10、2

 台地の背後には山脈が連なっていた。川は台地の奥まで続いているから、向こう側の山に水源があり、そこから流れ出しているのだろう。増水したせいか、川には大きな石がごろごろ転がっている。見れば、サファイアの原石みたいなきれいな石まである。

「すごい」

 思わずつぶやいて近寄った。バスケットボールくらいの大きさがある。腰を落として両手で持ち上げてみると、ひんやりと冷たかった。

「こういう石って、この世界でも高価なの?」

 マタルに聞いてみた。マタルには興味のないことかな、と思ったが、マタルは首を振った。


「それ、いしじゃない」

「え?」


 どう見ても石のような気がする。試しに持ったまま上下に振ってみた。

「あれ?」

 拍子抜けするほど軽かった。持った時は全然気づかなかったけど、確かにこの軽さは石じゃない。せいぜい1kgぐらいだ。試しに川に向かて放り投げてみた。石は、水底に衝突したかと思うと、宙に跳ね返った。

「すげえ!!」

 なんだこれ、めちゃくちゃ面白い。

「すごいな、この石―――」

 と言いかけて、こちらをじっと見るマタルと目が合った。


「………」

「………」


 俺は静かになって、また川沿いを歩き始めた。


 台地のふもとにたどり着いくころには、日も暮れかけていた。天候はすっかり安定し、さっきまで垂れこめていた雲は上空の気流によって押し流されていた。台地の向こうから西日が射しているから、俺が流れ着いたのはセイレンのさらに東側のようだ。(ライラに位置関係を教えてもらった時、日が西へ沈むのは確かめてある。東から日が昇るのではなく、日が昇るところが東なのだ。)

 台地はほぼ垂直にせり上がっている。しかも高さは10m。断崖絶壁というほどではないが、装備もなしにロッククライミングできるほどの高さでもない。崖は左右にずっと続いていている。回り込めそうにないし、そもそも遠すぎる。

 川の向こう岸も同じで、渡れたとしても崖を登れそうな場所はない。そもそも川幅が300メートルあるから生身で渡るのは無理だろう。


 日没まで時間がない。上へあがれる場所を見つけないと、こんな辺鄙なところで野宿しなければならなくなる。当然野営の準備なんてしてないし、猛獣や、あるいは想像もつかないような危険に襲われるかもしれない。今は寒くないが、日が暮れたらどれくらい冷えるのだろう。


 ふと、マタルを見て俺はちょっと驚いた。マタルが崖の上を見上げて、わずかに表情を浮かべている。

 問題なのは、その変化がわずかすぎて、なんの表情かはわからないということだった。ただ、いつもより少しだけ目を開き、表情筋を強張らせている。それが高揚か、嫌悪か、恐怖かあるいは喜びなのか見わけがつかない。しかし、見逃せない変化だった。その時、セイレンの町で見たライラの苦しそうな表情が脳裏によみがえった。


「マタル、大丈夫か?」


 マタルは反射的に俺を見た。さっきまでなんの感情も映っていなかった瞳に、初めて戸惑いが浮かんでいた。


「嫌な感じなのか?」

 俺は重ねて聞いてみた。マタルは目をちょっとだけ眇めている。マタル自身も、自分が感じている刺激がなんなのかわかっていないようで、しばらく黙り込んでいた。おもむろに口を開く。


「きもち、わるい」


 どちらかというと感情の起伏に乏しいマタルが気持ち悪がるということは、よっぽど不快な感覚なのではないか。五感を研ぎ澄ませるが、やっぱり俺には何もわからない。だが、ここで立ち往生しているわけにもいかない。

「行きたくなかったら、ここで待っててもいいよ」

 そう声をかける。マタルは、俺をじっと見た。

「いく」

 一見するとわかりづらいが、マタルにはマタルの思うところがあるらしく、険しい顔はしているが、決心は強かった。


 とはいうものの、ここからどうやってセイレンへあがっていけばいいのか手段が思いつかない。俺はまだ日が沈まないうちに、せめて台地の上に登れる場所がないか調べたかった。それとも、先に安全な寝床を確保するべきだろうか。あたりを見回しても、安心して眠れる場所はなさそうだ。川岸から離れると低い木立がある以外は、なにもない。身を隠せそうだが、見晴らしは悪い。幸いライターを持っていているからいざとなったら火はつけられるが、燃えもえくさとなるものが見つかるかどうか。あんな土砂降りの後で火にくべられるものがあればいいんだけど。


 俺は寝床探しはあきらめた。最悪、眠らなければいいだけの話だ。一晩ぐらいならそれほどつらくもない。そう開き直って道を探すことにした。

 崖沿いに歩いて、山まで行ってみようか。そう思った時、セイレンが谷のすぐ近くにあったことを思い出した。


 このまま、川に沿って歩いて行ったら? 少なくとも、川が流れているということは勾配になっているはずだ。その坂を上っていけば、台地を回り込むよりもずっと早くセイレンの近くにたどり着くんじゃないだろうか。それに、町が川の近くにあるのも、川から取水するためだろう。とすれば、川と町とをつなぐ設備が何かあるはずだ。やみくもに歩き回るより、よっぽど期待が持てる。

 川は、台地の奥まで続いている。川幅は広いが川岸は狭く、せいぜい車1台分だが、歩いて通る分には問題ない。さっき氾濫したせいで地面はぬかるんでいるが、歩けないことはない。俺はマタルを振り返った。

「ここから川岸を歩いていこうと思うんだけど、来る?」

 今度は、マタルはすぐにうなずいた。

 俺は足元の流木に注意しながら、谷底を進んだ。



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