12、3
俺が自由に行動できるのは、仕事をこなしている間。つまり、朝昼夜の食事の時間と、ドラゴンたちを床に就かせる夜更けだ。それぞれ20分間の限られた時間に、兵士の目を盗んで催眠術を解く作業をする。
いざ暗示を解こうとすると、思いのほか手こずった。暗示が解ける早さには個人差があり、場合によっては一人解くのに5分かかった。何とかここを出たいとはやる気持ちを抑え、俺は辛抱強くドラゴンたちに話しかけた。
しかし幸運なことに、軍の人間にとって部外者が催眠術を解きうるということはまったくの想定外だったようだ。俺に仕事を任せている間、俺が部屋で何をしているのかまったく無関心だった。おかげで、少しずつだが確実に、ドラゴンたちの暗示を解くことができた。
それから2晩経った頃、俺は暗示を解くコツをつかみ始めた。その後は順調に作業が進み、なんとか40頭のドラゴンを解くことができた。
「悪いなカイ。君にばかり無理をさせて」
マスクト・レサに来てから、3日目の昼食の時間、ソロモンが小声で話しかけてきた。俺の飯はドラゴンたちのと一緒に支給される。俺は黒パンをかじりながら答えたた。
「平気ですよ、話しかけるだけだし。それに、全員の暗示が解ければ、みんなですぐに逃げられますよね」
「すぐには無理だ」
「でも、これだけいれば一人ぐらいワタリができると思うんですけど…」
誰か一人でもワタリを習得していれば、みんなで一斉にこの地下から出られるはず。そう思ったが、ソロモンは首を振った。
「ここではワタリができないんだ」
「え?」
「エリシャから聞かなかったか。この地域一帯には結界が張ってある。ワタリで出入りすることや、ドラゴンの姿のままこの町に侵入することはできない」
俺はぽかんと口を開けた。そしていまさら思い出した。たしかエリシャが、普通のドラゴンは入れないと言っていたではないか。色々ありすぎてすっかり忘れていた。
ワタリができないとなると、監視の目をくぐって地下室を抜け出すしかない。一人二人なら何とかなるかもしれないが、こんなに大勢いたら一度に移動するなんて無理だ。
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「チャンスはある」
ソロモンはそう前置くと、軍人たちから集めた情報を語った。
「明日、エリシャはドラゴンたちを全員地下から出す予定だ」
「なんでですか?」
「計画を実行するためだ」
俺は神妙になった。計画とは、ドラゴンを利用した作戦行動、つまり自然災害による武力行使だ。
「軍は、明日の深夜ドラゴンを全員連れて、ガリラヤ湖へ向かうつもりだ」
「ガリラヤ湖って、どこですか?」
「この街と接している山を知っているか? その山頂にある火口湖だ」
俺は地形を思い浮かべた。セイレンまで来る間、台地の背後に山脈が連なっているのを見た。台地を分断する川は、その火口湖から流れ出してきているのか。
「でも、なんでわざわざ湖まで行くんですか?」
「ガリラヤは聖域で、ドラゴンの力を一層強めることができる」
先日の嵐も、人災としてはかなりの脅威だ。それを上回る災厄を想像して、俺は背筋が寒くなった。
「だが同時に、ドラゴンの自然支配を最大限発揮するためには、結界を解く必要がある。そうすると、ドラゴンたちはワタリも、
どうやら、躊躇っている場合ではない。この機を逃せば、どこにも逃げられくなるい。
俺は急いで残りのドラゴンたちの暗示を解いた。仲間がみんな覚醒したことで、ドラゴンたちは喜んでいるが、俺まで浮かれているわけにはいかない。
その夜、俺とソロモンは、エリシャたちにばれないように細心の注意を払いながら、ドラゴンたちを集めた。そして、俺たちが置かれている状況を早足で説明する。
ドラゴンの中には初め、自分たちを騙して操っていた人間を疑う者もいた。でもマタルが説得してくれたおかげで、なんとか信じてもらうことができた。
「それじゃあ、あしたの夜、結界が解かれると同時に、逃げればいいのですね」
挙手をして発言したのは、ほかのドラゴンたちより少し大人びたサラーブという少年だった。ソロモンが頷く。
「この中にワタリができるものはいるか?」
ドラゴンたちはお互いに顔を見合わせる。が、手をあげる者はいなかった。俺が期待していた通りにはいかなそうだ。
「となると、翼で逃げるしかないな。移送中は、2個小隊による警備がつく。結界が解けた後、隙をついて変身を解いてくれ」
「わかりました」
そうしてドラゴンたちは、明日の脱出に備えてそれぞれに休むことにした。
ドラゴンたちが床に就くのを見届けていると、マタルが近づいてきた。俺とソロモンはそれぞれ、マタルとリーフに乗せてもらって逃げる予定だった。
「カイ、みんなにげられるか?」
「ああ。あとはお前たちがちゃんと元の姿に戻れれば、あんなやつらとはすぐにおさらばだ」
しかし、マタルは不安そうにしている。
「なんか、いやなよかんがする」
「縁起でもないこと言うなよ」
軍はソロモンのことを信じ切っている。きっとうまくいくだろう。
髪をくしゃくしゃにしてやると、マタルは少しは安心したようだ。そのまま「おやすみ」と言って寝台(といっても、ただの丸い台座に藁を敷いたものだ)に上がって横になる。一見、人間の奴隷のようだ。
いや、実際に奴隷にされそうになっているのだ。早くドラゴンたちを解き放ってやろう。
心を決めると同時に、守衛が俺を呼びに来た。俺も明日にそなえ、十分回復しておかないと。そう思って部屋を後にした。
しかし守衛は、俺の部屋には向かわなかった。別の通路で折れ、知らない部屋の前に俺を通した。守衛がドアをノックする。
「入れ」
部屋の中から、エリシャが答えた。
守衛が扉を開けると、中は広い部屋になっていた。軍隊様式のいかめしい内装ではなく、革張りの椅子や毛足の長い絨毯をしつらえた優美な一室だ。部屋の中央に置かれたソファに、エリシャは腰かけていた。
「ご苦労様。ドラゴンを飼う気分はどうだい?」
意味のない会話をする気は毛頭なかったので、俺は黙っていた。
「そんなに身構えなくていいのに」
エリシャはじっと俺を見つめてから、肩をすくめる。
「明日、この街を出る。目的地は、カルメル山山頂の湖だ。君にはその道中、ドラゴンの誘導を頼みたい」
ソロモンから知らされていた通りだ。俺は無言でうなずいた。
「何故移動するか、訊かないのか?」
俺はゆっくり言葉を選んだ。
「訊いたら、教えてくれるのか?」
「それはできない相談だな」
じゃあなんで訊いたんだよ。表情を変えまいと顔をこわばらせるが、癇に障る物言いに口元が引きつる。エリシャがおもむろに口を開く。
「カイ、何か隠し事をしてないか?」
視線は外さず、眉は動かさず、エリシャをまっすぐ見返す。
「なんのことだ?」
「いや、気にしないでくれ」
エリシャは何かに気づいたわけでもなかった。
「明日の仕事が終われば、君は晴れて自由の身だ。最後にしくじらないよう、心して仕事をしてくれ」
俺は守衛に連れられ部屋を出た。
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