モード救出

 池に映った月に目を向けながら呟いた。

「そんな事があったのね……」

 まさかリリスとアーサー二人掛かりで挑んで退くとは思わなかった案件。

 アダムの肋骨の一部、モード。

 英国国協会の魔導師マーリン。

 そして、恐らくは生まれながらにしてアダムの気配を持っているモードの姉、モルガン…

 アーサーはヴァチカンとプロテスタントの関係を壊さない為に、思い立った行動はできない。

 リリスはそのアーサーや私達の義理で迂闊に攻撃はできない。

 二人共、勿論向かって来るのなら受けて立つだろうが、魔導師はワイバーンと言う魔獣を使役しているモードを守っているリリス達に、大義名分の元、いつでも攻撃可能。

 いろいろと分が悪い。

「良人、どうにかなりませんか?せめてモードだけでも…」

「大丈夫よ!北嶋さんならこんな事難問でも難解でも無いわ!」

 望みと期待を込めて北嶋さんの方に顔を向ける私達。

「カ~…カ~…」

 北嶋さんは平和に……

 平和に、立ったまま寝ていた……!!

「………ちょっと待ってて」

 口を開けパクパクしているリリスを横目に、真っ直ぐ北嶋さんに向かう。

 そして左拳を垂直に構え、そのままボディにぶち込んだ。

「ぐはあ!?」

 目を見開き、肝臓を押さえて膝を付く北嶋さん。

「…目覚めたかしら?」

「ね、寝てねぇよっ!!」

 見え透いた嘘を堂々と…

 ならば、と問い掛けてみる。

「じゃあ、どんな話をしていたかしら?」

「な、なんか混浴がどうとかぷべっ!!」

 膝を顎に下からかち上げた。

「し、舌噛むだろうが!!」

 文句を言う北嶋さんの胸座を掴み、持ち上げて真面目から見据える。

「……もう一度だけ話すから、しっかり聞きなさい………」

「は、はい…」

 青ざめながらコクコク頷き、涙目になる。

「リリス、悪いけど、もう一度お願い」

「あ、ああ。え?も、もう一度最初から?」

 黙って頷く私だが、リリスは可哀想な程落胆して、力が抜けたようにガックリと肩を落とした。


「…と、言う訳です」

 同じ事を話したリリス。

 最初話した時のように、感情を交える事も無く、機械的に淡々と語るのみだった。

「ふーむ、成程。よっく解った」

 座り込んで話を聞いていた北嶋さんが徐に立ち上がる。

「で、どうする?」

 期待を込めて訊ねた。

「取り敢えず、寝る」

 時が止まったかと思った程、この場は静寂に包まれた。

 思いっ切り伸びをして、本当に池から去ろうと歩き出す。

「ち!ちょちょちょちょ!ちょっと待って!!」

「あの、話を聞いていましたか!?」

 流石にリリスも声をあげてしまった。

「無表情が守ってんだろ?なら問題無いだろ?」

 深夜だから眠いをアピールしているのか、しきりに欠伸を噛み殺している北嶋さん。

 確かにアーサー・クランクが守っているのなら、危険に晒す筈は無い。

 無いけれど!!

――…傷を治して貰ったのには感謝するが、これ以上は頼れそうも無いようだな

 ワイバーンが呆れながら、その翼を広げ始めた。

「待てジャバウォック!君が行ってもモードは助けられない!」

 慌てて止めるリリス。

「北嶋さん、早く何とかしてっ!!」

 焦りながら北嶋さんの背中を掴み、グラグラ揺さぶった。

「だっ!だだだだだから!無表情が守って!」

 あまりにも揺さぶられた北嶋さんは、此方の方を振り向く。

 北嶋さんの目に映ったのは、今にも飛び立とうとしているワイバーンと、必死に止めているリリスの姿。

 深い溜め息を付き、頭をバリバリと掻いた。

「お前等もっと無表情を信じろよ…しゃーねぇなあ…神崎、布団を三組用意しろ」

「ふ、布団?」

 意味が解らずに聞き返す。

「銀髪と無表情、そして小娘が寝る布団だよ」

 ピタリと固まるリリスとワイバーン。対して私は明るくなった。

「解ったわ!今すぐ用意するから!」

「全く、俺は眠いっつーのに…」

 ブチブチ不満を漏らしながら、北嶋さんは草薙を喚んだ!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「はぁーっ!!はぁっ!!はっ!!」

