従う者達

 街外れの寂れた教会。

 牧師、いや、訪れる人間など居るのか?と思う程に古びられている。

 見ようによっては朽ち果てているとも取れる建物。

 庭の草は伸びた儘、イチヂクの木は剪定をやめてから何年経つのか、枝が歪に生え曲がっている。

「少しくらい手入れをすればいいものを」

 ハンカチで口を押さえながら、建て付けが悪過ぎる扉を開けた。

 開けた事により日の光が差し込む教会内。真正面のキリスト像にも埃が積もっている。

 歩く度に埃を潰し、足跡が付く。

 成程、中でこの状態だ。外など端から眼中にないのだろう。

「全く…よく牧師を名乗っているな」

 舞い上がる埃を吸い込まぬよう、ハンカチを当てている筈だが、喉が少し痛んだ。

「お久しぶりですね」

 不意に背後から話し掛けられる。

「買い物にでも出ていたのか?」

 ゆっくりと振り返る私。

「まさか。今日辺りお見えになると思いましてね。久々に教会に来ただけですよ」

 40を少し越えた男が、丸めた頭を軽く下げ、整えた髭を少し気にしながら、私に向かってはにかんだ。

「引っ越したのなら連絡くらい寄越しなさい。電話は通じない。マンションにも居ない…」

 だから手掛かりを求めてこの教会に来たのだが。

「新しい女が家を買ってくれましてね。今は其方の方に」

 下げた頭を正し、やはりはにかんで私を見る。

「牧師が女を騙して貢がせて優雅な生活か…とんだ聖職者がいたもんだ」

 呆れながら机に腰を掛けようとした。

「今机に座ると、その高価そうな服が、埃まみれになりますよ」

 くっくっと笑う男。

 私は慌てて机から離れた。

 男は徐に上着を脱ぎ、比較的汚れていない椅子を、それで丹念に拭いた。

「これで我慢して下さい。お母さん」

 拭いた椅子を私に向ける男。

「年齢が上の男から『お母さん』と呼ばれたくないと、何度言ったら解るんだ。カイン」

 呆れながら椅子に腰を掛ける。

「カインと呼ばれるのも久しぶりですね」

 くっくっと笑う男…カイン。

 最初の人間、アダムと私との間にできた子。

 人間で『最初の嘘』を言った男。

 そして、人間で『最初に身内を殺した男』。

 私の最初の子が目の前の男なのだ。

 アダムとイヴが、エデンの園を追われた後に生まれた。それがカイン。

 カインは農耕を行い、次男、アベルは羊を放牧するようになった。

 ある日2人は、各自の収穫物を創造主に捧げる。

 カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、創造主はアベルの供物に目を留めたものの、カインの供物には目もくれなかった。

 嫉妬にかられたカインはその後、野原で弟アベルを殺した。

 しかし、大地に流されたアベルの血は、創造主に向かってこれを訴えた。

 その後、創造主にアベルの行方を問われたカインだが、

「知りません。私は永遠に弟の監視者なのでしょうか?」

 そう、答えた。

 これが人間の吐いた『最初の嘘』だという。

 カインはこの罪により、エデンの東にあるノドの地に追放された。

 この時創造主は、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。

 また人々に殺されることを恐れていると言ったカインに対し、彼を殺す者には七倍の復讐があることを伝え、カインを殺させないように刻印をしたという。

 弟を殺しながらも創造主からの加護を受けた『特別な人間』…

 私は我が子カインに会いに来たのだ。

「悪いがお前の力が必要になった。一緒に来てくれるね?」

「私の力がですか?まさか敵は父では無いでしょうな?」

 流石に勘弁だと両手を広げて首を振るカイン。

「奴ではないよ」

「父では無い者に私の力が?あなたの魅了があれば、全ての人間を意のままに虜に出来るのに?」

 …色々難癖付けて断ろうとしているようだ。相変わらず怠け者だな、と溜め息を付く。

「いいから来なさい。愛しき我が子よ」

 ギロリと睨む。

「…その眼光…本気のようですな…相手は人間ですよね…」

 やれやれと肩を下ろして、来た道を引き返すように振り返る。

「どこに行く?」

「せめて着替えくらいは持たせて下さいよ。一度家に帰って支度したら戻って来ます」

「この埃だらけの教会で待てと言うのか?」

 カインはあからさまに大きな溜め息を付く。

「ご一緒にどうぞお母さん」

「だから母と呼ぶな。むしろお前の方が、私の父親に見える」

 苛立ちながらカインの後を追う。

 だが、この教会に留まるよりは遥かにマシだ。


 家に着き、着替えを取り、再び車に戻ったカイン。面白くなさそうにキーを捻った。

「で、次はどこへ向かえば宜しいので?」

「それより何だこの安物の車は?母を労る車とは思えないな」

 座るとお尻が痛くなる薄い椅子。何度も身体を動かして楽な姿勢を探す。

「生憎と車には興味が無いんで。申し訳ないが、我慢して貰いますよ」

 乱暴にステアリングを切るカイン。私の身体が薄いドアにガツンと接触する。

「痛いだろう!!母を労われと言っただろう!!」

「じゃあ次は、ゆったりとした車を持っている下僕を捜す事ですな」

 ………まぁいい。子はいずれ母から離れていくもの。

 とは言え、私よりもかなり年上の子供だが。

「で、次は?」

「次はだな…」

 気を取り直して道を指示する。

「ふむ、その場所だと1日は必要ですが」

「お前は車で休むといい。私はホテルに泊まるから」

「腹を痛めて産んだ子に、随分と酷い提案をしますね」

 苦笑いをしながら車を走らせるカイン。

 彼は女を騙して寝床くらい確保できるだろうから、心配はいらない。


 昨日から痛い椅子に揺られて漸く到着した場所。

 ここはイギリス北東部。

 かつてこの地にいた化け物に、私は会いに来たのだ。

「魅了は通じますかね?」

「悪魔にすら通じた魅了だ」

 カインは特に興味が無さそうに辺りを見渡す。

「この川にねぇ…」

「無論、魔界に通じる入り口から現れるんだけどな」

 チラッとカインを見る。

 溜め息を付きながら、丸めた頭を掻いた。

「私に繋げと言う訳ですか。」

「なんの為にお前を連れて来たと思っているんだ?」

 グッタリしながら呪を唱えるカイン。

「…居ますがね。開きますよ」

 川に向かって両手を翳すと、宙にダビデの星の魔法陣が現れる。

 いや、よく見ると、逆五芳星か。

「ふんんっ!!」

 一つ気合いを入れると、空間に穴が穿った。

「開きましたよ」

「ご苦労。では行くか」

 穿った穴に入って行く。カインも嫌な顔をしながら、後を追ってきた。

「いつ来ても、魔界ってのは薄気味悪いですねぇ」

 大袈裟に自らの身体を抱き締めるカイン。

 確かに足元が沈む様な湿った大地。

 周りには岩、岩、岩。

 赤い光のみが闇を照らしている空間。

 ただ居るだけで平行感覚すら失いかねない。

「ならば早く捜すんだ。グズグズせずにな」

「お母さんが無理やり連れて来たんですが」

 言いながら目を紅く光らせる。

「3時の方向…水場があります。汚い水ですがね」

「そこに居るのか。解った」

 カインの言った方向に足を向ける。

「頑張った子供に労いの言葉は?」

「子が母の為に頑張るのは至極当然」

「こう言う時だけ母ですか…」

 ブツブツ文句を言いながら、後を付いてくるカイン。いきなり立ち止まり、声を上げた。

「…まさか、奴を捕らえるのも私?」

「魅了が通じなければな」

 言われたカインは思いっ切り大きな溜め息を付く。

「横暴さが父とそっくりですが…」

 そう言いながら、私より前に出て歩き出した。

 やがてカインが言った通り、水場辿り着いた。

 着いたが…

「水場と言うよりヘドロじゃないか…」

 あまりの悪臭に鼻を覆う。

「こいつが欲しいんでしょう?妹のワイバーンにぶつけるんですか?」

 笑いながら私を見て、親指を汚水に向けた。

 見ると、汚水の中に赤い光が二つあった。

「目が光っているのか!!」

 思わず笑いがこみ上げてくる。幼かった妹を魔界に捨てた時を思い出して。

 結果ワイバーンを連れ帰って戻って来てしまい、殺し難くなってしまったが。

「ヘドロが沈んでいきます。出ますよ。気色悪く笑っている場合では無いです」

「誰が気色悪いんだ!!この私に向かっ…」

 最後まで言う暇すらなく、私が欲した魔物が、ヘドロの中からゆっくりと、そして徐々に姿を現す。

「こいつがラムトンのワーム…」

 黒い身体に目と大きな口。まるで巨大なミミズの如く。

 そのラムトンのワームは、真っ赤な瞳を私に向け見下ろした。

 イギリス北東部、ウィア川沿いに屋敷を構えるラムトン家の跡取り息子は、不信心で怖い物知らずだった。

 安息の日曜日に教会のミサに行く訳でも無く、釣りに行ってばかり。

 この日もラムトンはミサをサボって釣りに出掛けた。

 魚一匹掛からなかったが、最後の一投で糸が引く。

 だが釣り上げたのは、イモリのような頭を持ち、口の両側に穴が九つずつ開いている、醜悪なワームだった。

 ラムトンが大声でワームを罵っていると、見知らぬ老人がそれを見て忠告した。

 不吉な生き物だが川に戻してはならない。釣り上げた者が責任を取って預かるべきだ。と。

 だが面倒だったラムトンは、ワームを近くの井戸へ放り込んだ。

 時が流れ、井戸の中で成長したワームは、井戸からはみ出す程大きな成竜となり、その醜い姿を地上に現した。

 昼間はウィア川の真ん中にある岩をねぐらとし、そこで蜷局を巻いて、夜になると近隣の村を襲い、羊を食らい、村人達を脅かした。

 この災厄を招いたのは自分である事を悟ったラムトンは、流石に責任を感じ、イエス・キリストに誓いを立てて聖地巡礼へと赴いた。

 その間もワームは暴れ続け、村人はこの怪物を鎮める為、毎晩牛九頭分の牛乳を捧げていた。

 その為七年も経過すると村は荒れ果て、ワームに捧げる牛乳を用意する事も出来なくなっていた。

 屈強な男達や遍歴の騎士達がワームに挑んだものの、殆どの者が命を落とした。

 巡礼から戻ったラムトンは、自分の行いを懺悔し、父親がその罪を許した。

 ラムトンの父親は賢女の元へ赴き、ワームを倒す知恵を借りるよう命じた。

 賢女はワームを釣り上げたお前だけが、この怪物を倒せるのだと言い、鍛冶屋へ行き、槍の鉾先を埋め込んだ鎧を作るよう助言。

 そして屋敷の敷居を跨いで一番初めに出会った者を殺すよう命じた。

 これを怠ったなら、ラムトン家は三の三倍の世代までベッドの上で死ぬ事は出来ないとも言った。

 ラムトンは言われる儘鎧を作らせ、その鎧を着てワームに挑んだ。

 ワームは長い身体でラムトンに巻き付いたが、埋め込まれた槍の鉾先が全身に食い込み、ウィア川はワームの流した血で真っ赤に染まった。

 痛みと苦しみでワームが力を緩めると、ラムトンは自由になった腕で剣を振るい、ワームを殺した。

 ラムトンは勝利の合図のラッパを三度吹き鳴らし、家に帰った。

 賢女の言葉を実行する為、ラムトン家では猟犬にラムトンを迎えさせる事になっていたのだが、父親が喜びのあまり自らラムトンを出迎えてしまった。

 召使い達が慌てて猟犬を放したが時既に遅し。

 実の父親を殺す事など出来る筈も無く、賢女の警告通り、以後九世紀の間、ラムトン家の男は誰一人としてベッドで安らかに死ぬ事はできなかったと言う。

 凶暴性は竜の眷属として当然。

 呪いをも仕掛けるイギリスの伝説の邪龍、ラムトンのワームが、私の目の前に居る!!

 その巨大な口を開け、赤い瞳で私を見据えている!!

 この化け物ならば、モードのワイバーンを倒せる。最低相討ちには出来るだろう。

 喜びながら震える脚を一歩前に出す。

「魅了は通じそうですか?」

 一応いつでも仕掛けられる用に集中しているカイン。

「通じているから襲って来ないだろう。もう既に…」

 取り込んでいる!!

 ニヤァと笑う私は、そのままワームに向かって右手を翳した。

 ワームは巨躯を窮屈に畳みながら、その巨大な頭を私の右手よりも下に置いた。

 背後から口笛が聞こえる。

「流石ですねお母さん。やはり私は必要無かった」

「それは当然で、お前はただの保険だ」

 ガックリと肩を落とし、腕を組み、首を傾げるカイン。

「何でこんな性悪女に民衆は跪くのかねぇ………」

「それは私が母だからだ。お前も遠慮無く跪いてもいいんだよ?」

 自分でも解る程、ギラギラした目でカインを見ながら笑っている。

「御冗談を。お母さんに跪くなど、子が出来よう筈がありません。むしろ慈しんで戴きたいものです」

 肩を落としながら来た道を私より先に歩き出すカイン。

 私はその後ろ姿を笑いながら見て、ワームを連れて後を追った。

 対ワイバーン用のラムトンのワームを手に入れた私は、家に帰るようカインに命じた。

「もう宜しいので?ワーム一匹の為にわざわざ…」

 本当に面倒臭そうなカイン。だが、既に駒は揃っている。

 以前魅了し味方に付けた強者が、私の家に集結してくる筈だ。

 …以前っていつだったか?思い出せないが、まあいい。取るに足りぬ、些細な事だろう。

 後はマーリンと合流し、モードの、いや、あの男から一部を貰うだけだ。

「その顔、別に全滅しても構わないようですが…?」

「解るか?私は力の一部さえ手に入れれば良いのだ。勿論お前も死んでくれて構わないよ」

 冗談では無い、本心で言った。

 そしてカインはその本心を知っている。

「私も逃げても構わないんですよね?」

「私を無事逃がしてくれたらな」

 わざと大きな溜め息を付くカイン。

「割に合わない親孝行ですが…」

「ふ、そう言いながらも、逃げる事など考えておるまい?」

「まさか。私はただの牧師。戦闘向きじゃない」

 言いながらも不敵に笑っているカイン。

 殺す喜びを知っている者が、殺してもいい状況で逃げる訳などないのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 美しき愛すべき女性、モルガンから言い渡された一週間後の空港での待ち合わせ。

 一足早いハネムーンを楽しもうと、共に来ると言う牧師達の好意を断り、たった一人でモルガンを待っていた。

 約束の時間は9時だが、楽しみで楽しみで、昨晩から空港で待っていたのは内緒だが。

 ああ、モルガン。

 この私の心を此程までに捕らえる女性。

 あの愛くるしい唇に触れたい。

 あの折れそうな細い腰を抱き締めたい。

 あの艶やかなうなじに触れたい。

 あの豊満なバストに顔を埋めたい。

 あの引き締まった尻を撫で回したい。

 あのスラリと伸びた美しい足で踏んで貰いたい…

 

 想像したら、色々とヤバい状態に陥った。

 またトイレに行こうかなと、思った矢先、人が塊になった如く、人の壁が私の視線の先に現れた。

 その人の壁は空港に居る人々を取り込んで行き、徐々に広がって行く。

 あの人垣を作れる者は、この世でただ一人…

 頬が火照っている事に気付きながらも、そこから動く事が出来ないでいた。

 私の前で人垣が割れて行く。

 自分でも解る、キラキラとした期待の眼差しを、人垣を作っている中心の女性に目を向ける。

 女性は、私が知っている長いカールが掛かった髪では無かったが、その美しい顔はまさしく…

「…モルガン…!」

 そう、私の愛するモルガン。

 私の全て、モルガン。

 モルガンモルガンモルガンモルガンモルガンモルガンモルガンモルガンモルガンモルガン…

 床を蹴るヒールの音が接近してくる。

 堪らずに自らも床を蹴る。

「…モルガン!」

 距離にして数メートルだが、私にしてみれば、光年の彼方にも思える長き距離…

 時間にして数秒だが、私にしてみれば、永遠とも取れる長き時間…

 それでも触れる時は来る。

 私に笑顔を向けるモルガンの頬に手を触れようとした瞬間、モルガンの背後から、私目掛けて剣が伸びてきた。

 首を捻って躱し、モルガンの頬に触れる事に成功する。

 この温もりは、私の為だけにある温もり。

 堪能している私に、剣の持ち主が私とモルガンの間に割って入って来た。

 金の髪を逆立てて、血走った眼を私に向ける武骨な男だ。

「…何だ君は?私とモルガンの蜜なる時を邪魔をするな」

 男は血走った眼を私に向けた儘叫んだ。

「おおおお俺の望みはああああ!!モルガンに害する者の命いいい!!」

 剣を高々と振り上げる男。

「…凄まじい魔力を感じる剣だな。真っ黒な刀身、黄金の柄…」

 感心しながらも身体を捻り、剣撃を逃れる。

「む?」

 振り下ろした先からほとばしる魔力…

 床が裂け、斬撃痕が私の後ろに走った。

「…凄まじい切れ味…まるで聖騎士のエクスカリバーのようだ」

 聖騎士のエクスカリバーは聖なる炎を纏っているが、この黒い剣は命を吸っているようだ。

 まるで対局に位置するように。

「…魔剣テュルフィングか?」

 頷く代わりに男が笑った。

 血走った眼…狂戦士(バーサーカー)の証の眼を私に向けながら。

 望みはモルガンに害する者の命。

 つまり味方ではある。

 あるが…

「…テュルフィングは一度鞘から抜けば、必ず誰かを殺さねばならぬ筈」

 誰かを斬らねば鞘に収まる事は無い。

 だが、いくら味方とは言え、殺されてやる義理など無い。

「モルガン、彼を殺しても?」

 モルガンはその美しい瞳を閉じ、苦しそうな表情をして、首を横に振った。

 おお!!愛しきモルガン!!

 君にそんな表情は似合わない。

 私の為に永遠に笑っていておくれ…!!

 仕方無い。取り敢えず、誰かを殺せば気が済むのだろう?

 モルガンの周りを見ると、後ろに40代の髪を剃った男が呆れ顔で私達を見ていたのが見えた。

「…すまないが、モルガンの為に斬られて死んでくれないか?」

 男はキョロキョロと周りを見た後、恐る恐る自分に指を差した。

 頷く私。

「御冗談を!何故私がおか…」

 慌てて口を塞ぐ男。そして溜め息を付き、呪を唱えた。

 その間にも剣を振るテュルフィングの男。凄まじい斬撃だが、躱す事は可能。

 ともあれ、躱すその都度、空港ロビーの床に斬撃痕が走る。

 誰か巻き添えで斬られてくれないかとも思ったが、不幸にも私の周りに人は居ない。

 そんな事を考えていると、髪を剃った男の詠唱が終わった。

 同時に現れる狼を模した悪魔、人狼。テュルフィングの男目掛けて向かって行く。

「…成程、生贄みたいなものか。だが…」

 人狼の身体能力では、テュルフィングの男を逆に殺す事になるのではないか?

