アダムの肋骨

 アーサー・クランクは完全に剣から手を離した。

――問答無用で斬りかかってくるかと思ったが、感じたように、モードを狙っている輩では無いようだな

 此方にも敵意が無い事を感じ取っていた様子。

「その少女を狙っている連中が居るのか?」

「悪魔達かい?」

 矢継ぎ早に質問する私達。頷く飛竜。そして答える。

――この国の聖職者達も、モードを狙っている。悪魔達との関連性は解らんがな

 魔導師マーリンの姿が頭を過ぎった。確かイヴを探していた筈。

 この少女からアダムの気配を感じる事から、狙っているのは間違い無いだろう。

「何故悪魔達が彼女を狙う?」

――さぁな。尤も、モードに害なす魔物共は、このジャバウォックが全て殺しているから問題は無い

 ジャバウォック…

 確か鏡の国のアリスと言う物語に出て来る魔獣だ。その姿はワイバーンに類似しているとの話を聞いた事がある。

「そのジャバウォックが存在しているとはな…」

――違う。モードが好きな物語がそれなだけだ。俺の姿がその魔獣にそっくりらしいから名付けられただけだ

 そう言って飛竜は、目を細めて眠っている少女に頬を擦り付ける。

 慈しむように、優しく。

 上着を脱ぎ、片膝を付いて、少女にかけようとしたアーサー・クランク。

 ちょうどその時、少女の首がカクンと下を向いた。

「む」

「ん~………」

 プルプルと身体を震わせ、瞑っていた目を擦る少女。

――起きたかモード

「ん~~~っっっ!はあっ!」

 今度は勢い良く顔を上げた。

「んぁ?」

 パチパチと大きい瞳を大袈裟にまばたきさせる。

「す、すまない。起こすつもりは無かったんだ」

 上着を掛ける仕種の儘固まって謝罪するアーサー・クランク。

 少女は長い睫を何度もまばたきさせながらキョトンとしている。

「…お兄さん、誰?」

「ああ、俺はヴァチカンの聖騎士、アーサー・クランク…」

 じっと少女を正視しながら名乗る。

「なんだ?もしかして惚れたか?アーサー・クランク?」

 クックッと笑いながら私も少女に近寄って行く。

 アーサー・クランクは我に返ったように顔を背け、そして私に向けた。

「な、何をいきなり…」

「クックッ、まぁ、君が心を奪われるのも無理は無い。寝顔も素敵だが、目を覚ました彼女は実にチャーミングだからね」

 大きい瞳、長い睫毛、リップを塗ったような瑞々しい唇、整った鼻、小さな顔、あどけない表情。

 何と言えばいいか…確か日本語では『モエ』だったか?

 良人がアニメキャラクターを指して言っていた記憶がある。

「うわ~…綺麗なお姉さん…私、モード・キャンベル!あなたはっ?」

 少女…モードは目を輝かせながら、アーサー・クランクを押し退けて前に出た。

 勢いに押されて尻餅を付くアーサー・クランクを、やはり笑いながら見る私。そして床に両手を付いているモードの視線に合わせて屈んだ。

「私はリリス。リリス・ロックフォード。一応あの聖騎士の友人だよ」

 尻餅を付いて呆けているアーサー・クランクに親指を差し、微笑を浮かべた。

「ん?…あああっ?ごめんなさいお兄さん!突き飛ばしちゃって!」

 ペタペタと四つん這いの儘、アーサー・クランクに近寄って行くモード。

 その様子を見ながら、飛竜は頷きながら笑っていた。

「ジャバウォックとやら。守っている少女に私達を易々と接近させて良いのかい?」

――敵意が無い者に警戒する必要があるのか。それに、そろそろ潮時だしな

 一転寂しそうな表情に変わる飛竜。

「潮時とは?」

――ワイバーンの俺と人間の少女が、一緒に居る事が潮時だと言う意味だ

 守って来たとは言え、ジャバウォックは魔獣。

 魔獣の自分がこれ以上人間の傍に居る事は、彼女を不幸にするかもしれない、と言う事だろう。

「魔獣を従えている人間は大勢居るけどね」

 無理に離れようとしなくても良いとの意味で発した言葉だ。

――モードはただの人間。魔獣を従えている者はそれなりの霊力を持った人間だ。いずれ俺の魔力に耐え切れなくなる。喘息が酷くなってきているのが、その証だ

 そう言えば、この家は喘息の治療の為に買った、とか言っていた。その少女がモードか。

――それに…俺はこれから先、人間を殺すかもしれない。モードに人間を殺す様を見せたくは無いのでな…

 モードを狙う聖職者とやらの事を言っているのは、容易に想像できた。

 ジャバウォックは、守る為殺し、自らも死ぬつもりだったのだ。

 何と天晴れな忠義。いや、忠義と言っても良いものか。

 このワイバーンは紛れも無く、モードの家族。保護者のような存在。

 家族を大事にしている良人の事を、少し思い出した。

 ………大事にしている…と思う。多分。きっと…そうに違いない……よな?


 それから暫くは、私達はこの地下室でモードやジャバウォックと話をした。

 勿論、情報収集の意味合いもあるが、アーサー・クランクがやたらと彼女に会いたがるのだ。

 モードも実によく私達に懐いてくれた。

 身体が弱く、激しい運動は控えているモード。

 私達の母国の話や、友人の居る国の話を、まるで冒険譚を聞いているように、目を輝かせながら。

 勿論、私達も彼女に対して遠慮無く質問をした。

「君はいつもはどこに居るんだ?見た所、この家には誰も住んでいる形跡は見当たらないが?」

「寝る時はお父さんのお友達の家。それ以外は学校と、この家」

「何故此処に住まない?此処には君を守る飛竜も居るし、何より君の家だろう?」

「お父さんが心配だからって、お友達に頼んだみたい」

「ここには静養に来たんだろう?」

「うん。10日くらい前かな…いきなり決まったの」

 寂しそうに顔を伏せるモード。

 まだ少女。それに喘息を患っている身だ。長い間、両親と離れて暮らした事が無いのだろう。

「……もう日が暮れるな…」

 モードと出会ってから既に三日目だが、帰る時間になると、アーサー・クランクは必ずこの台詞を言うようになった。

――また明日来ればいい。モード、今日も聖騎士に送って貰え

「うん。お願いねアーサー!」

 ニコニコしながらギュッとアーサー・クランクの腕にしがみつくモード。

 アーサー・クランクは、私の良く知る表情、女にデレデレする良人と同じ表情になる。

「プッ!ハハハハ!聖騎士、くれぐれも粗相の無いようにな。送り狼にはなるなよ?」

「ばっ、馬鹿な事を!!さ、さあ行こうかモード!!」

 慌てて扉へ急ぐアーサー・クランク。

「うん!じゃ、ジャバウォックもリリスさんもまた明日ねっ!」

 手を振りながらアーサー・クランクに続いて去っていくモード。

 私とジャバウォックはそれを微笑みながら見送った。

 やがて、彼等の気配が完全に遠ざかった頃合いを見て、厳しい顔になる私とジャバウォック。

 アーサー・クランクとモードが去った後に、私達は必ず話をしている。

「さぁて、今日のテーマはモードのイヴ化…だったよな?」

――その前に感謝したい。聖騎士がモードを毎日送っているおかげで、彼女を悪魔から守って貰えているのだからな

 恭しく頭を下げるジャバウォックだが、それは彼が自ら望んだ事。

 悪魔除けになっているのは、単なる副産物だ。

「後で彼に言っておこう。それよりも、だ」

――解っている。お前達がアダムを倒したと言う頃から、モードは悪魔に狙われ始めた。お前の言うイヴ化とやらは、恐らくその頃だろう

 それはとっくに理解している事だ。私が聞きたいのは、何故モードがいきなりアダムの気配を纏ったのか、心当たりが無いのか、と言う事。

 苛立ってくる私に構わずに続けるジャバウォック。

――喘息が酷くなり始めたのもその頃からだ。まぁ、田舎に静養する事は、結構前から決まっていたが、今回姉の強い薦めで決定したらしい

「姉?」

 モードには姉がいたのか。そう言えば彼女の家族構成は聞いていなかった。

――モルガン・キャンベラ。それが姉の名だ。そしてこれこそがお前の一番興味深い所だろうが、お前達の言うアダムの気配…今のモードの気配の事だが、モルガンは俺が知る限りでは、始めからアダムの気配を纏っていた

 目を見開き、ジャバウォックを見る私…

 ジャバウォックは私を正視しながら、まばたき一つしなかった…!!


 教会でアーサー・クランクと合流した私は、早速モードの姉の事を話した。

「モルガン・キャンベラか…」

「ああ。恐らく、生まれながらにしてアダムの気配を持っていたと思う」

 モードとジャバウォックが知り合ったのは、今から約10年前だそうで、その時既に『あの気配』を纏っていたそうだ。

 生まれながらに持っているオーラだと思う。と言うのがジャバウォックの見解だ。

 私もそれに同意したから、アーサー・クランクに報告したのだ。

「どうする?視てみるかい?」

「霊視か?頼む」

 頷いて静かに目を閉じる。そしてモードと同じ気配を辿って行く…

 身体が浮遊する感覚になり、気配を辿って泳いでいる感じだ。

 簡単にモードの住んでいた場所と思しき場所に辿り着いた。

 成程、都会に住んでいたようだ。

 確かに空気が悪いか?

 家……

 屋敷とまではいかないが、意外と大きい。

 姉は恐らく家の中だろう。

 玄関扉から入り込もうとしたその時!!

 玄関扉いっぱいに透けた人の顔が現れた!!

 驚き、一瞬退く。

 同時に、透けた巨大な顔の唇がつり上がった。

 …………マジョガ……ウセルガイイ………

 透けた巨大な顔の目が怪しく光る。

 私は両腕を上げてガードする形を取った。


「うわっ!!」

「うわっ!?」

 私の意識が身体に戻された?

 あの巨大な顔の魔力に退けられたのか?

