7、徘徊

7、1

 帰ってきてそうそう、猫のユキがやってきた。


「で、どうだったんだ?」


 こいつもかなり興味津々だったようだ。俺は、他の動物たちの目を盗んで、小声で異世界の様子を説明してやった。ユキは目を丸くする。

「そいつはすごい。嬢ちゃんの話は本当だったんだな」

 やっぱりユキも半信半疑だったようだ。俺だって夢か幻を見ている気分だが、息よりも軽くなったバッグの重さが、事実だと証明している。


「ユキくん、すごいよ! ライラちゃんはすっごく大きくなれるんだよ!」

「大きく?」

 ヒロの興奮した言葉に、ユキが怪訝な顔をする。俺はユキにも驚きが伝わるよう、声を押し殺して告げた。


「そうだ。実は、ライラは、ドラゴンだったんだよ!」

「どらごん…それ、なんだ」


 ユキは首をかしげた。俺は肩を落とす。ああ、猫にはこの衝撃が通じないらしい。

「えーっと、空飛ぶでかいトカゲみたいなやつだよ」

「写真とかないのか?」

「あーっ!!」

 そうだ! わざわざカメラまで持ってたのに、俺は何一つとして撮ってなかった。 撮ってれば、こいつらを驚かせられたのに。俺はほぞをかんだ。

「くそう。今度行ったときに絶対撮ってくるからな」

「また行くのか?」

「うん。すげーいいところだったし、ライラにも行くって言っちゃったしな」

 じゃあ、と言ってユキは尻尾を持ち上げた。


「俺もつれてってくれよ」

「マジで?」

 俺は耳を疑った。


「ああ。俺も、その異世界とやらに興味がわいた」

 こいつ、普段はクールぶっているが、実はかなり好奇心旺盛のようだ。

「そうだなあ。また、来週くらいなら」

「カイ、明日休みだろ?」

「おい、明日にでも行くってんじゃないだろな」

「そのつもりだ」

 そうなると、俺は貴重な連休を両日とも異世界旅行に費やすことになる。

 しかし、頑固なユキを説得するのはかなり骨なので、俺は素直に従うことにした。


 お昼ご飯の後、ライラは放鳥中のインコたちと戯れていた。

「ライラ、明日って暇?」

 ライラは、アオを指先に乗せながら目を丸くした。

「えと、特にこれといった用事はありませんが…」

 そりゃそうだ。来たばかりのドラゴンに、そうそう用事もあるまい。

「あらまあ! カイったらまたデートなの?」

 当然のようにアオが口をはさむがスルーする。

「じゃあ、またあそこへ連れてってくれないか?」

「本当ですか! もちろんです!」

 とにかく、またあの不可思議な世界へ行けることになった。せっかくだから、今度はいろいろな場所に案内してもらおう。そして絶対に写真を撮ろう。


 不思議な生き物や、ドラゴンのことももちろん俺の常識を超えている。

 が、それ以上に、こちらの世界と時間の流れが全く違うということは驚異的だ。

 俺が向こうの世界にいたのは3時間ほど。身に着けていた時計がそれを証明している。ところが、こちらに帰ってくると1時間程度しか経っていなかった。家の時計や、ミケたちの言葉からも間違いない。

 つまり、マスクト・レサの方が大体3倍くらい時間の流れが速いのだ。もちろん、常に比例関係ではなく、ひょっとしたらどこかの段階で指数関数的に速さに差が出ることも考えられる。

 でも、常に向こうの方が流れが速いとすれば、浦島太郎のように、帰ってきたら何もかも変わっていたということは起こらない。向こうに長居さえしなければ、俺がこの世界から消えたことすら誰にも気づかれない。そのことが俺にとって、異世界を訪問することの心理的ハードルを下げていた。



 翌日朝早く、俺とユキとライラは家を出た。ミケはずっと家猫だが、ユキはもともと野良だったから家の外でも全く物怖じしていない。すっかり道順を覚えた俺が前を歩き、ライラとユキが並んでついてくる。

「ライラ、マスクト・レサってのはすごくいい場所なんだってな」

「ええ! もちろん、ネジャ・アルマも素敵なところですが、ここでは見られない景色もたくさんありますよ」

「それは楽しみだ」

 実際、ユキは楽しそうだ。久しぶりに外に出れたこともあるのだろうか。


 3度目ともなると、薄暗い林の中でも迷わずに進んでいけた。入ってものの5分で鳥居の前に着いた。

「すごくへんぴなところだな。ここからどうやって異世界とやらへ行くんだ? どこでもドアでも使うのか?」

 ドラゴンは知らないくせに、秘密道具は知っているらしい。

「ライラが連れてってくれるんだ。風が吹いたりするけどビビるなよ」

 前回同様、境内に入ってご神木の近くに立つ。ライラが「準備はいいですか?」と聞く。俺はうなずいた。

「よっと」

「ちょ、なにすんだよ」

 いきなりユキが俺の肩に乗ってきた。4kgの体重に思わずよろめく。

「こうした方がいいと思ってな」

「こんなんじゃ向こうに行けないだろ」

「いえ、大丈夫ですよ。触れ合っている者同士と私が触れれば、全員で渡れます」

 俺が大丈夫じゃないんだが。しかしユキは降りる気がないようなのでマスクト・レサまで我慢することにする。

 ライラが俺の手を取った。

「それでは、行きます」

 林の音が遠ざかっていった。


 強い風が吹きつけてきて、俺はまた目をつぶった。昨日と同じように、まぶたの向こう側に様々な光が飛び交っているのを感じる。


 不意に、肩にのしかかっていた重みが消えた。


「ユキ?」

 声を上げるが、答えはない。驚いて目を開けると、右肩に乗っていたはずのユキが消えていた。

「ユキ!?」

 ユキの姿がどこにもない。ライラが目を見張る。

「ひとまず、昨日の場所で降りましょう」

 ライラがそういった時にはすでに、俺の手はライラの手から離れていた。思わず手を離してしまったのだ。

「カイさん!」

 ライラの声は、もうはるか彼方だった。俺は光跡の尾をひいて流れる景色の渦の中を落ちていた。


 やがて流れが緩やかになり、俺は音と光のに包まれた。


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