9、3
ドラゴンのワタリにもすっかり慣れてきた。目はつむっているが、風が流れているのを感じる。
その流れに身を任せていると、突然、何かにぶつかった。ライラと一緒に、思わず叫び声をあげる。
何が起きたのか聞く前に、俺たちは地面の上に倒れこんだ。
「いてて、どうしたんだ?」
俺が尻をさすりながら訊くと、ライラも不安そうな表情できょろきょろしている。
「すみません…。ワタリは成功したんですが、何か、見えないものに遮られてしまったようで…」
「何かって、何?」
「わかりません…」
「ライラちゃん、大丈夫?」
トラブルが起こったらしいが、幸いライラもヒロも怪我はないようなので俺は安心した。立ち上がってあたりを見渡す。
さっきの草原とは全く別の場所だ。固い地面の上には1本も木が生えていなかった。ところどころに苔が生えている程度だ。目渡すと、すぐ近くに大きな谷があった。向こう岸まで300mはありそうだ。10mほど下方に川が流れている。上流ではすでに雨が降っているのか、濁った水が速い流れを作っていた。
「兄ちゃん、あれ!」
ヒロに呼ばれて振り返ると、谷に沿って1kmくらい向こうに、建物が密集していた。パルマの家屋より背が高く、ほとんどが石造りだ。中には塔のような背の高いものもあり、そのてっぺんから煙が昇っている。
「あれが、セイレン?」
ここからはかなり距離があるようだ。
「はい。もうちょっと近づこうと思ったんですが」
「あの町にナビーがいるかどうか、わかる?」
せめて言葉の通じる人がいれば捜索がはかどると思ったが、ライラは首を振った。どうやら地道に探すしかなさそうだ。
俺たちは、そろって町に踏み込んだ。低い石段を上がると、広い石畳の通路に入る。やっぱり緊張するが、怪しまれないためには堂々としなければならない。
セイレンも、人通りはまばらだった。ただし町が大きく栄えているのか、パルマより人の数は多い。石畳を嗅ぎまわるヒロと時々立ち止まって耳をそばだてているライラの後についていった。すれ違う人はみんな足早で、見とがめられることはなかった。なるべく道の端っこを目立たないように進んだ。
30分ほど歩き回ったが、2人ともドラゴンの痕跡をつかめないようだった。俺はヒロとライラに合図して、人目につかない建物の裏手に回った。
「やっぱり、この方法だと無理があるよ。思ってたよりずっと広い町だし、せめて、なんとか場所をしぼったりしないと…」
小声で告げる。この方法で人間の姿をしたドラゴンを探すのにはどうしたって時間がかかる。何か策を考えないと、無意味に時間を浪費することになる。残念がっているのか、ライラの表情は沈んでいた。どうしようかと迷っていると、顔に水が落ちてきた。我慢しきれなくなって、とうとう雨が降ってきた。
いったん帰って出直そう。落ち込んでいるライラが気がかりだったが、「今日はいったん帰ろう」といいかけた。その時、ヒロがわんと小さく吠えた。
「兄ちゃん。あの声なんだろう?」
「声?」
聴覚に集中するが何も聞こえない。雨が降り始めたので、通りから人も消えたようだ。俺の耳には雨音だけがかすかに聞こえる。と思う間もなく雨脚が強くなってきた。慌てて建物の陰に入る。
「ライラ?」
ヒロは俺と一緒に軒下を借りたが、ライラだけは暗い道の真ん中で突っ立ったままだ。雨はどんどん強まり、ライラは降られるがままに濡れていく。俺は軒下から出てライラの腕をつかんだ。
「どうしたんだよ、風邪ひくぞ」
ドラゴンが風邪をひくのかはわからないが、そう言ってライラの腕を引っ張った。が、ライラは動かない。俺は、うつむくライラの顔を覗き込んだ。
褐色の肌からは血の気が失せ、目が虚ろになっていた。
「ライラ、ライラ!」
呼んでも、反応がない。とにかくこれ以上濡れないように、俺は強く腕を引っ張ってライラを雨の当たらないところに連れていった。置いてあった木箱に座らせる。
何度か呼びかけながら、肩を軽くゆすってみる。ライラはゆっくりと顔を上げた。目は曇っているが、声は聞こえているようだ。
俺は意識があることにとりあえず安心して、バッグを漁った。迂闊にも、雨に対しては何の備えもしていなかった。タオルを1枚だけ持ってきていたので、それでライラの顔と頭を拭いた。頑丈なドラゴンの身体に堪える寒さじゃないといいんだけど。
