8、3
外観どおりのだだっ広い屋敷だった。2階建てだが天井も高く、窓や照明には意匠の凝った装飾がされている。廊下を歩くと、棚らしき家具や、見たこともない調度品が置いてある。何度もカーブするガラス管、湯気を吹くフラスコ、得体のしれない瓶詰エトセトラエトセトラ。そんな余裕などないのだが、その研究所めいた雰囲気に、ついつい興味がそそられてしまう。一方ユキは怖がっているのか、バッグから顔も出さない。男の案内に従って進んでいくと、応接間らしき部屋に通された。
室内は板張りで、きれいに磨かれている。中央に重厚な机とソファが置かれてあった。右手に大きな窓があり、それ以外の壁には本棚が並べられている。町で見かけた他の家もそうだが、人の住む場所というのは案外どこの世界でも似たようなものらしい。
「掛けてくれ」
ソファを勧められたので会釈して座るが、万が一のことを考えて浅めに腰を掛ける。この男――ドラゴンは、いったい何のために俺を家に招き入れたのだろうか。緊張でのどが乾いた。
「マタル、飲み物をもってきてくれ」
マタルと呼ばれた少年は黙ったまま部屋を後にした。この二人は、ライラとラエドのような親子だろうか。
男は窓際に立って外を眺めていた。お茶が運ばれてくると同時に、カーテンをひいて応接椅子に戻ってきて、俺の真向かいに座る。俺は居心地が悪くてもぞもぞした。
男はしばらくうつむいて黙っていたが、おもむろに口を開いた。
「私は、ソロモンというものだ。ここで親子で暮らしている。久々の客人だ、是非、君のことを教えてほしい」
俺は言葉を選んでゆっくりと答えた。
「えーと、僕はカイといいます。このあたりの地理に疎くて、迷っていたんです」
「何故、この町へ来たんだ?」
「あの、ティナンの森に行こうと思って」
「森に? あそこに多くの竜が住んでいることは知ってるよな?」
「ええ、まあ…」
「何故人間の君が森へ行くんだ?」
「えっと、ドラゴンの知り合いがいて。ライラっていうドラゴンなんですが、ソロモンさんはご存じないですか…」
もしかしたら何か知ってるかもと思い訊いてみたのだが、言い終わる前に、俺は質問したことを後悔した。ソロモンの表情が凍り付いたのだ。しかし俺がまずったと思ったと同時に、ソロモンはさっと顔をそらした。
「何故、そう思うんだね」
俺は内心おっかなびっくりしながら答えた。
「あの…ソロモンさんと息子さんは、ドラゴンですよね」
ソロモンは窓の外を見ていた。ただでさえ表情が固いのに、横顔では何を考えているのか全く分からない。やがて、
「久々に招く客人がナビーとはね」
そう言って、一服した。
それからは、ドラゴンとどうやって知り合ったんだとか、どこから来たのかなど根掘り葉掘り聞かれた。相手がドラゴンなら異世界のこともワタリのこともわかるので、自分がドラゴンの救世主じゃないかということは伏せて、起こったことをかいつまんで説明した。
「ソロモンさんも、言い伝えについては知ってますよね」
「言い伝え?」
「あの、ドラゴンがどんどん消えていくっていう」
同じドラゴンなら知っていると思ったのだが、ソロモンは怪訝な表情を浮かべた。「いや…。私は初めてだ」
「あの、ソロモンさんみたいに、人の姿で、人の町に暮らしているドラゴンって多いんですか?」
ソロモンは口をつぐんだ。ずっと険しい顔をしているので、何を考えてるかわからない。もしかして気分を害したか? と俺が内心焦っていると、ソロモンがゆっくりと答えた。
「いや、聞いたことはないな」
「そうなんですね」
とは言ったものの、さっきからこの男の言動はなにか引っかかる。そもそも、なんでこんな不審な俺を家に招き入れたんだ。本当は、この親子のように人間に混じって暮らしているドラゴンは多いのかもしれない。なにか言いたくない理由でもあるのだろう。
一通り尋問まがいの質問攻めにあった後、重苦しい沈黙が訪れた。気を紛らわせようと思って飲んだお茶はすっかり冷めていた。何か考え込んでいたソロモンは我に返っとように俺を見た。
「長く引き留めてしまって済まない。急ぎだったんだよな」
「あ、はい。大丈夫です」
解放されそうな雰囲気に内心ほっとため息をついた。ソロモンと息子のマタルは玄関まで送ってくれた。
屋敷を出るとき、ソロモンに声をかけられた。
「私たち親子は、なるべく静かに暮らしたいんだ。だから、私たちがここにいることは、人間にもドラゴンにも伏せておいてくれないか」
俺は数回うなずいた。
「わかりました」
屋敷を後にし町はずれに向かう途中、俺はソロモンとのやり取りを思い返していた。町を抜けるとようやくユキが頭をだした。
「ふー。息が詰まりそうだったぜ」
俺はため息をついた。コイツ、人の気も知らないで。俺がソロモンと喋っていた間、ずっとねっこけてたんだろうか。
「なんだ、お前。寝てたのか」
「オレはそんな薄情者じゃないぞ。お前が、人間としゃべってるときは話しかけるなって言ってたんだろうが」
俺はユキの返答を聞き流しかけて、つんのめった。せきこんで尋ねる。
「ちょ、誰が人間だって?」
「だから、ソロモンっていうやつだよ」
「待って、俺、あの人と話せたぞ。人間だったら絶対に言葉が通じるわけないだろ」
「そうなのか?」
ユキは首をかしげた。
「確かに人間の匂いがしたんだがなあ」
俺は、訳が分からず立ち尽くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます