様に、底無しだ。

 それ故に時代を経るに連れ、食欲を象徴する悪魔となった。

 旧約聖書では『これこそ神の傑作』とまで記されているのにだ。

「ああっはっはっは!!!直ぐに殺してやってもいいが、承知の通りベヘモットは温厚でねぇ!!!」

「だから何だ?」

 呪を詠唱しながら後退る私の足元に、三角形の陣が現れる。

「きっとお前如き小さき者には、躊躇って殺し損ねるだろうね」

 イヴがベヘモットに向かって顎をしゃくる。

 一歩踏み出すベヘモット。


 ズゥゥゥゥン……


 地が揺れ、私の身体が浮く程だ。

「精々苦しんで死ね!!魔女!!」

――オオオアアアアア!!

 イヴの言葉が号令になったように、ベヘモットが吠えながら、私を潰そうと足を伸ばして来た。

「我が敵をその炎を以て灼き尽くせ!!」

 三角形の陣から炎が立ち上る。

「同族殺しの炎お!!」

 私の頭上に有るベヘモットの足に向かって、爆炎が吹き荒れた。

「ほぉ?フラウロスの炎か?」

 感心するイヴだが、その表情には笑みすら浮かべていた。余裕の表れか?

「悪魔を以て悪魔を制す、だ。ベヘモットも悪魔ならば、フラウロスの炎が通じぬ訳が無い!!」

 他の悪魔に対抗する為に、助力してくれる悪魔。それがフラウロスだ。

 その炎は召喚した者の敵を灼き尽くすと言われている。

 三角形の魔法陣の中に居る間はフラウロスは忠実であるが、一歩でも陣の外に出てしまえば、信用ならぬ相手とされ、生涯喚び出しに応える事は無い。よって魔法 陣の外に出ない事がフラウロスとの契約になる。

 だから私は三角形の魔法陣がすっぽり入る、別の陣を現す。

――オオアアアアァァア!!

 爆炎など物ともせずに、ベヘモットがその巨大な足で私を踏み潰すように落とした。

「やはりフラウロスの炎でも灼けないか…!!」

 その余りの巨躯に、炎は全く通じていない。

 三角形の陣を囲っているもう一つの陣が反応し、三角形の陣ごと私を地中に潜り込ませた。

「あっはっは!!ぺしゃんこになったかなぁ?銀髪銀眼の魔女よ?」

 愉快そうに笑うイヴ。残念ながら、間一髪地中に逃げ込んだんだよ。

 そう呟いた私だが、ベヘモットの足裏に阻まれて、私の言葉などイヴの耳には入っていないようだ。

 しかしフラウロスの炎が全く通じないとは…

 踏み潰された時、一緒で消火された炎。

 やはりベヘモットには、七王クラスでなくば傷一つ負わせる事が出来そうにない…

 しかし七王は先の戦争で…

 いや、ある…!!

 巨大なベヘモットにも、引けを取らぬ者がまだ私に在る。

 しかし、アレを喚べば、私の命が危ういかもしれない。

 せっかく良人が救ってくれた命。折角神崎が助けてくれた命を、捨てる事になるかもしれない…

 だが、私が敗れる訳にはいかない。

 この戦争での私の敗北は、良人の敗北にもなるのだから。

 唇を固く噛み締めて、覚悟を決めた。

 命を取られると決まった訳じゃない。取られても、アレ相手になら充分納得できる。

 地中の中で、目を閉じて詠唱を開始する。

 イヴの高笑いが耳障りだが、それも直ぐに収まるだろう。

 私が今喚び出そうとしている悪魔は、ベヘモットをも凌駕する存在なのだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あっはっは!!銀髪銀眼の魔女を、私が殺したぞ!!なんて手応えの無い奴だったんだ!!悪魔使役に掛けては右に出る者が無かった筈じゃないか!!あっはっはっはっは!!」

 愉快で愉快で堪らない。アダムはあの程度の女に執着していたのか。やはりつまらぬ男だ。

 アレと同じ血肉を持っているなど、恥以外何物でも無い。

 そんな程度だから失敗するんだ。

 人類全てを統べる事など、男には荷が重い。

 仮に統べる事ができたとしても、争いしか産まない。

 私なら、愛と慈しみで、全ての人類を平等に愛する事ができる。

 人類の母が、争いの無い未来を形成できるのだ。

 場を見渡す。

 私から魅了の一部を盗んだ妹は、聖騎士と並んで、此方を青ざめながら見ている。

 盗人は重罪だ。それを守っている聖騎士も同罪。死をくれてやらねばならない。

 リリムは…なんだ?髪の色が変わったな?隣に居るのは神崎か?

