エピローグ
15、1
無事に元の世界に戻ると、俺はライラに介助してもらいながら、ほうほうの体で帰宅した。玄関に着いたと同時に、ばったりと倒れた。
次に目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。
肉体的、精神的疲労のせいで、思考が回復するのに時間がかかったが、その後、こっちの世界では、俺が消えてから3日が過ぎていることが分かった。その間に捜索願まで出されていた。
俺は目覚めた直後、もっともらしい話をでっち上げるほど頭が働かなかったため、口がきけないという体で黙秘を続けていた。そのせいで両親に余計な心配をかけてしまい、全身くまなく精密検査を受けることになった。目立った外傷もなく、検査結果に異状もなかったが、大事を取って入院した。
もちろん、母さんはすごく心配していたし、お盆に帰ってくるはずだった父さんも、予定をかなり早めてうちに戻っていた。そのままお盆休みを家で過ごすらしいということをベッドの上で聞いた。
俺がまともに会話できるようになると、両親や警察からありとあらゆる質問攻めを受けた。とくに母さんは、強い不安の反動でかなり厳しく俺を問い詰めた。
無理もない。自分の息子だけでなく、預かっていた女の子までも一緒にいなくなったのだ。母さんの心境を思えば、詰問口調になっても仕方ない。
とはいっても、この数日の出来事について、母さんを納得させるだけの説明をするのは不可能だ。俺はそれらしい作り話を完成させるのがめんどくさくなり、気まぐれで家出したというなんともお粗末な言い訳をした。
当然、母さんは怒って問いただした。適当な言い分なのは明らかだ。しかし、俺は真実を話すこともできないので、その適当な言い訳を繰り返すしかない。
とうとう、母さんが折れた。俺とライラの様子から、犯罪に巻き込まれたわけではないと判断し、口を割らせるのを諦めてくれた。少し後ろめたいが、仕方ない。
そうこうしているうちに2日たち、俺は無事退院できた。家に帰ると、ユキやミケたちに会うのが久々だったので、みんな喜んでくれた。
その後体調に問題はなかったが、終業式も近かったので、俺は一足早く夏休みに入ることにした。
昼間留守番をしていると、兄弟たちからも根掘り葉掘り聞かれた。
「カイちゃん、ライラちゃんのお友達は無事だった?」
「カイ、後遺症とかはないかい」
「もう、そんな危ないことだったら、先に言っときなさいよ!」
ヒロがあらかた話してくれていたのだが、それでもみんなの興奮が収まらないようだった。全ての質問に答え終わると、どっと疲れが湧いた。
その夜のこと。居間でくつろいでいると、両親の目を盗んで、ライラは俺に手招きした。さりげなくついていくと、すっかりライラの部屋となった客間に入れた。
「カイさん、お願いがあるのですが…」
ライラはもじもじしながら切り出した。
「わたし、そろそろマスクト・レサに帰ろうと思うんです」
一瞬、言葉が出なかった。そして遅まきながら、そういえば向こうの世界がライラの故郷であることを思い出した。ライラにとってはここが異世界なのだ。
「そ、そうだよな。事件は解決したんだし、いつまでもこっちにいるわけにはいかないよな」
あれだけ騒ぎになったのだ、ライラは黙って桐島家を出るわけにはいかない。母さんを納得させるだけの理由を用意しないと。
一番手っ取り早いのは、身内が引き取りに来たという状況だろう。俺はライラと打ち合わせをして、2日後に実行することにした。
日曜日の昼間、家には俺と母さんとライラの3人がいた。全員が居間でテレビを見ているところに、インターホンが鳴らされる。俺とライラは目配せをした。
「はいはーい」
母さんはいつも通りに返事をし、ドアホンのモニターを確認する。
「あら!」
母さんは声を上げると、ぱたぱたと玄関に向かった。俺はライラを見た。
まもなく、ライラはうちを出る。
「ライラちゃん、見かけない男の人が来たんだけど、もしかしてライラちゃんの知り合いかしら」
母さんはそう言いながら、ライラの手を取って導いた。俺もひっそり後からついていく。
玄関先に、大柄で口元に真っ白なひげを蓄えた男が立っていた。見る人にはライラと同じ人種だと分かる、褐色で、掘りの深い容貌だった。
ライラはその人物を見、驚いたようなふりをする。そして母さんを振り返って、何度も強く頷いた。
「じゃあ、この方が…」
母さんは驚いた顔で、ライラと男を見比べた。男は深々とお辞儀をする。きっと母さんには、この男がライラの父親に見えているのだろう。
母さんは何度も家に上がるよう男に身振り手振りで勧めたが、男は首を振った。そして、ライラに声をかける。ライラは家の中に戻っていった。俺も所在なくなって、ライラについていく。ライラは客間で、数少ない私物をまとめていた。俺はライラの忙しない様子を見ながら突っ立っていた。
ライラは最後に部屋をきれいに整え、俺を振り向いた。
「あの、こんな感じで大丈夫でしょうか」
「うん。たぶん」
なんと言えばいいのかわからず、沈黙が訪れる。
「あの」
「あのさ」
気まずくなって口を閉じると、ライラが大げさに頭を下げた。
「カイさん、今まで本当にありがとうございました。それに、サトコさんにも、こんなに良くしてもらって、お世話になりました」
「いいよ、いいって。俺も楽しかったし」
本心だった。気が向いたらまた来てよ。そう言おうと思っていたのに、なぜか口が開かなかった。
客間の襖が開く。
「ライラちゃん、大丈夫?」
母さんが部屋を覗き込むと、ライラは慌てて口を閉じこくこく頷いた。そして母さんがあげたトートバックを肩に下げて立ち上がった。俺たちは部屋を後にした。
ライラ、母さんに続いて玄関を出ると、強い日差しが降ってきて、俺は目を眇めた。道に出ると、褐色の
「カイ」
俺が目を見張ると、父娘はそろって頭を下げた。
「ありがとうございました」
なんて答えたらいいんだろう。母さんの前で、2人の言葉に反応してもいいものだろうか。しかし俺が迷っていると、母さんは「そんなに頭を下げないでください」と父娘をとめた。ああ、そうすればいいのかと思っている間に、俺は声をかけるタイミングを逃した。
ライラは少し首をかしいで、心配そうな、心細いような目を俺に向けた。
「あ、あの、またな」
母さんの視線を気にしすぎて、ものすごくぶっきらぼうな言葉になってしまった。
でも俺がそう言うと、ライラは笑顔でうなずいた。
父親―――ラエドが手を引くと、ライラも踵を返して歩き始めた。
2人の後ろ姿を黙って見送っていると、ライラが肩越しに何度も振り返った。
50メートルほど遠ざかった時、ライラが足をとめた。
ライラは何も言わなかった。その代わり、後ろを振り返ると高く手を挙げた。
そして、大きく左右に振る。
俺は、大きく息を吸って手を挙げた。
「元気でなー!」
振った手が痺れるころ、ライラの姿は見えなくなった。
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