 息を切らせながら協会の物置小屋に身を潜める俺。

「うぅっ…うぇぇ…うぅ…」

 そして、先程から泣いているモード。

「はぁっ!!はっ!!も、モード、頼むから泣き止んでくれ…」

「だってぇぇえ~…うぇぇん!!ジャバウォックは傷だらけで飛んで行っちゃったし~…牧師さんが私達を追ってくるし~…うぇぇ!!アーサーは息切らせて何か変態さんみたいで怖いし~…びぃぃぃ!!」

 …飛竜と魔導師は兎も角、変態さんとは心外だ。

 心外だが、今はモードを静かにさせる事が先決だ。

 何とかヴァチカンに連絡を取り、ステッラに迎えに来て貰うまでは、身を潜めでやり過ごすしか無い。

 しかし、此処もいずれ見つかるだろう。

 その前に、少しでも遠くへ逃げなければならない。

「モード、静かにして此処から離れるんだ」

「いゃだあぁぁ~!!びぇえええ!!」

 より一層声を張り上げて泣いてしまったモード。勿論俺は焦った。

 このシチュエーションを誰かに見られたら、おかしな誤解を受けるかも知れないと、別の意味で静かにして貰いたかった!!


 ガチャリ


 扉が開く音がして固まる俺達。


 ギギギ…


 ゆっくりと扉が開き、薄暗かった物置小屋に、日の光が差し込んでくる…

「魔導師マーリンか…」

 エクスカリバーを抜き、身構える。

 マーリンは嫌らしい笑みを浮かべながら此方を見た。

「…いやいやいやいや……ヴァチカン最強の聖騎士が少女暴行とは……」

「な!なんだと!?」

 俺はあまりの驚きでエクスカリバーを落としそうになった。

「…その娘はまだ16歳ですよ聖騎士…無理やり迫って泣かせるなど…」

「ば、馬鹿な!誤解だ!」

 勿論誤解だが、妙に焦ってしまう。

「…惚けますか聖騎士?彼女が泣きじゃくっているのがその証拠」

 そう言いながら、モードに指を差す。

「びぇえええええ!!怖いよぉおお!!びぃぃぃい!!びぃぃぃいいい!!」

 モードは確かに本気で泣きじゃくっている。

 いるが、これは俺が迫ったからじゃない。そもそも迫ってなどいない!!

「お前が現れたからだろう!!断じてお前のゲスな勘ぐりの通りじゃな…ぃ……」

 胸を張って言いたい所だが、何故か俺は遠慮がちに言った。

「…いずれにせよ、少女暴行など、私の目の前ではやらせませんよ…その娘は私が『保護』させて貰います」

 保護だと!?こいつ、このシチュエーションを瞬時に利用したのか!!

 怒りが沸き起こってくる。

 俺を陥れる大義名分を得る為に、色々と鬱陶しい男だ…!!

「貴様の好きにさせると思うか?」

 今度こそ、本気でエクスカリバーを構えた。

「…力付くで来い、と言う訳ですね」

 目を見開き、吊り上がった口を向けながら、ケーリュケリオンを前に出し、呪を唱え始めるマーリン。

「やらせるか!!」

 一歩踏み出そうとしたその時、俺とマーリンの間、いや、寧ろマーリンの目の前に、刀の刀身がいきなり現れた!!

「うっっ!?」

 流石に驚いたのか、マーリンは呪の詠唱をやめる。

 その刀身は瞬時に下に空間を『斬り込んだ』!

 そのまま右上に跳ね上げられる刀身。ガゴォッと何かが砕け散る音。

 同時に、空間に穴が穿たれる。

「こ、これは一体!?」

 ワナワナ震えるマーリン。

 その穴から人間が出て来る様を、目の当たりにしている。なにが起こったのか理解できないのだろう。

 そいつは能天気な、眠そうな顔を穴から覗かせ、キョロキョロと見回していた。

 後ろに居る俺を発見して面倒臭そうに言う男。

「あー居た居た。やい無表情。超面倒だが、やいやい言われて小娘を迎えに来たぞ」

 俺は歓喜して叫んだ。

「北嶋あ!!」

 その男は当然北嶋だった。

 俺の友。史上最強の霊能者。圧倒的な力で人類の祖を退け、悪魔王ですら戦う事を拒んだ男!!