 心臓が高鳴り、身体中から汗が吹き出てくる。

 ギュッと手を握り、それを胸に当てて息を切らせた。

「お、おい、どうした?いきなり叫んだりして…顔色も悪いぞ?」

『戻った』私に驚いて尻餅を付いたアーサー・クランクが、心配そうに顔を覗き込んだ。

「破られた……」

「破られた?霊視が?」

 頷いてアーサー・クランクに水を頼んだ。

 コップに冷たい水を注いでくれて、私に差し出してくれる。

 それを一気に飲み干し、溜め息を付く。

「…モードの姉はかなりの術者のようだな」

「確かに、かなりの術者だろうさ。彼を配下に置いているのだからね」

「彼?姉じゃなく別人に阻まれたと言うのか?」

 頷く。

 扉いっぱいに現れた顔…それは姉の物じゃない、別人だ。

 答えは簡単、現れた顔は男だったのだから。

「その男に心当たりがあるか?」

 アーサー・クランクの問いに答える前に、一旦制する。

「アーサー・クランク。君はヴァチカンの聖騎士だ」

「?何を今更?」

「立場は違えど、同じ教えを守る仲間を、君は倒せるか?」

 じっとアーサー・クランクを見つめながら問う。

「…それが神に仇成す存在ならば」

 模範的解答で詰まらないな、と溜め息を付く。

「何を言っている?はっきり言ってくれないか?」

 アーサー・クランクが苛立ち始めた。何度か床を爪先で叩いているのがその証だ。

「…顔には覚えがある」

「誰だ?」

「英国国教会、マーリン・スチュワード…魔導師マーリンの顔さ」

 一瞬だけ静まる部屋。

 アーサー・クランクが壁に背を付け、腕を組み、何か考えている。

「驚かないのか?」

「姉と繋がっている事には驚いたが、ならば姉は悪魔と別件になる」

「ほう、何故だい?」

 思わず身を乗り出して問うた。

「彼が悪魔を殺しているのを、この目で見たからだ」

 今度はアーサー・クランクから興味深い話が聞けそうだな、と思い、私は椅子に深く腰掛けた。


 モードと知り合ってから三日、彼はモードが世話になっている家に送る役目を持った。

 悪魔が出るからと、町には人影すら無い状況。

 彼がイギリスに来る前は、ジャバウォックが悪魔避けの役割を果たしていたようだが、彼は聖騎士。そしてヴァチカン最強。並みの悪魔なら姿すら現せない。

 だが、それでも襲い掛かってくる悪魔は居る。

 その全てを悉く斬り捨てていた。

 そして昨夜、モードを無事送り届けたアーサー・クランクは、ふと違和感を覚えた。

 悪魔の気配すら感じていない、と。

 イギリスに来てから、昼夜問わず必ず感じていた悪魔の気配が、動きが活発になる夜なのに、全く感じない。

 怪訝に思いながらも、教会に帰るアーサー・クランク。

 何気なく、いつもの道を帰るのでは無く、逆方向へ足を向けた。

 結構な遠回りになるが、散歩がてらにと思ったそうだ。

 この夜は特に暗い。そう思いながら暫く歩いた時、彼の視覚の隅で、街灯の明かりに影がちらついた。

 剣に手を掛けるも、悪魔の気配は無い。

 いや、あった、と言うべきか。

 気配は瞬時に消えてしまったからだ。

 逃げたか。そう思ったが、剣から手は離せなかった。

 生臭い鉄の臭いが鼻に付いたからだ。

 それは血の臭いに他ならない。

 極力気配を消し、辺りを見渡す。

 今度は街灯の明かりで人影を見る事ができた。

 その人影は彼が居る方向へ、無防備に歩いて来ているようだ。

 ジッ…と街灯の明かりが消えた。

 故障か意図的な何かが働いたのかは解らないが、雲に隠れて、月明かりすら無い 真っ暗な闇となった。

 勿論、同時に影も消えた。

 ザッ、ザッと足音だけ近付いて来る。

 目を凝らして集中するアーサー・クランク。その時、雲が晴れたか、月明かりが 戻った。

 影がアーサー・クランクの足元まで伸びていた。

 直ぐ其処まで接近を許していたのかと驚愕するアーサー・クランク。

 だが、影の方がもっと驚いたらしい。

「!!…此処まで接近していたのに、私が気配を感じなかったとは…流石はヴァチカン最強の聖騎士、と言った所ですか…!!」

 対してアーサー・クランクも素直に讃辞した。

「英国国教会の魔導師マーリンか。かつて気付きながらも、此処まで接近を許した事は無い」

 アーサー・クランクは味方だと確信しながらも、剣から手を離さなかった。

 その身構える様を見て、マーリンは深く溜め息を付いた。

「…剣から手を離して戴けませんか?いきなり斬り付けそうな顔をしていますよ?」

 慌てて手を離すアーサー・クランク。

「これはすまない。血の臭いと、その血塗られた杖を見てしまったから、緊張していたんだ」

 右手に握られた杖に視線を向ける。

 その杖には、向き合う二匹の蛇が絡み合い、やがて螺旋を描いて向き合う蛇頭は杖の先端に付けられた水星の惑星記号のような形の装飾となっていた。

「…これは失礼。ついさっき、悪魔を地獄へ戻したばかりだったので…」

 マーリンは杖に付着した血を払うように、思い切り振った。

「ケーリュケイオン…ヘルメスの杖か!」

「…杖は高位聖職者の証…尤も、プロテスタントの高位聖職者は、杖など持ちませんがね…ケーリュケイオンはたまたま縁があって所有しただけです」

 間違い無くヘルメスの杖だと暗に言い放ったマーリン。

 杖には払った筈の血が、未だに付着していた。

 マーリンから視線を外し、彼の背後を見るアーサー・クランク。そこには無数の悪魔の骸が転がっていた。

「やはりか」

「…あなたもそのくらいは軽々とできるでしょう。私も特別だとは思っていません…」

 そう言って杖を払う魔導師。

 瞬間、悪魔の骸はその場から消え去った。

「…人に仇成す悪魔の骸を晒して、人々を怖がらせる必要も無いでしょうから」

 この地に住む人々への配慮。

 最初魔力を感じた時とはまるで違う印象を受けた。

 成程、敵対する者には容赦しない性格のようだ。

 だが、彼はアダムの肋骨を狙っている。

 モードがその肋骨だと知れたら、彼は間違い無くモードを殺すのだろう。

「それだけはさせない!!」

「…何か?」

「い、いや何でも無い…」

 慌てるアーサー・クランクだが、マーリンの方は特に気にした様子も無く、一礼してアーサー・クランクの横を過ぎた。

 去り際に言葉を発して。

「…カトリックとプロテスタント…立場は違えど、信じる道は同じ…あなたが困った時には私が力になります」

 それは嘘偽りの無い言葉。

 アーサー・クランクは黙って頷くしか無かった。


「ふ、魔力だけじゃなく、なかなか一本筋が通っている男じゃないか」

「だから悪魔の件とは無関係。彼はあくまでもアダムの肋骨を狙っている」

 モードの姉、モルガン・キャンベラとの繋がりは解らない。

 逆に言うと、モルガン・キャンベラも悪魔の件は関係ないのか?

「このままではいずれ、彼にモードの存在がバレる。いや、姉と繋がっている事から、既に知っていると考える方が無難か」

「だが、ジャバウォックは姉は昔からアダムの気配を持っていたと。アダムの肋骨を狙っている彼が姉を守っている理由は?それに悪魔出現は明らかにモードがこの地に来てから起こった騒動だよ?」

 私達は頭を抱えた。

 繋がりがあるようで繋がらない。苛立ちすらあった。

 だが、最も優先すべき事は知っている。

「………モードは絶対に守り抜く」

「それは当然だ。君だけじゃない、私もいる。それも忘れてくれるなよ?」

 モードに惚れたアーサー・クランクは兎も角、私まで彼女を其処まで想う理由は解らない。

 解らないが、私はそう固く心に誓っていた。

 それから数日は無事に過ごす事ができた。

 できたが、今日は嫌な予感がした。

 アーサー・クランクも不穏な空気を感じると、朝からモードを守る為、通っている学校にまで張り付きに出た。

「敵は英国国教会最強の魔導師か、それとも悪魔か、それとも姉なのか…」

 ここ数日その事ばかり考えていた為、つい口に出てしまう。

――解らないが、モードを狙う輩が誰であれ、俺のするべき事は一つだ

「独り言を聞くなんて、良い趣味じゃないか」

 苦笑しながらジャバウォックを見た。

――狭い地下室、聞こえぬ訳があるまい

 興味が無さそうにそっぽを向くジャバウォック。

「…なぁ、君は何故モードに仕えている?」

 興味があったから直球で聞いてみる。

 以前から気になっていた。アダムの気配を纏っているとは言え、普通の少女が、何故飛竜を従えているのか。

――それは…

 飛竜が語り出そうとしたその時、この家の周りから、無数の悪魔の気配を感じた。

 時計を見ると、モードが帰ってくる時間帯。

「やれやれだ。ツイて無いな」

――戦いたく無ければ下がっているがいい

 ジャバウォックが、その巨躯を軽く揺さぶりながら壁を『通り抜けて』外に出て行く。

 溜め息を付く。

「ツイてないのは悪魔達の方だよ。寄りによって、アーサー・クランクがガードしている最中に狙ってくるんだからね」

 せめて私だけならば、『上』に掛け合って穏便に済ませる事ができる物を…

 まぁ、アーサー・クランクやモードが帰ってくるまでは『交渉』してやろうか。

 私も続いて壁を通り抜けて外へ出た。

 林に面したその場所は、人目に付く事は無いだろうが、魔導師が嗅ぎ付けてやって来るかもしれない。

 なるべく早くお引き取りを願うとしようか。

 見るとジャバウォックを囲むように群がっている悪魔達。

 ジャバウォックの戦闘力に怯んで手を出せずにいる。

 私はジャバウォックと悪魔達の間に立ち、ぐるりと見回す。

「…ベリアル傘下の下級悪魔か…ベリアルとは契約していないんだよなぁ…」

 つい舌打ちまで出てしまう。

 ベリアルは欺く事を至極の喜びとしている為、約束が当てにならないから契約を交わしていないのだ。

 尤も、この場に居る悪魔達も、ベリアルの命で人間を襲っている訳でも無い。

 誰かが個々に契約を交わした、もしくは力付くで言う事を聞かせているのだろう。ベリアルの威光が届いていないのがその証だ。

 一応は聞いてみる。

「君達、申し訳ないが、このまま大人しく還ってくれないか?駄目だと言うならば、此方もそれなりの対処をする事になるが」

 邪眼を開いて悪魔達を見る私。

 彼等が更に一歩退いた。私の使役している悪魔の方が遥か格上なのを感じ取ったのだ。

 七王は失ったが、上級悪魔を使役する『権利』までは失っていない。

 それは七王との契約の時に取り決めた事。

 私の言葉は七王の言葉と同等なのだ。

 本来ならば問答無用の命令を出せる立場にある。

 大人しくなった悪魔達を見て頷く。

「解ってくれればいいんだ。ああ、すまないが、君達を使役している者の名を教えてから還ってくれ」

 これは命令だよ、と少しばかり脅しをかける。

 そして観念したのか、ある悪魔が口を開こうとした刹那、その悪魔の身体が真っ二つに裂け、鮮血が噴き上がった!!

