11、2
このまま何事もなくライラとヒロに合流できないかと念じながら歩いていくと、10mもいかないうちに、マタルに袖を引かれた。
俺が何か聞こうとするより先に、マタルが口を開いた。
「なにか、いる」
俺は出かかった言葉をのんだ。息をひそめてゆっくり尋ねる。
「何か、って?」
「わからない」
「ヤバい、のか?」
「わからない」
危険とか、狂暴とか言う以上に、わからないというのが一番怖いじゃないか。
やっぱり早まった。無策で突入するべきじゃなかった。俺はマタルの手首をつかみ、踵を返そうとした。
その時、前方から空気が低く振動する音が聞こえた。
全ての神経を集中させて前方を凝視する。数メートル先に、黒い大きな塊がある。いや、”いる”。
黒い、毛むくじゃらの生き物が、白く光る牙を覗かせて唸り声をあげているのだ。しかも、一頭じゃない。
「Grrrrrr……」
「いやいや、ウソだろ……」
無意識につぶやいた声はかすれていた。あまりに予想外のことが起こると人間は笑ってしまうというが、どうやら本当らしい。俺の頬は引きつっていた。
熊と犬を掛け合わせたような姿だ。大きさは1、2mはありそうだ。それが全身の毛を逆立てて唸っている。お世辞にも友好的とは言い難い。
「えっと、そこの黒いお方? 落ち着いてくれ、別に争うつもりはないから…」
そう呼びかけてみるが、聞こえてないのか聞く気がないのか、唸り声をあげるばかりで話が通じない。
「な、なあ、話を聞いてくれないか? 君たちの言葉、俺は分かるから」
この状況で俺ができる唯一の抵抗といえば、対話による和平だけ。
しかし彼らは俺の言葉を無視し続け、一層体を低くし、そして――――
「話せばわかるっ!!!!」
「GYAOOOOO!!!」
俺たちに飛びかかってきた!!
頭では逃げきれないだろうという判断が働く一方、体が勝手に身をよじって逃げる体勢になる。その間にも、黒い獣が牙をむき出し迫ってくる。
その時、俺と獣の間に陰が割って入った。
「マタル!?」
小柄なマタルが、突っ込んでくる獣たちに立ちはだかった。引き留める間もない。
その表情は見えないが、両肩が上がる。大きく息を吸って――――
「ァ――――――――――!!!!!」
何だ!? 一瞬声を上げたような気がしたのに、何も聞こえない―――。
超音波か!
二頭の黒い獣は途端に立ち止まった。相変わらず唸ってはいるが、その声からは殺気がなくなっている。マタルは再び、一瞬だけ聞きとれる鳴き声を発した。
すると今度は、二頭とも後ろへ退き始めた。数歩下がったかと思うと、背中を向けて走り去っていった。
しばらく呆然としていたが、我に返った俺は思わず、マタルの肩に手をかけた。
「すごい! さすが、お前の鳴き声のおかげだよ」
興奮のあまり、状況を忘れて声を上げた。感激でマタルの肩をゆすると、マタルがゆっくりと顔を上げた。
「…あ……」
そう何か言いかけて、口をつぐんでしまった。戸惑っているようだ。
「どうした?」
マタルは、眉間にしわを寄せながら俺を見つめ返した。
「おれ、ドラゴン?」
いきなりそんなことを聞くので、俺の方が面食らってしまった。
「多分、そうだと思うけど…」
そう答えると、マタルは気難しい顔でまた黙ってしまった。マタルの身に何が起きているのかわからないが、たぶん本人にもわかってないから訊いても答えられないだろう。俺は肩をたたいた。
「まあ、助かったよ。ありがとうな」
マタルは俺を見つめ返し、こくんとうなずいた。
またあの狂暴な獣に出くわさないかとひやひやしながら通路を進んだ。幸い獣たちは横穴か何かに引っ込んだようで、その後は何もなく進んだ。
100メートルほど歩くと、またも部屋に突き当たった。部屋の入り口は、木でできた片開きのドアだ。地上の立派な施設とは不釣り合いな、板を組んだだけの味気ないデザインだった。
それを観察していると、後ろのマタルに声をかけられた。
「ドアのむこう、なにか、いる」
「さっきの、狂暴なヤツか?」
「ちがう」
「じゃあ、何?」
「わからない」
向こう側にいるのは果たしてライラたちか、ソロモンか。それとも他の何かか。正体が予測できず開けるのをためらう。しかし、考えたところで時間を消費することしかならない。
俺はついに意を決し、扉に手をかけた。部屋から光がこぼれてくる。
向こう側を見た瞬間、俺は絶句した。