 北嶋 勇がわざわざ俺達を迎えに来てくれたのだ!!

 穿った穴からのっそりと出て来る北嶋。蒼白になっているマーリンを豪快に無視して、俺達に近付いて来る。

「すまないな北嶋…あ、あれ?」

 喜びながら北嶋に駆け寄るも、俺すらも豪快に無視し、モードの前に立つ。

「おい小娘。お前も災難だが、俺なんか爆睡途中で叩き起こされて迎えに来たんだ。ボケっとしてないで礼くらい言え」

 突然現れた北嶋に呆気に取られていたモードが、思い出したように再び泣いてしまった。

「うゎあああん!!変なオジサンがぁああ!!びぃぃぃ!!!」

 あきらかに苛ついた表情に変わった北嶋。

 マズい。北嶋の機嫌を損ねて、脱出できるチャンスを逃がす訳にはいかない。

 慌ててフォローをかけようとする俺だが、北嶋はいきなりゲンコツでモードの頭を叩いた。

「ぎゃん!!」

 頭を押さえて蹲るモード。

「お、おい北嶋、せっかく助けに来てくれて何だが…暴力は…」

「躾だ躾!この俺を相手に、変なオジサンとは失礼極まりないだろうが!変なオジサンは志村けんで充分だ!!」

 怒り出し、蹲っているモードの襟首を掴み上げ、立たせる北嶋。

 俺はハラハラしながら、その状況を見守るしか無かった。

「おい小娘。お前は此処に留まっていたら確実に殺される。あの針金頭と、その飼い主にな。そんなお前をわざわざ助けに来てやったんだ。びーびー泣く前に言う事あるだろうが?」

 マーリンを背に親指だけ向ける北嶋。

 目をパチクリさせながら北嶋を見るモード。

「…針金頭…!!確かに髪質は硬く、セットも儘ならないのですが…!!」

 マーリンは漸く我に返り、多少だが憤慨する。

「…助けに来てくれてありがと……」

 素直に礼を言ったモード。ホッと胸を撫で下ろす俺。

「解りゃいいんだ小娘。流石に小さい頃から命を狙われ続けているだけはあるな」

 襟首から手を離して笑う北嶋。

 って!!

「小さい頃から命を狙われ続けているだと!?」

 今度は俺が声を上げて驚く番になった!!

「あれ?言って無かったっけ?」

「何だ、知らなかったのか?お前もちゃんと言わなきゃ、無表情が困ってしまうだろうが」

 北嶋が呆れながらモードの肩に手を添えて歩き出す。

「待て待て待て!!いきなり小さい頃の話を言っておきながら、何処へ行く!?」

 色々と混乱しながら北嶋に詰め寄った。

「帰るに決まってんだろうが?お前もちゃっちゃと来やがれ。俺は眠いんだよ」

 北嶋は、豪快な欠伸をしながら、モードを連れて穿った穴へと入って行った。

 訳が解らずも、北嶋の後を追い、穴へ入って行く。

「お前が着いたら穴塞ぐから早く行け」

 面倒臭そうに指示を出す北嶋。

「…待ちなさい…!!このまま逃がすと思っているのですか?いきなり現れて少女を連れ去ろうなど、正義が許しません!!」

 流石にマーリンも慌てて北嶋に詰め寄って来る。

「針金頭。お前の正義なんか知った事じゃねーんだよ。どうせ直ぐにお前や飼い主と会う事になるんだ。今日の所は素直に寝かせてくれよ」

 眠気で苛々が目立つ北嶋。頭を掻いて、不機嫌さをより一層強めた。

 こんな時の北嶋は、何を言っても無駄な状態だ。

「…先程から針金頭と…私にはマーリンと言う名があるんですよ……!!」

「マーガリンだかバターだか知らねーが、俺は眠いってんだよ」

 いきなり草薙を振り下ろす北嶋。

 草薙はマーリンから外れ、右側に切っ先を静止する。

「…威嚇のつもりですか?面白い…!!」

 マーリンも戦う、いや、排除する口実ができて嬉しそうに笑う。

「文字通り威嚇だ針金頭。直ぐに飼い主に連絡してみるんだな。じゃあなあ~」

 穴に入って手を振る北嶋。

「…連絡?ま、待て!!」

 慌てて呼び止めるマーリンだが、北嶋が聞く筈も無い。

 知らぬ顔で穴を塞いた北嶋。

 ふと目を逸らしてみると、そこは、既に北嶋の裏山の池となっていた。

「ふう、面倒臭かったぜ」

 北嶋は欠伸をしながら池を後にする。

「えーっ!?ここ何処!?えーっ!?ジャバウォック!?ねぇねぇ、変なオジサン!!どうやってここに来られたの!?」

 モードが北嶋の後を追いかけ、背中を掴んでグラングラン揺さぶる。

「誰か変なオジサンだ小娘!!変なお兄さんと言え!!」

 いきり立つ北嶋だが、果たして『変なお兄さん』でいいのか?

「解った。変なお兄さん。私もちゃんと名前があるよ。モードって言うの」

「モード?ほう。変なモードか」

「『変』はいらないよ!!」

 むくれるモードを宥めながら、今度は俺が北嶋に質問する。

「北嶋、さっき言っていた『小さい頃から狙われ続けている』と言うのは、悪魔にだよな?」

 それは確かにリリス・ロックフォードが飛竜から聞いて俺に教えてくれた事だ。

 先程の話振りから、マーリンに狙われ続けられていると取ったが、まさかそんな昔からアダムの肋骨を欲していたとは思えない。

 北嶋は本当に面倒臭そうに頭を掻きながら答える。

「あ~…小娘から聞け。小娘も色々聞きたいならこいつ等に聞いてくれ。俺はマジで眠いんだよ」

 北嶋は眠気を優先させ、全てを俺達に丸投げして立ち去って行った。物凄く北嶋らしいが、ちょっとの事情は説明してくれてもいいだろうに!!

「仕方ないわ。詳しい話は明日にして、今日はもう寝ましょう」

 神崎がモードの手を引き、歩き出そうとした。

「待ってくれ!せめて誰に狙われていたのか、それだけでも教えてくれ!!」

 俺は慌てて引き止めた。それだけでも解っていれば、何かしらの対策を講じられる。

「それは私も知りたい。てっきり悪魔に狙われ続けていると思っていたからね」

 飛竜をチラリと見るリリス・ロックフォード。

――……俺が話してもいいのだろうか…

 しきりにモードをチラチラと見る飛竜。何かを気にしている様子だ。

「だから明日ゆっくり…」

 神崎が口を開いたと同時に立ち止まったモード。そして振り向く事も無く、呟いた。

「お姉ちゃんだよ」

「おねぇちゃん……?モルガン・キャンベラ?」

 俺の問いに微かに頷き、モードは神崎を急かすように袖をグイッと引っ張りながら再び呟いた。

「お姉ちゃんが私を殺したいんだって」

 やはり振り向く事をせず、呆けた神崎の袖を引っ張って歩き出したモード。

 その後ろ姿は………

 あの泣きじゃくっていた姿を遥かに凌ぐ、悲しみを纏っていた…

「姉が妹の命を…」

 小さくなっていく神崎とモードを見つめながら呟いたリリス・ロックフォード。

――モードは言いたく無かった。血が繋がっている姉が、自分に殺意を抱いている事をな。モードが言いたく無い事を、俺が易々と話す訳にはいかない

「成程、仕えている者の意思を汲んだか。美しいじゃないか」

 微笑を浮かべて飛竜を讃えるリリス・ロックフォード。

「ならば魔導師との関係は?肋骨を探していたのはつい最近の事だった筈だ」

 尚も追求しようとする俺の肩を叩く。

「良人は寝てしまった。神崎も詳しい話は明日と言った。今日の所はこの辺で止めておこう。私達も部屋を借りて眠りにつこうじゃないか。明日から、少しばかり早起きしなければならないからね」

「早起きだと?」

「裏山の掃除に駆り出されるに決まっているじゃないか。良人が手伝いを要求しない訳が無い」

 物凄ぉぉぉく納得した。

 生まれて初めて、大きく頷いた自分に驚きさえした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 知らない男の人が、私の首を絞めながら泣いていた。