「な、何!?」

 目の前で裂けながら滅されていく悪魔…同時に、次々と殺されていく。

「こ、これは一体!?」

 滅されていく悪魔から火の玉が垣間見える。

「燐光の幻炎?聖ヘルメスの火!!」

 燐光の幻炎…それは冥府へ死者を案内する役目があると言う…

 そしてそれを発生できる物は、ケーリュケイオン、すなわちヘルメスの杖!!

「魔導師マーリン!!!」

 叫ぶと同時に、倒れていく悪魔の背後から、短髪の男が微かに笑いながら立っているのが見えた。

「マズいな…」

 背後のジャバウォックを横目にし、再び正面を正視する。

「…銀髪銀眼の魔女、リリスですか…まさかあなたが悪魔を使役して町を騒がせていたとは…!!」

 その瞳に憎悪を宿しながら、微笑を崩さずに私を見る魔導師。

「ち、違う!私はただ還ってくれと…」

 最後まで言わせずに、杖をジャバウォックに向ける魔導師マーリン。

「…そのワイバーンが動かぬ証拠…あなたはワイバーンを守るように立ち塞がっていますよ…」

「馬鹿な!ジャバウォックが君に襲い掛からぬように、壁となって動いていないだけだ!」

 私の釈明など耳に入らぬかのように、魔導師マーリンはゆっくりと私に向かって歩を進めて来た。

「…あなたが悪魔騒動の元凶じゃないと言うならば、ワイバーンから離れなさい…この儘ならば…」

 ケーリュケイオンを振り翳すマーリン。

 口元が微かに動いている…

 術を発動する気か!

「ま、待ってくれ!私達は争うつもりは…」

――ぐああああああああ!!

 駆け寄ろうと踏み出したが、背後のジャバウォックが叫び、其方を振り向く。

 ジャバウォックの身体には、鞭で叩かれた痕、それも火傷を伴っている傷が、無数に現れていた!!

「アナフィエルの鞭か!!」

「…その通り…神の怒りを買った天使メタトロンを罰した炎の鞭…『神の枝』です…」

 人間エノクを天に運んだ天使、『水の支配者』『天の7つの館の鍵の管理者』とも言われている神の代理天使、アナフィエル。

 ある時、神の怒りを買ってしまったメタトロンを、炎の鞭で叩いて罰するように命じられた。

 この鞭打ちは60個の鞭で執行されたと言われるが、それは60個に枝別れした鞭での執行だったらしい。

 故に『神の枝』!!

 恐らくジャバウォックの身体は、瞬時に60箇所の鞭打ちの痕ができた筈だ。

 天使系の高度な魔術を、簡単に発動させるとは!!

 魔導師とはよく言ったものだ、と、戦慄を覚えた。

 痛みに耐えながら、瞳に怒りを宿すジャバウォック。

「待てジャバウォック!!人間を傷付ける事だけは!!」

 魔獣の飛竜、そして魔女の私。

 プロテスタントのマーリンが戦う事を躊躇しない相手の私達だ。話し合いが不可能になってしまう!

――案ずるな。俺は人間を襲わない……

 牙と牙が擦り合い、ギリギリと鈍い音が聞こえてくる。

 耐えている。

 理不尽な仕打ちに耐えているのだ。

 主人のモードを悲しませない為に!!

「解っただろう!!私達に戦う意思は無いと言う事が!!」

 再び両腕を広げてジャバウォックの前で壁となる。

 じっと私達を見るマーリン。そして目を瞑り、呟くように囁いた。

「…成程。ならば私はそれを信じましょう」

「解ってくれたか…」

 安堵し、脱力する。

 その時、マーリンの口元が怪しく歪んだ。

「…私は信じますが、この者達が信じるかは解りませんよ…」

 ケーリュケイオンを真横に構えて薙ると、マーリンの背後に、牧師と思しき男達が、銃や刀剣を携えながら此方に向かってくる様子が見えた。

「な!!いつの間に其処まで接近を!?」

「…見えなかったのは、ただの幻術ですよ。その幻術を解いただけです」

 この私に幻術を仕掛け、欺くとは!!

 神崎以外に此処まで出来る者が、まだこの世に存在するとは!!

「世界は広い、な…」

 驚嘆する私だが、今はそれ所では無い。 

 マーリンは信じるとは言ったが、他の牧師達が信じた訳では無い。

「待て!!私の話を聞いてくれ!!」

 大声で呼び掛ける。しかし、それは銃声で掻き消えた。

――ぐっっ!!

 ジャバウォックの身体に撃ち込まれた弾丸…鮮血が噴き出るが、ジャバウォックの鋼のような漆黒の鱗に傷を負わせる弾丸…?

 銀の弾丸…!!

 再び銃声が聞こえた。

 突然私に覆い被さったジャバウォックの翼。

――ぐあああああっっっ!!

 弾丸から私を庇ったのか………

 だが、絶えず聞こえる発砲音。

 同時に叫ぶジャバウォック。表情は苦悶、そして怒り。

 だが、ジャバウォックは決して動こうとせずに、その身に弾を浴び続けた………

「ジャバウォック!!私を庇う必要は無い!!私は…」

 その時、ジャバウォックの翼で視界を塞がれている形だが、下の隙間から足が見えた。

――ごあああああ!!

 悶絶するジャバウォック。ボタボタと血が滴り落ちる。

「死ね!人に仇成すワイバーンめ!」

 微かに見える足元に、血が付着した剣先が見えた。

「やめろ!ジャバウォックを斬らないでくれ!」

 叫ぶ私だが、届いていないのか無視されているのか、ジャバウォックが絶叫し、 徐々に血溜まりが出来てくる。

 気が付けば、隙間から見える足の数が多くなっていた。

 斬られ、突かれ、銃弾を浴び続けるジャバウォックだが、必死に堪えている。

 人を殺さない為、私を守る為、憎悪を必死に堪えているんだ。

「退けと言っているんだ!!」

 私の邪眼が光り、私を守っているジャバウォックの翼が退けられる。

 と、同時に、ジャバウォックに群がっている牧師達も、その身体が吹っ飛ばされた。

「ぐあっ!!」

「ひいっ!!」

 牧師達は地べたに這いつくばり、恐れの瞳を持って私を見た。

――馬鹿な!俺が堪えているのに、お前が怒りに任せてどうする!

