6、3

 静かだ。

 

 太い幹や柔らかい地面に、音という音が吸い込まれて響かない。聞こえる音と言えば、ヒロの息遣いと、落ち葉を踏みしめるかすかな足音だけ。動物は見当たらないが、植物はとても健やかに育っているようだ。大木に絡まるツタや下草は瑞々しい。

 時々、花が群生している場所がある。見覚えのある形をしたものもあれば、見慣れない色をしたものもある。どぎつい色味の花びらもあるが、恐ろしさは感じなかった。

 確かに、住み心地はいいのかもしれない。

 ライラが先頭を歩き、俺とヒロは黙ってその後をついていった。


 しばらくの間、無駄話もせずに黙々と歩いた。涼しいので汗はかかないが、そろそろ休みたい。腕時計を見ると、家を出てから1時間半が経とうとしている。今朝母さんと交わした他愛ない会話が、遠い世界の出来事のように感じられる。いや、実際に遠い世界だったか。


 ライラに休憩を申し出るかどうか迷っていると、果てしなく続きそうな木々の間で、何かがきらめいた。もう少し近づくと、それが水面であることが分かった。

「あれ、湖か?」

 ライラはうなずいた。

「はい。ここは、仲間がよく利用する場所です。この近くに、カイさんに会わせたい方がいるのです」

 いよいよ、ほかのドラゴンとの対面である。しかし、静謐な空気と徒歩による疲れのせいか、俺は妙に落ち着いていた。

 俺とライラとヒロは、広い湖の岸にたどり着いた。

 それまで、大きく広がった枝葉によって空がふさがれていたが、湖の上だけはぽっかりとあいている。それでも木々の背が高いので、日はあまり届かない。わずかに差し込む光の筋とちりが交わった瞬間だけ、空気が揺らめいているのが分かった。


「ちょっと、休んでもいいか?」

「あ、すみません、気づかなくて」

 ライラが申し訳なさそうに言った。俺とヒロは息が上がっているが、ライラは全く変わりない。人間の姿でも体力はドラゴン並みということらしい。

 俺は、太い木の根に腰を下ろして湖面を見た。きれいだけど、これといって変わったところはない。ただ、何とはなくともこうしてたたずんでいる自然の姿にしばし見とれた。


「兄ちゃん、お腹すいた~」

 ヒロが寄ってくる。俺はバッグを下ろして水筒とビスケットを取り出す。ヒロにあげるとおいしそうにぱくついた。

「ライラも何か食べる?」

「いいんですか?」

 ライラはいそいそと近寄ってきて、俺のすぐ隣に座った。ちょっと近すぎる。

 持ってきた菓子パンを渡したら、「ありがとうございます」と言って袋ごと口に入れようとしたので慌てて取り上げた。開けて中のメロンパンを渡す。ライラはそれをちぎったりせずに口いっぱいにほおばった。そんなに詰め込んだら息できないぞ。

「ほれも、ほっへもおいひいふぇす」

 故郷に帰ってきたせいか、ライラはいつもよりはしゃいでいる。

 案の定パンを詰まらせたらしく、のど元をたたいている。水筒を渡してやるとがぶがぶ飲んだ。

「ありがとうございます。おいしいですけど、危険な食べ物ですね…」

「食べ方がおかしい」

「兄ちゃん、ぼくものどかわいた」

「ライラ、あの水って飲めるの?」

 俺が湖の指さすとライラはうなずいた。「はい。とてもおいしいですよ」


 ヒロは湖面に駆け寄っていき、ぴちゃぴちゃと水をすくっている。そのせいか、水面が波立った。

 あれ? やけに波が大きい。いや違う、湖全体が揺れているのだ。風が吹いてるわけでもないのに、波は徐々に大きくなる。

「お、おいヒロ、離れ――――」

「うわぁああっ!!!」

 ヒロが驚いて飛びすさる。と同時に、水面が大きく盛り上がった!

 突如現れた水柱からしぶきが上がる。やがて水が落ち切った中から――――ドラゴンが現れた。


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