7、5
「ユキ!?」
俺は目を疑った。別の猫かとも思った。しかしクロの言葉の通りなら、この世界にいる白猫はユキ1匹だけのはずだ。
ユキがこちらを振り返った。その目が見開かれる。
「カイっ!!」
ユキは悲鳴を上げるが、追われているので止まることもできない。
「あれが、お前の家族か」
「そうだよ! ってかなんであんなことに」
「そりゃあ、あんな珍しい猫見たら捕まえたくなっちゃうだろ」
この世界じゃ白猫はまさにUMAというわけだ。今ユキを保護したとしても、UMAの飼い主として注目されることはまぬがれない。しかしパニックに陥っているユキは、植え込みで急転回し、俺に向かってまっすぐ飛んできた。
「カイっ、助けてっ」
柄にもなく取り乱している。初めてくる世界で迷子になったうえ、訳も分からず追いかけられているのだ、無理もない。でもユキを確保して、どうする?
その時、クロがバサッと飛び立ち子供たちの顔めがけて急接近した。突然現れたカラスに驚き、子供たちは腕で顔を覆った。
今だ!
俺は飛んできたユキの首根っこをひっつかみ、問答無用でデイバッグに押し込んだ。クロが飛び去った後、子供たちの前からユキは消えていた。
「Rea,ah aoke nioris¿」
「Attayteik」
子供たちは怪訝な顔であたりを見回している。当然、俺に視線が集まる。俺はあいまいな笑顔で手を振った。
子供たちは納得のいかないような顔をしていたが、やがてあきらめたのか帰っていった。いつの間にかクロも噴水のそばに戻ってきていた。
しばらくして、デイバッグからユキが顔をのぞかせた。げっそりしている。
「死ぬかと思った」
どうやらユキは案の定、渡り時の風に驚いて、俺の肩から飛び降りてしまったようだ。そしてこの町のど真ん中に落ちて、子供たちに追い掛け回されるという憂き目にあっていたということだった。
「にしてもすげえや。ホントに真っ白な猫だぜ」
俺たちは人目につかないよう、薄暗く狭い路地にいた。真っ黒なクロが、ユキを頭のてっぺんからしっぽの先までなめまわすように見つめている。ユキはその視線にいやそうな顔をした。
「カイ、このカラスはなんだ?」
「なんだとはご挨拶だな。迷子になってたこのあんちゃんを助けてやってんだぜ」
「うん。言葉も通じないし、困ってたらたまたまこのクロがいたから、案内してもらってるんだ」
「言葉が通じない?」
ユキはそう繰り返してから、合点がいったのか「ああ」とうなずいた。
「そうか。同じ人間だから、言葉が通じないんだな」
全くその通りなんだが、こいつらと話せて同じ人間と話せないというのも考えてみれば妙な話だ。
「で、この粗野なカラスが道案内をしてくれるのか?」
「おう。ティナンの森まで案内してやるよ」
こうして俺たち、人一人、猫一匹、カラス一羽の奇妙なパーティは、さらに北を目指して出発した。
北へ向かうためには、どうしても大通りを行かなければいけない。仕方なく、俺はユキをバッグに背負って歩くことにした。一緒に同じ方向へ向かっているのに、会話ができないのでみんな黙っている。
やがて、しゃべりさえしなければ誰にも怪しまれないということが確信できたので、安心して町を歩くことができるようになったころ、再び人や家の数が少ない場所にやってきた。俺が初めに落ちた場所と同じような郊外だ。やがてクロは、道を外れて丘の方へと向かっていった。
「そろそろ、森が見えてくるぜ」
もう人に見られる心配もないのか、クロが俺の肩に止まって言った。それにつられて、ユキもバッグから顔を出す。
「大丈夫なら、降ろしてくれ。人に運ばれるのは慣れない」
草に上におろすと、ユキはぐっと背中をそらせてのびをした。耳をピクピク震わせ、鼻をすんすんしている。
「いい場所だな」
町を抜けると、すがすがしい風に草木がなびいている。
「あっちの方へ行ってくれ」
クロがくちばしをしゃくる。クロに言われるがままに、丘に上がった。一気に視界が開ける。
空気が澄んでいるので遠くまで見渡すことができた。数キロ先に、あの広大な森が広がってた。ここから見下ろすと、森の真ん中あたりにぽっかりと穴が開いているのがわかる。昨日の湖だろう。俺は胸をなでおろした。これで何とかなりそうだ。
「あそこにライラもいるといいんだけど」
そう言いながら丘を降りようとする。その時、背後から物音がした。
驚いて振り返ると、草むらに一人の少年がたたずんでいた。年は12、3歳くらい。長いマントを羽織ってフードを目深にかぶっていた。
真っ先に、ユキが俺の足元に隠れた。また追いかけられてはたまったもんじゃないということだろう。急なことだったので、俺も反応できず固まった。
少年は、よく見ると、さっきユキを追いかけていた子供たちとは雰囲気が違った。身なりもそうだし、顔立ちも、別の国の人のようだ。褐色で、大きな目をしている。フードの下からちょっとだけのぞいた髪の毛はくせっ毛だった。俺の肩には相変わらずクロが止まっていたが、果たして怪しまれないだろうか。
俺の心配をよそに、少年は別の方向を見ていた。俺たちには目もくれずにそばを通り過ぎて丘の上に立つ。彼は、丘に臨む巨大な森に見入っているようだった。
「おいおい、なんだアイツ。知り合いか?」
「そんなわけないだろ」
声を落としてクロに答えるが、少年はこっちに興味がないらしい。その時、ユキが俺のくるぶしに触れた。
「カイ」
「なんだよ」
ユキはいつの間にか足の間から出ていた。急に子供が怖くなくなったようだ。
ユキが何かを言う前に、少年が踵を返した。さっきと同じく、俺たちの脇を通り過ぎ、町へ続く道へ引き返していった。
後には、沈黙する一人と一匹と一羽が残された。
「…なんだったんだ、あれ?」
クロが首をかしげる。俺は胸をなでおろした。
「まあなんにせよ、怪しまれなくてよかった」
悪くすれば、UMAとカラスとを連れた不審者として通報されていたかもしれない。何もなければ、それに越したことはない。
でも、ユキだけはなぜかおとなしかった。
「どうしたんだ?」
そう訊くと、ユキはしばらく黙って尻尾をくゆらせていた。そして呟く。
「あの子供、ライラと同じ匂いがしたな」
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