 邪眼を開きながら、ゆっくりとジャバウォックを見る。

「君は私がこの程度の物理攻撃で死ぬと思っているのか?」

 私は本気でプレッシャーを発した。

 牧師達は完全に私を恐れ、遠巻きになりながら成り行きを見守る形となった。

――噂には聞いていたが…銀髪銀眼の魔女とは、此程の魔力を持っていたのか…

「そう言う事さ。私がその気になれば、この場に居る牧師達は全員死ぬ。解ったら話を聞け!!!」

 怒号を牧師達に発する。

 震えて立つのも儘なら無い者が多数現れ、遂にはその場にへたり込む者まで出てきた。

 取り敢えず安堵したが…

「…やはりあなたが一番厄介な存在なのですね…」

 耳まで口が裂けたかと思う程、歪んだ笑みを浮かべながらケーリュケイオンを私に向ける魔導師。

 対して私は冷ややかな視線を投げた。

「信じるんじゃなかったのか?」

「…信じますよ…あなたは悪魔騒動には無関係…だが、牧師達を脅かす存在なのには違いない」

 ふん、それぞれの正義か。

 まぁいいさ。ただ、やられっぱなしで死ぬかもしれない危険を冒す必要は無い。

 私の命は神崎が助けてくれた命。

 私の業は神崎が解いてくれた業。

「その命を易々と君にくれてやる義理は無い」

 アーサー・クランクには申し訳ないが、向かって来るのならば仕方が無い。

 きっと良人も同じように対峙するだろう。

 いや、良人ならば、敵意を向けた時に既に一撃は放っているか。

 私が呪を詠唱しようと覚悟を決めたその時、アーサー・クランクが私とマーリンの間に割って入った。

「これは一体どういう事だ!?二人共、頭を冷やせ!!」

 私とマーリンを交互に睨み付けるアーサー・クランク。

「やぁ。アーサー・クランク。申し訳ないが、こうなってしまったよ」

「…ヴァチカンの聖騎士…あなたも魔女側だと言うのなら、排除対象となりますが…?」

「何を馬鹿な事を!!同じ敵を追っている者同士、戦う必要は無いだろう!!」

 焦りながら説得を試みるアーサー・クランク。

 ちょうどその時、モードが目に涙を溜めながら、ジャバウォックに向かって駆け出して来た。

「ジャバウォック!!ジャバウォックうっ!!」

 号泣しながらジャバウォックにしがみつくモード。

――俺は大丈夫だ。お前を残して死ねるものか

 翼でモードを庇うよう覆い被さり、優しく宥める。

 私は邪眼を開きながら、マーリンからジャバウォックとモードを守るように立つ。

「と、兎に角、君も思う所があるだろうが…!!」

 最後まで言わずに構えたアーサー・クランク。

「…構えると言う事は…戦うと言う事ですか?」

「その!攻撃的な魔力を!獲物を見るような目つきをやめたら、剣は下ろす!」

 マーリンは私達を、いや、モードを見て笑っていた。

 目を見開き、禍々しい笑みを浮かべながら。

「…あなたの目にはそう映りましたか…これは失態。つい、嬉しくてねえええええ!!」

 ケーリュケイオンを振り翳すマーリン。咄嗟にジャバウォックはモードを跳ね退けた。

「アダムの肋骨の一部!戴きますよモルガンの妹!!」

 マーリンが叫ぶと同士に、落雷がジャバウォックを貫いた!!

――ごぁあぁあああああああああ!!!

 地に向かって吼えるように、蹲り、絶叫するジャバウォック。

 ジャバウォックが跳ね退けたモードは、アーサー・クランクがしっかりと受け止めてくれて、無事だった。

「話にならないのならば殺し合うしか無い!!」

 私は呪を詠唱する準備に入る。

「魔導師マーリン!!今、間違い無くモードを狙ったな!!」

 ジャバウォックが庇わければ、モードは死んでいた。

 これは相手の戦闘意思。

 迷わずに斬りかかる体制を作るアーサー・クランク。

「…私とした事が…クックックックッ…つい勇んでしまいましたが…大義名分もできた事ですし…」

 エクスカリバーの切っ先がピクリと揺れる。

「俺が魔女と飛竜を庇って謀反を起こしたと?」

「…私達もヴァチカンの顔は立てないとね…逆賊相手ならば文句も言われないでしょう…?」

 更に歪んだ顔を作り、顔だけアーサー・クランクに近付け、笑う、いや、嗤うマーリン。

 遂には動かない、いや、動けないアーサー・クランクの鼻に触れる距離まで、顔を近付けていた。

「逆賊はお前だ魔導師マーリン!!神に仕える身でありながらも、人間の命を狙うなど!!」

「…モルガンの妹の事ですか?『あれ』は生き物ではありません…アダムの肋骨の一部ですよおぉぉおお!!」

 マーリンはグルンと首を回して私に顔を向けた。

 その表情は人間の表情に非ず。まるで悪魔のようだった。

 こいつ、もしかして…

 私が気付いたのと同時に、アーサー・クランクも気付いたようで、モードの手を取り、駆け出した。

「…む?」

「リリス!!ジャバウォックと共に北嶋の家へ行け!!」

 泣きながら手をジャバウォックに伸ばしているモードを庇いながらも駆けるアーサー・クランク。

「…逃げた?ヴァチカン最強の騎士が?」

 唖然とするマーリンだが、その隙にジャバウォックに飛び乗り、号令を掛ける。

「飛べジャバウォック!!此処は逃げるんだ!!」

――俺はモードを……

「モードは生き抜いて守り通せ!!モードは絶対に大丈夫だ!!アーサー・クランクがついているんだからな!!」

 苦虫を噛み潰した表情をしたジャバウォックだが、人間を殺さない為、モードを悲しませない為に、私の言う事を聞き入れ、空高く舞い上がった。


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