 もし、テュルフィングの男が人狼に殺される事にでもなったら、心優しきモルガンが酷く悲しむ事になる。

「そんな心配なさらずとも大丈夫ですよ魔導師殿。おか…モルガン様が連れて来た戦士が、人狼程度に劣る訳が無い。彼は聖騎士とぶつける為に連れて来たらしいですからね」

 髪を剃った男がウインクをして私の肩を叩く。

 成程、ヴァチカン最強の聖騎士と戦う男ならば、人狼如きに遅れを取っていたら仕方無い、か。

 私達は少し離れて、狂戦士と人狼の殺し合いを見物する事にした。

 どのみちここで死ぬ程度の男ならば、モルガンの足手纏いにしかならないのだから。

 テュルフィングの斬撃を軽やかに躱して、人狼が間合いを詰めて行く。

「ぉおおおおせぇえええ!!」

 血走った眼で笑いながら遅いと叫ぶも、人狼には全く届いていないが、本当に大丈夫か?

「あのスピードを遅いとは、あの剣士、やりますなぁ」

 顎に指を当てて感心する髪を剃った男だが、負け惜しみにしか聞こえないのは私だけなのか?

 怪訝な顔で男を見ると、視線に気付いてニカッと笑う。

「人狼は全力のスピード。ですが、一振り一振りがそのスピードを上回っています。つまり遊んでいる訳ですな」

 言われてみると、人狼に当たらないギリギリの所に、テュルフィングを下ろしている。

 人狼が一歩遅れて避けている、と言った感じだ。

「…それに気付くとは、あなたもなかなかやる方ですか?」

「何、昔色々ありましてなぁ。剣にも多少覚えがあるだけですよ魔導師殿」

「…名前は何と?」

「色んな名前を名乗りましたが、今はカイン、とでも」

 カイン殿、か。

 その悪戯な笑顔がモルガンに見えるのは、何故だろう。

 兎に角気になる男ではある。

 間合いを詰めた人狼が鋭く尖った爪を薙ぐ。

 全く動かない狂戦士だが、人狼の爪は頬を掠めるか否かと言う刹那の所で外れる。

「…今、柄で…」

「そうですな。肘に当てて軌道をズラしましたね」

 あの一瞬で人狼の一薙ぎをいなすとは。

 身体が泳ぐ人狼。背中が無防備だ。今、剣を振れば終わる。

 だが狂戦士は膝を人狼に当て、ただ身体をふっ跳ばした。

 床に仰向けに倒れる人狼。

 笑いながらテュルフィングを突き刺す。

 次に視界に入ったのは血柱だ。

 遅れて人狼の右腕が床に落ちてきた。

「ギャアアアアア!!」

 絶叫する人狼。構わずに左腕にテュルフィングを突き刺す。

 先程と同じ光景が目に映るも、今度、落ちてきたのは左腕だ。

「…なぶり殺しにするつもりか?」

「そのようで。狂戦士とは悪趣味ですな」

 肩を竦めてヤレヤレと言った感じのカイン。

 自分が呼び出した人狼が、あのような仕打ちを受けても心が痛まぬとは、なかなかな悪党と見える。

「ギャハハハハハハハハハハハハハハハ!!ハーッハハハハハハハハ!!」

 最早肉片となって原形を留めていない人狼に、執拗にテュルフィングを突き刺す。

 やがで息を切らせて血溜まりに膝を付き、空を仰いで更に笑った。

「ギャハハハハハハハーッ!!ハァーッ!!ハァーッ!!」

「…む?」

 右手に握られたテュルフィングが、人狼から発している白い靄みたいな物を吸い込んでいるように見えた。

「血と魂をたらふく喰って満足したんですな、あの魔剣は。いやはや、面倒臭い剣ですなぁ」

「…面倒臭いで終わりますか。だが、鞘に収めなければ」

 狂戦士化は解けない。解けなくば、我々にも襲い掛かるだろう。

「どうしますか?」

 …心が読めるのか?兎に角鞘に…

 そう思ったその時、目的を果たしたのか、いきなりテュルフィングを鞘に収めた男。

「ハハハハーッ……はああっっっ!!」

 力を使い果たしたように、血溜まりに両手を付き、息を切らせる。

「やはり満足したようですな」