 何か術を掛けられて裏切ったか?ならば神崎と共に殺さねばならない。

 カインは、あの野蛮な無礼者と座りながら談笑している。

 できの悪い子程可愛いと言うが、私を侮辱したクズ男と並んで話しているとは、可愛さ余って憎さ百倍だ。

 我が子を殺すのは心が痛むが、あの男共々罪を償わせなければならない。

「仕方無い。愛と慈しみを持つ私でも、罪は清算させなければな…どんな世でも秩序は必要だ!!」

 私の世の平和の為、敢えて殺す。

「やれベヘモット!!この場に居る全ての人間を殺せ!!庇い立てするのなら、神も妖狐も飛竜も殺せ!!」

 痛む心を納得させて命令を出す。

 巨大な悪魔ベヘモットならば、一瞬で終わらせてくれるだろう。

 期待しながらベヘモットを見る。

「ど、どうしたベヘモット?何故動かない?」

 ベヘモットは魔女を踏み潰した形の儘、動こうとしない。

 いや、震えているような?

「どうしたベヘモット!奴等を殺せ!殺すんだよ!!うっ!?」

 再び命令を出したが、思わず息を飲んだ。

 魔女を踏み潰した足元から、魔力が流出している?

 しかも、未だかつて感じた事の無い、巨大な魔力が!!

「な、なんだこの魔力は?ベヘモットをも凌駕しているような…?」

 そう感じた瞬間、ベヘモットの足が地から離れた。

 そのまま背中から倒れ込んでいくベヘモット。

「う、うわわあああああああああ!!!」

 私に倒れ込んでくる巨躯!!全力で疾走し、それから逃れた!!

 地響きと共に完全に倒れたベヘモット。

 そして魔女を踏み潰していた場所から、超巨大な魔力が立ち上って、姿を形成していった。

 その超巨大な魔力は、魅了で取り込んだ筈のベヘモットを跪かせた。

 即ち魅了を凌駕する圧倒的存在があの魔力!!

「べ、ベヘモット………」

 呟く間に、姿が霞んで行くベヘモット。

 呆けながらそれを見ていると、その姿は、まばたきする間に消え去っていた。

「ど、どういう事だ…?」

「無論、還ったんだよ。魔界にね」

「!リリス?潰されて死んだのでは無かったのか!?」

 リリスは服に付着した土や埃を手で払いながら立ち上がり、私を見た。

 しかも笑みを浮かべながら。

「そ、その悪魔はお前が喚び出したのか!?」

 黙って頷くリリス。

 こんな巨大な魔力を持つ悪魔を使役していると言うのか!?

 改めてリリスの力に驚愕を抱く。

「言ったろう。悪魔使役に掛けては誰にも負けない、とな」

 そして私に向けてそっと指を差した。

「あの者をお願いします。サタン様」

「サ!サタンだと!?」

 名を聞いて、文字通り腰が抜けた。

 リリスが喚び出したのは、かの悪魔王サタンだったのか!!

 サタン!悪魔王サタン!!

 全ての力が震えに変わり、己を抱き締めるように丸くなった。

 サタンはリリスに一瞥し。

――気安く喚び出すなと言った筈だ!死にたいのか貴様!!!

 その怒号は空間全体に響き渡り、巨人と戦っていた北嶋の柱も、此方に気が付く。

 一柱の黒い蛇が血相を変えて向かって来た。

――サタン!!テメェ何しに来やがった!!

 赤い瞳に憎悪を宿し、臨戦態勢を取る黒い蛇。

「そ、そうだ!!やれ!そいつを殺せ!!」

 もしかしたら相討ちで死んでくれるかも知れない。いや、死んでくれなければ困る。

――ああ!?なんでこの俺様がテメェなんざの命令を聞かなきゃならねぇんだ!!身の程を知れ女あ!!!

 黒い蛇の周りに青い炎が揺らめぎ、それは無数の玉となる。

――テメェの担当は俺様じゃねぇが、この憤怒と破壊の魔王を上手く使おうなど、ふざけた真似を許すと思うか!!