「モルガンが君を殺せと………」

 知らない男の人が、笑いながらナイフを持って私を追い掛けている。

「モルガン!君の為なら俺は!」

 知らない車が、私目掛け突っ込んで来る。

「ちいい!すばしっこいガキだ!モルガンに合わせる顔が無ぇ!!」

 学校の先輩が、知らない男の人の前に立って拳を振るった。

「モードに近付く奴はぶっ殺す!!」

 学校の先生が、知らない男の人を銃で撃った。

「モードに付きまとうストーカーめ!!天罰だ!!」

 病院の先生が、同じ病院に通院していた男の子に、笑いながらメスを何度も突き立てた。

「モード!!私が君を守ってあげるよ!!」

 …………………………

 目を開けた。

 頬が濡れているのを構わずに、フカフカのお布団を寄せて、上半身だけ起き上がる。

 まだ薄暗い。

 隣には…黒髪の綺麗なお姉ちゃん。その隣には、リリスさん。

 溜め息を付き、呟く。

「夢か…」

 夢で良かった。

 いや、夢と言うには生々しい。

 あの出来事は、全て私の身に起こった出来事だから。

 昔から私は命を狙われていた。ジャバウォックに助けて貰いながら、私は生き長らえていた。

 逆に、私を守ろうと人達も居たけど、その全ては私を独占したい為。

 俯いて顔をお布団に埋めて、声を殺して泣く。

 どうして私ばっかりこんな目に遭わなきゃならないの?

 どうしてお姉ちゃんは私を殺したいの?

 暫くそのままの姿勢で泣いていた。


 ケホッ


 ハッとして目を見開いた。

 ヤバい…発作だ!

 私は喘息を患っている。咳が止まらなくなり、呼吸する事も儘ならない時もある。

「ゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホ!!ヒュー!!ゲホゲホゲホゲホ!!ヒュー!!ヒュー!!ヒュー!!」

 苦しい!!薬を忘れて来ちゃったし!!

 激しく咳込むと、二人のお姉ちゃんが飛び起きた。

「喘息!?そう言えば、療養していたと言っていたわね!!」

 黒髪のお姉ちゃんが背中をさすってくれた。

「リリス!救急車!!」

「ああ!ちょっと待ってくれ!」

 慌てて携帯電話を探すリリスさん。

 その時、守ってくれているアーサーや、リリスさん、それに殺そうとする人達や、独占しようとする人達と全く違った意識を私に向けていた、 あの『変なお兄さん』が目をガシガシ擦りながら現れた。

「小娘、風邪か。ミカン食えよ」

 寝癖で髪がアチコチに跳ね上がっている変なお兄さんは、やはり他の人達と違って、私に興味を示す視線は送って来ない。

 来ないけど…

「ゲホゲホゲホゲホ!!!ヒュー!ヒュー!!」

 風邪じゃないのは見れば解らないかなぁ!?

 私が苦しんでいるのに、能天気過ぎて頭にくる!!

「風邪じゃないわ!!喘息の発作よ!!」

 代わりに黒髪のお姉ちゃんが言ってくれた。

「良人、救急車をお願いできますか!?」

 リリスさんが変なお兄さんに促してくれた。

 だけど変なお兄さんは救急車を呼ぶわけでもなく、ぼーっとした顔をして、私に近付いてくる。

「だから早く…!!」

 咎めようとした黒髪のお姉ちゃんが、言葉を詰まらせた。

 変なお兄さんが、私の胸に水晶玉みたいなネックレスを近付けたのを見てから。

「終わったぞ小娘」

 興味無さそうに、来た道を戻る変なお兄さん。

「なにが終わったって言うの?」

 意味が解らず訊ねる私に、変なお兄さんは振り向き、指を差す。

「喘息治っただろうが」


 言われて初めて気が付いた。


 あんなに苦しかった咳が、完全に治まっている………


「え!?えええ!?な、何で!!?」

 飛び起きて胸をさするも、理解できる筈も無い。

 喘息が完全に治まっていた事実のみしか理解出来なかった。

「小娘、トカゲと早く離れろ。今は一応治ったが、このまま一緒に居続けたら、また喘息になっちまうぞ」

 それはジャバウォックも言っていた。

 なんか…魔力が障って病気になってしまったとか…

 何でこの変なお兄さんが知っているの?

 驚きながら呆然と変なお兄さんを見つめる。

「…何か言う事あるだろ小娘」

 ハッとして頭を押さえる。ゲンコツを喰らった頭の痛みを思い出したから。

「あ、ありがとう変なお兄さん…」

「解ればいいんだ小娘」

 変なお兄さんは、再び来た道を引き返そうとした。

「あ、ありがとうございます良人」

「丁度起きる時間だったからな。ついでだ」

 ついで?ついでで喘息治すって…

「起きる時間?まだ5時前よ?」

「キングコブラの滝で渓流釣りするんだよ。釣りは早朝に限る」

 釣りのついでに喘息治すってどーなの!?

 アウアウしている私に全く目をくれる事も無く、変なお兄さんは、黒髪のお姉ちゃんのお部屋から完全に出て行った。

「渓流釣り、楽しみにしていたからね~」

 黒髪のお姉ちゃんが私にお水を渡してくれた。

 お礼を言い、それを一気に飲み干す。

「良人が偶然早起きしてくれて助かった。モード、まだ早いからもう少し寝たらいい」

 リリスさんがお布団を直してくれる。

 この二人のお姉ちゃんも、私を守ってくれているのが良く解る。

 けど、何かリリスさんと黒髪のお姉ちゃんとは違った意味で守ってくれているように思えた。

 黒髪のお姉ちゃんは私に気を遣ってくれているような、そんな感じ。

 あの変なお兄さんと近いような感覚。

 尤も、変なお兄さんは、成り行きで私を構っているようだけど。

 私は意を決して飛び起きた。

 二人のお姉ちゃんは目をパチクリさせていた。

「私、変なお兄さんに釣り教えて貰おーっと!」

 ニカーっと笑い、二人のお姉ちゃんを見る。

「大丈夫か?あまり無理しない方が…」

「そうね。治った喘息だけど、裏山の滝は空気が綺麗だから、もっと調子が良くなるわ」

 心配そうなリリスさん。

 寧ろ背中を押してくれる感じの黒髪のお姉ちゃん。

 やっぱり、私と接する感情が微妙に違っているように思えた。

 変なお兄さんの後を追い、家を飛び出すように出た私だが、変なお兄さんはまだ玄関先で靴を履いている最中だった。

「変なお兄さん。私も行っていい?」

 背中越しで、変なお兄さんの顔を覗き込む。

 変なお兄さんは、未だ覚醒していない感じの、寝ぼけ眼を私に向ける。

「小娘、お前も釣りすんのか。予備の竿あったかな…」

 頭をガシガシ掻きながら外へ出る変なお兄さん。当然私も後を追う。

 家の裏手に回ると、ちょっとした物置小屋があって、変なお兄さんはそこでゴソゴソ何か探していた。

「渓流竿は無いが磯竿はあった。小娘、お前これ使え」

 川で魚釣りを楽しむのには不釣り合いなゴッツい竿を私に渡した。

「私初心者なのにー!これ絶対違う竿だー!」

「下手くそには渓流竿は勿体無い。とりあえずこれで練習しろ」

 変なお兄さんは本気でこのゴッツい竿を私に使わせるようだ。

「いくらなんでも酷いー!!もっと別なヤツがいいぃ~っ!!」

 流石に駄々をこねる。

「ちっ、贅沢な奴だな。仕方ない。バス竿を貸してやる」

 さっきのゴッツい竿とは違った、リールの付いた短めの竿を渡された。

 うん、まぁ、これなら。

 私は満足して頷いた。

 裏山をぐるっと半周以上回った所に、本当に滝があった。

 凄く清々しい空気!!

 私は目を輝かせながら滝を見た。

 滝の頂上に小さな家?でも小さ過ぎる。

 何だろ?と良く見てみると、その小さな家から、金色の凄く大きなキングコブラが出てきた!!

「きゃああ!!変なお兄さん!!金色に光っている大蛇が出てきたよ!!」

 驚きながら変なお兄さんの袖を掴む。

 変なお兄さんはキョロキョロ見回し、気が付いたように拳を手のひらでポンと叩いた。

「鏡忘れたから視えないんだった!」

「鏡って?」

「説明が面倒臭いからキングコブラに聞け」

 そう言って川縁に腰を下ろして釣りの準備をする変なお兄さん。

「ちょっと!面倒って!」

 憤慨する私だが、大蛇は怖く無かったから安心していた。

 ジャバウォックとも違った気配。真逆と言っていいくらいだ。

――心配するな少女よ。勇さんの客人なれば、この黄金のナーガ、北嶋の一柱として、もてなす所存

 大蛇は目を細めで私を見る。

 一柱とか言っていたから、変なお兄さんの味方だ。

 私は安心してお辞儀をし、自己紹介などを行った。

 金色の大蛇に聞きたい事は確かにあった。

 あったけど、今は変なお兄さんが気になる。

 チラチラと変なお兄さんの方を何度も見ていると、

――勇さんに伝えてくれ。滝壷の右の奥、岩が有り、多少抉れて深くなっている場所、そこに大きな山女魚が居ると

 私の気持ちを察してくれたように、金色の大蛇が助け船を出してくれた。

 深くペコリとお辞儀をし、変なお兄さんの方に駆け出す。

 金色の大蛇は何回か頷きながら私達の方を見て笑っていたように見えた。

「変なお兄さん!あそこの岩の所に、大きなヤマメ?だっけ?がいるんだって!」

 くるんと私の方に首を回した変なお兄さん。

 突然!!

「デカい声出すな小娘コラァ!!魚が逃げるだろうがあああ!!」

 ものすんごく大きな声で叫ばれてしまった。

 ちょっと驚いてビクッとしたが、私は言わなければならない。

「変なお兄さんの声の方が大きいよっ!!」

 ムッとしながら睨む。

 変なお兄さんは少し黙り込んだ。

 ちょっと言い過ぎたかな?

 反省する私。

 だが…

「正論吐くな小娘ゴラァ!!ぐうの音も出ねーじゃねぇかあああ!!!」

 生まれて初めて、理不尽な全力の逆ギレを喰らった。

 呆気に取られた私に、竿を投げ渡す変なお兄さん。

「仕掛けは作ってやったから、餌付けて狙った所に落とせ」

 餌?ああ、魚釣りの餌ね。

 じゃあ付けようと手渡して貰った餌…

「ぎゃああああああああああ!!!虫の幼虫ぅうううううううう!!!」

 白くグネグネ動いている、1cmほどの昆虫の幼虫を手に持たされた私は、絶叫して餌を放り投げた。

「コラァ小娘!!餌は生きているんだそ!!悪戯に殺す真似すんなガキ!!」

 ゲンコツを頭に喰らわして、投げた幼虫を再び私の手に渡す。

「痛いっ!!うわっキモッ!!グニャグニャしてるうぅぅぅ!!!」

 ジンジン痛む頭と、クネクネ動いている幼虫の気持ち悪さで、流石にベソをかく。

「おら、針にこう刺してだな…」

 私の手のひらの上で、グニャグニャ動いている幼虫に、針を入れる変なお兄さん。


 プチュッ


「ぎゃあああああ!!プチュッっていったあああ!!!何か出てきたあああ!!!」

「やかましいぞ小娘!!あそこに投げろ!!」

 変なお兄さんに言われた方向に半泣きしながら投げ入れた。

 だが手のひらには、グニャグニャとプチュッの感覚が消えないで残っていた。

「うぅぅ~…気持ち悪いよぉぉ~…頭痛いよぉぉ~…」

 何とか落ち着いたが、あの感覚が忘れられない。

「お前何しに来たんだよ!!邪魔すんなら帰れ!!」

 変なお兄さんは、私を全力で邪険にし、自分も漸く滝に仕掛けを投げ入れた。

「くっそ~…こうなったら、絶対に変なお兄さんより大きい魚釣ってやるぅ~…」

 悔しいやら悲しいやらで、変なお兄さんに別方向から仕返しを考える。

「馬鹿か小娘。貴様みたいなクソガキに、この北嶋 勇が負けると思ってんのか!!」

 大人気無く、挑発を返すとか。

「今に見てろっっっ!!」

 ムカムカしながら竿先に集中した。絶対にギャフンと言わせるんだから!!

「ふん、一応ちゃんと感情は表に出せるじゃねーか」

 ポケットから煙草を取り出して火を点けて呟く変なお兄さん。

 やっぱりこの人、他の人達と全然違う…

 私が素直に感情を出していない事に気が付いた人は、未だかつて居なかった。

 それをあっさり、しかも興味も無さそうに…

「…色々感情を出していないのは仕方ないよ。私に近付いてくる人は、全部自分を押し付けて来る人達だもん」

「だから自衛の為にそれなりに相手に合わせるようにしてるってか?ガキのように泣きじゃくっていたのは本当だったようだがな」

 其処まで見抜いていたんだ。

 私が本気で泣けば、ジャバウォックが絶対に助けてくれていた。

 例えどんなに遠く離れていても。

 それは小さな頃からの最大の自衛策だったのだ。

 6歳の頃、初めてジャバウォックに助けて貰ってからの癖。

 あの時から、私が本気で泣けば、ジャバウォックは何処からでも、何時だろうと助けてくれた。

 だから本当に困った時、ジャバウォックに助けを求める時に、私は6歳に戻ってしまう。

「つまり、お前が本当に心を開いているのは、トカゲだけって訳だ」

 つまんなさそうに釣り竿の先を見ながら呟く変なお兄さん。

「周りは敵ばかりだから。ジャバウォックしか助けてくれなかったから」

 お父さんやお母さんも、私を殺そうと首に手を掛けた時があった。

 ジャバウォックの威嚇で正気に戻り、泣きながら私を抱き締めて謝っていたっけ。

「俺はハゲとの決着を付けなければならない。だから小娘、お前を助けてやる」

 ふーん、と聞き流す。

 助けてやるって、一体どうやって?私は呪われているんだよ?

 馬鹿馬鹿しくて思わず吹いてしまう。

「信用してないな小娘。なら仕方ない。無理やりだが悪く思うな」

 徐に立ち上がる変なお兄さん。

 私を見下ろしている変なお兄さんの右手に、いつの間にか剣が握られていた。

 その剣を私に向ける変なお兄さん。それを黙って見る。

「怖くないのか小娘?」

「怖くは無いよ。やっぱり変だね、お兄さん」

 殺そうとする人。独占しようとする人。守ってくれる人。

 私を取り巻く人達は、この三種類に分かれる。

 だけど、変なお兄さんは、このいずれにも該当しない。

 だから『変』だと思った。

 剣を向けられても、殺すつもりとは思わない。

 守ってくれるとも思わないけど。

 独占なんかする訳ない。

「ふむ、んじゃ直ぐに終わるから動くなよ」

 言い終わると同時に、剣を振る。

 剣は私を『通過』して地面に切っ先を下ろした。

「…斬れてない…ね」

 間違い無く通過した剣だが、痛みも何も感じなかった。

「お前結構度胸あるなぁ?草薙をまともに受けて、驚きもしないとはな」

 驚きながらも、地面に落ちた白い石を拾う変なお兄さん。

「殺すつもりが全く無いのは解っていたから。って、それ何?」

 質問する私に、変なお兄さんは微かに笑う。

「こりゃ、お前の肋骨の先っぽだよ」

 …お兄さんの笑顔を初めて見たけど、ジャバウォックと同じく安心できる笑顔だった。

「これでお前は誰にも狙われない。普通のガキだ小娘」

 無造作にポケットに肋骨の先っぽ?を押し込む変なお兄さん。

「そんな物で?私が普通になれたの?」

 全く意味が解らない。

 そっと肋骨を触ってみるが、特に違和感が無い。

 一番下の肋骨の先っぽが無いのか?程度の感じだった。

「クルンクルンはこれを欲しがっていた訳だ。命を狙っていたと言うよりは、これを狙っていたと言う事だな」

「クルンクルン?」

 最高に意味が解らず、訊ねた。

「お前の姉ちゃんの髪型、後ろ髪にカール掛かってんだろ。だからクルンクルンだ」

「何でお姉ちゃんを知っているの!?」

「鏡で『視た』からだ」

 鏡?さっきも言っていた鏡?

「だから面倒だからキングコブラに聞けって。さて、クルンクルンはあの脅しを喰らっても、俺に突っかかって来るかなぁ~?」

 変なお兄さんはケタケタ笑いながら再び腰を下ろした。

 私は訳が解らずも、変なお兄さんは、少なくともお姉ちゃんの敵である事は確信した。

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