扉の向こうは丸い部屋になっていた。丸いというのが分かったのも、壁に等間隔で松明が取り付けられているからだ。絶えず揺れる火が部屋の中を照らしている。だからこそ、室内の異様な光景がすぐに目に飛び込んできた。
中にいたのは、大勢の少年少女たち。ゆうに50人は超える。歳は十代の中頃。すぐに、ライラやマタルのような変身したドラゴンであると察しがついた。彼らは、立っていたり座っていたり、思いおもいの姿勢をしている。
その彼らの、一切の感情が抜け落ちた顔に、俺は寒気に襲われた。
「………まじかよ」
なんとかつぶやくが、当然返事はない。よくよく彼らの顔を見ると、一番最初に会った時のマタルの表情そっくりだ。
そのマタルを振り返って見ると、マタル自身は大勢の仲間の姿に驚き、おののいているようだった。
俺はライラの姿がないか、何度も周囲を見回した。しかし、見慣れたドラゴンの姿はない。ここにいるのは会ったこともないドラゴンたちばかりだ。抜け殻になったライラの姿がないことへの安堵と、それでも行き先が分からないことに対する不安の両方が湧いてくる。
とにかく俺は情報を集めようと、扉のそばに立っていた男の子に近づいた。彼の真正面に立って腰をかがめる。
「あのー、俺、カイって言うんだけど、君、名前は?」
少年は、ぼんやりとした目で俺を見た。俺を怖がるでもなく、不審がるでもなく、ただ俺の姿を映している。しかし質問は通じたようで、答えが返ってきた。
「にじゅうしち」
「え?」
「にじゅうしち」
俺はしばらく口がきけなくなった。
「もしかして、27って名前なのか……?」
ようやっと聞き返すと、少年は無表情なままうなずいた。俺の第六感が警報を鳴らし始める。
「いつからここにいるの?」
「せんげつ」
「どこから来たの?」
「おぼえてない」
「君、ドラゴンだよね」
「わからない」
この子も、マタルと同じように自身についての記憶があいまいだ。まさか、この子やマタルだけがたまたま記憶喪失というわけではないだろう。とすると、記憶のないドラゴンを集めたか、あるいは、
作為的に記憶を失わせたか。
「マタル、何か思い出せない?」
仲間の姿を見たら記憶が戻るかもと思ったが、マタルは必死に考え込んでいる。
「この中に、知り合いのドラゴンとかいないか?」
「わからない…」
ドラゴンたちの記憶は、かなり強固に鍵がかけられているようだ。こうなると、彼らは記憶と自由意思を奪われたうえで、この地下に幽閉されていると考えて間違いないだろう。どんなに好意的に見ても、ここがドラゴンにとって素敵な場所とは思えない。同時に、関係者以外が入っていい雰囲気でもない。見つかれば、俺もただでは済まないだろう。しかし、迷っている余裕はない。
俺は、もしもの時のことをマタルに指示した。マタルはうつむいている。声をかけても返事をしない。
「マタル? 聞いてるか」
マタルは微動だにしなかった。焦って「おい」とゆすると、マタルはゆっくりと顔を上げた。
その表情に、俺は目を見張った。
顔の造作は、さっきまでと全く変わっていない。ただ、瞳の色だけが、今まで見たことのない鮮やかな水色をしていた。
「カイ、ぼく―――――」
その時、荒々しい音を立てて部屋の反対側の扉が開いた。
「Ruie:tisowi' nanAmasai¡¡」
聞き慣れない言語に、俺は硬直した。
おそるおそる視線を向けると、奥の方に人が立っていた。そいつはその場に立ったまま振り返って大声を上げる。
「Orear-otad¡ Ayasuyn,is¡¡」
なんて言ってるのかはわからないが、なにを言いたいのかはわかる。声には敵意がこもっていた。すぐに増援が来るのだろう。
俺とマタルは顔を見合わせた。水色の双眸には、不安が浮かんでいる。
俺は、黙ったままうなずいた。
もう二人男たちが駆け付けた。三人で俺の方に向かってくる。俺は逃げずに待った。
「Ore-tisuki,soto」
「Akaon,tadir'o moutua:rasow.Nnogarod utiok¿」
高圧的な口調で命令してくる。抵抗せずにじっとしていると、手錠をかけられた。男に腕を引っ張られる。
俺はおとなしく男たちに付き従い、来た道と反対の扉を出た。
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