 死ね!との声と共に青い炎の玉が私に降り注ぐ。

「うわわあああああああああ!!」

 あの青い炎を喰らえば間違い無く死ぬ!!

 絶叫し、涙する。

 その時、悪魔王の巨大な手が私の前に出て、憤怒と破壊の魔王の青い炎を止めた。

「はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!ああ~…助かったぁ~……」

 ヒヤリと湿った下着。

 間一髪。私は悪魔王に助けられた。

 もしかしたら、私の味方?

 そうかもしれない。

 私は人類の母。その存在価値は計り知れないのだから。

――テメェ……俺様の邪魔しやがったなぁ……

 憤怒と破壊の魔王の魔力が凄みを増し、憎悪が徐々に膨らんでいった。

――俺の分身よ。相変わらず好戦的だな。だが、貴様がこいつを殺しても、肉体的な死しか与えられん

「………え?」

 助かったと笑顔を作った私は、そのぎこちない笑顔の儘固まった。

――リリスの望みは全ての死。肉体は勿論、その魂もだ

 私を守っていた手が、そのまま私を捕らえた!!

「はああああああ!?た、たたたた助けてくれたのでは無いのですかあああ!?」

――アダムも魂と肉体が同時に滅んだ。つがいの貴様も時期なのだ。ましてや貴様はアダムの一部なのだから

 聞いて硬直する。時が止まったように。

 悪魔王は更に続けた。

――神でも無い者が、生物の頂点に立とうなど、恐れ多い事を考えたものだ。アダムですら、そのような思考は無かったと言うのにな…

「ちょ!ちょちょちょちょちょちょっと待ってえええええ!!」


 ゴキン


 サタンの手の中で、私の全ての骨が砕け、内臓に突き刺さった。

 下着どころか、全て血に濡れた…

 そのまま意識が遠退いて行く………


 次に意識が戻ると、私は身体半分以上『泥』に浸かっていた。

 そうか、また死ぬのか。

 今度の転生は何十年後になるのだろう。

 そんな事をぼんやりと考えながら、定まらぬ視点で空を見る。

 真っ暗だ。

 光が全く差し込まない。

 地獄の底でも、このような場所は知らない。

 だが、どんな暗闇でも、やがて目は慣れる。


 ズッ


 身体が沈んだ。


 コツン


 足に何か固い物が触れる。

 下を向く。

『泥』は透明に透けていた。

 周りの空間が暗過ぎる為に、『沼』にもその影響が現れていたのだろう。

 目が慣れたとはいえ、真っ暗な空間。如何に透明な沼とはいえ、目を凝らさねば見えない。

 足に触れた物を凝視する。

「ア!アダム!?」

 肉が朽ち、ほぼ骨となっているそれは、間違い無くアダム!!

 証拠に、肋骨が一本欠けている!!

「な、何故お前が!?」

 有らん限りの力でもがく。


 ズッズズッ


 もがけばもがく程沈んでいく身体!!

 アダムもこうして死んだのか?


 ズズズッ


「ひっ!!!」

 今度は先程よりも強く沈む。

 アダムの手がしっかりと私の足を掴んでいた。

「お、おのれアダム!私を道連れにしようと!!」

 骨だけのアダムが、私の足を引っ張っている。

 ある種の恐怖を感じる。


 …お母さん……

「え?」

 上から呼ばれた気がして、見上げる。

「お母さん…」

「カインか!助かった!!」

 カインが暗闇から、上半身のみだが現れたのだ。

「早く引き上げてくれ!ここにはアダムが居るんだ!」

 同じ死ぬにしても、この男と共には御免被る。

「…お母さん、私には引き上げる力は無いんです。此処は地獄でも天国でも無い、現世でも無い…」

「ど、どういう事だ?ならば此処は何処だ?」

 転生する為には、地獄で償うか、天国で修行するかだ。

 私の肉体は確かに滅んだが、まだ魂はこうして生きている。

 転生の準備の為に、地獄へ堕ちるのでは無いのか?

「いつものように、転生する肉体を奪うまで、潜伏すれば良いだけじゃないのか!?」

 私もアダムも、勿論カインも、真っ当に地獄で償って転生した事は無い。

 新たに肉体を得た転生する魂から、肉体を横取りしている。

「…今、私はお母さんの魂とリンクしていますので、辛うじて繋がっていますが、長くは保ちますまい」

 カインの姿がだんだんと霞んで行く。

 辛うじて潤んだ瞳を、カインから発見できた。

「…お母さん、今までお疲れ様でした。もう二度とお会いする事は無いでしょう」

「な!?」


 ズズッ!!


 先程まで胸までだったのが、今は首まで沈んだ。

「ま、待てカイン!これに全て浸かってしまったら私は…」

「魂の消滅…と、サタンは申していました」

「な、ならばあのアダムはなんだ!?白骨化しながらも、私を引き摺り込む…ああっ!?」

 再び沼に目を向けた私は、余りの驚きに叫んだ。

 私の足を掴んでいたのは白骨化したアダムでは無く、私自身になっていたのだ。

 全く生気を感じさせない瞳を私に向けながら、『私』が私を引っ張っている!!

「ひ!ひぃ!!」


 ズズズズズッ!!


 遂に口まで浸かってしまった。固く不快な泥が気道を塞ぐ。

「私も直ぐ其処に参ります。では…」

 カインの姿が、画像が乱れたテレビのように歪み、そして消えた。

「ガハア!ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ…カ、カイン…たすけ…」

 苦しい…苦しいよ…

 死ぬのは嫌だ………

 いやだ……………

 私の全てが今……


 停止した……………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 たった今、イヴの全てが終わった。肉体も、魂も、すべて無くなった。

 魅了に捕らわれていた者も全て解放されるだろう。夢か幻を見た程度の認識に落ち着くだろう。

――終わったぞ。望みは叶えた

 悪魔王の終了宣言も然り。私の望みが全て叶ったとの念押し。

「はい。ありがとうございました」

 そっと目を瞑り、悪魔王に跪き、頭を僅かに下げた。

――何の真似だ?礼、と言う訳では無さそうだが?

「気安く喚び出した償いは、私の首にて」

 静寂に包まれる場。

 イヴは滅んだ。

 良人の役に立てた。

 神崎と言う友もできた。

 もう充分だ。

 私も永き時に、終止符を打つ頃なのだ。

――オメェ正気か?死ぬ為に戦っていたのかよ?糞くだらねぇ女だなあ?

 憤怒と破壊の魔王が幻滅したように吐き捨てた。

 死ぬ為に、か…

 出来る事ならば生きていたいが、覚悟を以て挑まねばならない相手。

 一部とは言え、アダムとの決着を付けられた事で、私を縛っていた物は全て解けた。

 そして契約したと言うが、悪魔王をタダで使う訳にはいかない。

「お前も魔王なら知っている筈だ。悪魔王相手に無償は不可能だ」

 契約した状態でも私を殺そうとした悪魔王。甘い覚悟で使役できる相手では無い。

――カッ!俺様はテメェに仕えている訳じゃねぇから知った事じゃねぇが、この野郎は俺様がぶっ殺すんだよ!!オメェは引っ込んでいろよなあ!!

 憤怒と破壊の魔王の瞳が青く光ると、先程よりも大きい青い炎の火の玉を作り出す。

――貴様も一度死ななければ解らんようだな

 悪魔王の魔力が、憤怒と破壊の魔王に向かう。

「お待ち下さい。憤怒と破壊は良人の…」

 慌てて割って入ろうとした。

 だがその前に、神崎が黄金のナーガに乗って、憤怒と破壊の魔王の前に飛び出し、良人が九尾狐に乗って悪魔王の前に飛び出した。

――どけ神崎!恩人は殺せねぇっつったろ!!

――北嶋 勇…!!俺の前にまた立つか!!

 互いに放っていた殺気が逸れる。

「落ち着いて!悪魔王はリリスに喚ばれて来たのよ!」

「お前よ、喚ばれるのがそんなに嫌なら、ちゃっちゃとクズ魔王共を治せよ?俺のモンに傷一つ付けたら、お前マジぶっ殺すぞ!!」

 神崎の説得は兎も角、良人の脅しは無茶苦茶だ。

 あれでは悪魔王は本気で怒ってしまう!!

 ハラハラして成り行きを見守るしか出来ない…

 歯痒い、いや、関わりたく無いのが本音だった。

――貴様…本気で俺を怒らせない方がいいとは思わぬか!?

 嵐のように悪魔王の魔力が吹き荒れた。

 あれはマズイ!!あるだけで禍を喚ぶ魔力が、暴風の如く!!現に、神崎や良人以外は、真っ青になり、打ち震えている!!

「あん?やるのか?俺は全く構わんぞ。おら来い。普通にぶっ殺してやっから。ワンパンチ以上必要ない雑魚が。調子に乗った事を後悔してくたばりやがれ」

 草薙も持たずに手首をクイクイ曲げて挑発する良人。

 無茶だっっっ!!

 場に居る全員がそう思っただろう。

 憤怒と破壊の魔王も、蒼白になっているのが動かぬ証拠!!

――よく言った北嶋 勇!!敬いも持たぬ貴様を、これ以上生かしておいたら、気分が良く無いからなあああ!!!

 怒号が空間全体に響き渡り、良人の柱全てが、良人の後ろに付く。

 と、言う事は黄金のナーガも、だ。

 と、言う事は神崎が良人の近くまで来た訳だ。

 と、言う事は…

「余計な挑発すんじゃないわよっっっ!!」

 神崎の右ストレートが良人の顔面を見事に捕らえた。

「ぎゃあああああああ!?」

 九尾狐に乗っていた良人…

 巨大な悪魔王の目の前まで飛んで来た良人…

 ひゅるるる~、と落下していく良人…

「ぎゃあ!!」

 そして私の目の前に受け身も取らずに落ちて来た良人。

「うわあああ!!だっ、大丈夫ですか良人っっっ!!」

 焦りながら近付く。

 良人は鼻血を血溜まりに変える程流血し、ピクピクと痙攣していた。

 急いで頭を高くし、止血する為に良人の頭を膝に乗せた。

「鼻血がとんでもない事に…」

 鼻血を拭きながら、とてもおかしな事に気付く。

 丁度良くアーサー・クランクとモードも駆け付けて来た。

「良かったぁ、生きてる…」

 安堵するモード。

「全く、あんな高い所から落ちたのに、殴られたダメージの方がデカいとは、意味が解らない奴だな」

 呆れるアーサー・クランク。

 そうなのだ。

 悪魔王は巨大。

 それと向かい合っていた良人は、物凄い高い位置から落下した事になる。

 だが、鼻の他に外傷が無いとは、一体どういう事だ!?

 常識が全く通用せず、思案を通り越して困った。

 その時、遥か高みから此方を見下ろしていた悪魔王が口を開く。

――イヴと貴様の差は覚悟の差。覚悟を以て挑んだ貴様が勝ったのは、至極当然だ

 覚悟とは、対価を命として召喚した事か?

「喚び出した悪魔を片っ端から魅了で取り込まれていましたから。それに、以前お叱りを受けた身、その事を忘れる程愚かではありません」

 良人の頭が膝でグネグネ動いてくすぐったいが、ちゃんと悪魔王を見て答えた。

 神崎の圧力が尋常じゃなくなっているのは、この際気にしている場合では無い。

――ふん。確かに奴の言った通りだ。喚び出されるのが不服ならば、七王を早期復活させなければならん

 そして今度は神崎に意識を向ける悪魔王。

――お前が割って入ってくれなければ、俺は死んでいただろう。借りを作ったな

「北嶋さんは貴方に楽勝で勝つと言っていましたからね。それに、創造主の手前、本気で戦う訳にもいかないでしょう?」

 以前悪魔王が良人との戦いを拒んだのは見ていたので知っているが、悪魔王が死ぬ事を懸念していたとは!!

 この私の膝で平和そうに気絶している良人が、悪魔王相手に楽勝と考えていたとは!!

 それに創造主の手前とは一体…?

「良人…あなたはどれ程の…っ、く、くすぐったいから動かないでっ…」

「変なお兄さん起きているんじゃない?」

「まさか。婚約者の目の前で故意にこんな真似は出来ないだろう?多分…」

 か、神崎の圧力が果てしなく巨大になっていく…

――神崎に免じて今回の喚び出し、不問にしてやる。七王の復活を急いでおく。貴様の友の為、有効に使うがいいだろう。俺は還るとしよう。おかしなとばっちりを喰う前にな

 悪魔王は、神崎に視線を向けながら、徐々に姿を消していった…

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