 涼しい顔で狂戦士に近寄って行くカイン。そして腕を引っ張り、無理やり立たせた。

「はぁーっ!!はぁーっ!!くっ…くふふふ…弱えぇ…弱えなワーウルフ…くふふふ!!」

 カインから腕を強引に振り解く男。人狼を殺して恍惚している。

 狂戦士化が解けたとは言え、元々の素質か。

 男は返り血でドス黒く染まった顔を腕で拭い去り、私に視線を向けた。

「す、すすす、すまないなぁ…こ、ここここ殺しそうになっちまってよぉ…仲間とは言え、テュルフィングを抜けば見境無くなっちまうんだ…く、くふふ……!!」

 瞳孔が開いた眼。整った鼻。多少痩せた顔。

 ヴァチカンの聖騎士に勝るとも劣らない程、鍛え抜かれた身体が服越しでも解る。

「…英国国教会の魔導師マーリンだ」

 いきなりニヤリと笑い、顔を上げる男。

「クラウス様」

 恐らく狂戦士の名だろう。

 悲しそうに呼ぶモルガンにピクリと反応し、狂気な笑いをやめた。

 対して私のモルガンが他の男の名を呼んだ事で、私は男を殺したくなった。

「クラウス・トイフェル…狂戦士の家系だ」

 だから何だ!!ぶっ殺すぞこの野郎!!

 そう、憎悪の眼で、クラウスが差し出した握手の手を気持ち強めで握り返した。

「終わりましたか?そろそろフライトの時間ですが」

 モルガンの後ろからヒョコッと顔を現す女に、私は心底驚いた。

 この女…似ている。

 銀の髪、多少尖った耳、美しい顔立ち。

 そう、銀髪銀眼の魔女に似ているのだ。

「そうですか。カイン、片付けて下さい」

「えー!!面倒臭えー!!」

 ブチブチ言いながら呪を唱えるカインだが、私の興味は魔女に類似している女に向いていた。

「何ですか魔導師さん。私の顔に何かついていますか?」

 肩に多少掛かる髪を無理なく上に掻き上げて、挑発するような目を私に向ける。

「…いや、少しあなたに似ている人を知っているもので…驚いただけです」

 そう言いながら顔を背ける。

 狂戦士と言い、この女と言い、何故私に敵意を向けるのだろうか?

「英国国教会の魔導師マーリンと言えば、最強の魔導師と名高いですからね。彼等があなたに興味を抱くのは当然の事です」

「…ふむ、有名税と言うやつか」

 多少ではあるが、気分が良くなり、思わず口元が釣り上がる。

「ですが、北嶋 勇の名に比べたら見劣りしますけどね」

 屈託なく笑うカイン。いちいち鬱陶しい男だ。

 魔女に類似している女が、モルガンの手を引いて先に歩いた。

「くふふふ…モルガンの為とは言え、ヴァチカン最強の聖騎士に、噂の北嶋か…くっ!くふふふ!!」

 狂戦士が後に続く。

「さて、私達も行きますか。面倒だけど」

 私の背中をポンと叩き、歩く事を促すカイン。

「…あなたは本当にモルガンには興味無さそうですね」

「はぁ…勘弁して下さいよマーリン殿」

 うんざりした表情。

 本気で嫌そうだ。

 それに安心して頷く。

「…では私達も行きましょうか、カイン殿」

「殿はいりませんよ。同じ英国国教会所属とは言え、知名度はあなたの方が遥かに高いんだから」

 確かにモルガンが連れて来た戦力だが、カインと言う名は知らない。

 強ければ、英国国教会所属ならば、噂くらいは耳にしそうなものだが。

 いや、あったな。カインと言う名の『詐欺師』とやらが、英国国教会に属していたな。

 ペテン師とも呼ばれていたか?

 まぁいい。

 私は北嶋を殺して肋骨の一部を奪い、モルガンに渡し、その夜シッポリと行く事が望みなのだから。

 意気揚々と歩き出した私。

「マーリン殿!!顔!!顔!!」

 慌ててにやけた表情を整える。

 カインか。

 なかなか気が利く男だ。

 私は、一気にこの男に好感を持った。

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