14、1

 目の前に、白いエナメル質があった。俺は首を左にひねった。



 鎖骨に、牙がめり込んでいる。その先端が脇から飛び出していた。


 

 痛覚の許容量を超えていたせいで、初めは視覚しか働かなかった。理解が追いついた途端、神経があらん限りの叫びをあげた。

 ものすごく痛い。が、息が吸えないので、喉が痙攣しただけで声は出なかった。


 しばらく俺の身体は牙に刺さったままだった。これだけ近いと、大蛇の口の中がありありと見える。赤黒い喉奥が、唾液で光っていた。剥き出しの肌に、ねばついた吐息がまとわりつく。

 下手に動いても傷口が広がるだけなので、俺はなるべくじっとしていた。それでも、蛇はためらいなく牙を引き抜く。その勢いでバランスが崩れた。俺は体を支えきれずに倒れる。

 

 塞ぐものがなくなったので、穴の空いた身体から血があふれ出す。血だまりは、湿った地面にしみを作っていった。

 傷口が、焼ける。血が足りない。気管が破けている。いくら吸っても、空気が漏れていく。


 意識が、目が、かすむ。


 横になっていると、影が目の前に立ちはだかった。

「手間取らせやがって」

 うまく焦点が合わせられず、見下ろす人物の表情はよくわからなかった。


 思考は、あっという間にかき消えていく。

 混濁する意識の中で、幻聴を聞いた。どこか遠くから響いてくる。

 懐かしい声。ずっと聞いていなかった声で、名前を呼ばれた気がした。俺には、なにもできずに横たわっていた。

 また名前を呼ばれた気がして、顔を上げる。

 牙を、血で染めた蛇と、目が合った。


「カイ…さん…?」


 頭が働かず、妄想と現実の区別がつけられない。

 今聞こえたのは、幻聴だろうか。


 聞き間違えだろうと思って、黙って蛇を見ていると、突如、蛇は身をひるがえした。



 刹那。蛇は、後方に立つエリシャに飛びかかった。

 


 エリシャはわずかに後ろへ下がった。蛇とエリシャがギリギリのところですれ違う。目にもとまらぬ速さだったので、何が起こったのかわからない。


 蛇は、なにか小さな物体を吐き出した。


 何を捨てた? 目を凝らして、吐き出された物体に焦点を合わせる。


 地面に捨てられたのは、腕だった。エリシャの上腕から下が千切られていた。

 手首にはめられた腕輪が、黒く濁っていく。

 空に閃光が走り、空が割れた―――結界が破られたんだ。

 上空で旋回していたドラゴンたちが、一気に舞い降りてくる。


 走ってこっちへ向かってくるのは―――ライラだ。



 ああ、作戦が成功したんだ。



 安堵すると同時に緊張が解け、意識が一気に遠のいていく。

 俺に駆け寄ってきたライラは、膝をついてうずくまった。

 俺の手が握られる。

 手に、温かい水が滴るのを感じた。


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