「ライラちゃん、大丈夫?」
ヒロも心配そうに鼻を鳴らしている。ヒロの方を向いたライラが、口を開きかけた。しかし言葉が出てこない。苦しそうな吐息が漏れる。
「兄ちゃん、やっぱりこの声おかしいよ」
ヒロが空を見上げながら、怯えたように尻尾をぴたりと体につけている。
そんなもん気にしてる場合か、ライラの様子がおかしいんだぞ。そう思った途端、俺は激しい既視感を覚えた。既視感の正体に気づき、俺は声を上げた。
「声って、もしかして、ライラみたいな声ってことか?」
「うん。それに、すごくたくさん聞こえるよ」
「たくさん!?」
ヒロの耳がキャッチしたのは人間の可聴音域を超えた高音、ライラが発していたのと同じドラゴンの鳴き声だ。それがたくさんということは、そう遠くない場所に多くのドラゴンがいるということじゃないか。かなり無謀な方法でドラゴンを探し始めたが、捜索初日に居場所を突き止められるとはずいぶんついてる。
俺が興奮していると、ライラが消えそうな声でつぶやいた。
「カイさん…」
俺は一瞬聞き逃しかけて、もう一度聞き返す。
「どうした?」
「ここは…おかしいです……。早く、離れましょう……」
浅い息と息の切れ目に、小さくつぶやく。俺はヒロと顔を合わせた。仲間たちが近くにいるのに、どうしてこんなに苦しそうなんだ? ヒロに確かめてみる。
「声は近くから聞こえるのか?」
「うん。だんだん大きくなってるよ」
どうやら、この町にたくさんドラゴンがいるのは間違いない。
「ライラ、ドラゴンたちがなんて言ってるのかわかるか?」
ライラは首を横に振った。
「分かりません……こんな声は……」
そう言って固く口を結んだ。
雨が止むのを待ってドラゴンの居どころをはっきりさせたかったが、ライラの様子じゃ一刻も早くここを離れた方がいい。
「走れるか?」
そう聞くと、ライラは小さくうなづいた。ライラの腕をつかんで立ち上がらせ、すぐに建物から離れた。
通りには人っ子一人いなかった。大粒の雨の中、ライラの手を引いて走る。俺たちはすっかりぬれねずみになってしまった。
元の道を引き返し、町を出る。雨は収まるどころか一層激しくなり、上空では雷鳴がうなりを上げている。風まで吹いてきて、嵐になった。早く町から離れようと懸命に走るが、水はけが悪いせいで大きな水たまりがいくつもあり、濡れた足が気持ち悪い。身体はすっかり冷え切っていて、震えが止まらない。ほかの町でも元の世界でも、早くどこかへ移動しないと。
町からなるべく遠ざかるように、谷のすぐそばまで来た。立ち止まって、谷を見下ろす。谷川は増水し、水位がかなり上がっている。
「ライラ、気分はどうだ?」
相変わらずぐったりしているが、さっきより意識ははっきりしているようだ。
「寒いよう」
「どこでもいい、今から渡れるか?」
顔色は悪いが、ライラはうなずいて、目を閉じる。俺もワタリの風が吹き始めるのを待った。
が、風は吹かない。
「あれ…!?」
顔色の悪いライラが、さらに動揺した様子でつぶやいた。
「ワタリが…できない…」
突如、大地を揺らさんばかりの雷鳴が空気を引き裂いた。もはや空は荒れ狂い、落雷が地面を割ろうとしていた。こんな短時間の間に、ここまで天候が悪くなることなんてあるのか?
「なんなんだよ!」
思わず声を荒げると、ライラがかすれた声を出した。
「これ……自然のものじゃない…。私たち……ドラゴンの力によるものです」
俺は耳を疑った。
「ドラゴンがって…そんなことできんのか?」
ライラは黙って首を振った。ライラも困惑している。ヒロはすっかりおびえていた。
「もう1度やってみます」
再びライラが目を閉じる。これが成功するのを祈るしかない。
その時、地面が大きく揺れた。
体が落ちる。
「え?」
俺の身体は傾いていた。ゆっくりと後ろに倒れる間、驚くヒロとライラの顔が見えた。
「兄ちゃん!」
「カイさん!」
二人が叫ぶ。その叫びが耳に届いた途端、俺の身体は崩れた足場とともに谷底へ落下していた。
俺は無抵抗のまま、濁流に引きずり込まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます