5、3

 玄関を出て空を見上げると、鈍色の雲が空を埋め尽くしている。これから異世界へ出発するというのに、不吉な空模様だ。俺はライラを振り返った。

「たしか、渡って決まった場所でするんだよな?」

「はい。どの世界にも、聖域から渡ることができます」


 聖域? そんなものこの辺にあるのかと思ったが、すぐに合点がいった。つまり、ライラが最初に現れた神社のことだろう。

「? なんの話してるの?」

 ヒロは不思議そうだが、とりあえず説明は後回しにする。

「いつもと違うコースだけど、いいか?」

「わかった!」

 俺は、いつもとは反対の方向に歩き始めた。


 10分ほど歩くと、例の雑木林に着いた。真昼間のせいか、前に来た時のような不気味さはない。とはいっても、なんとなく人の立ち入りを拒むような雰囲気はある。

「この先の神社でいいんだよな」

 念のためライラに確認すると、ライラはうなずいた。俺は林に踏み入ろうとして、ある事に気が付く。

「そういえば、この前は何であんな弱ってたんだ?」

 ライラはきまり悪そうにもじもじした。


「あの、実はわたし、ネジャ・アルマに渡るのは初めてで。それで、ちょっと、身構えるのが遅くて」

 歯切れの悪い返事に、嫌な予感がよぎる。

「その、渡るときに事故ったとか、そういうのではない?」

 心配になって尋ねると、ライラは首をぶんぶんふった。

「そんな危険なものではないです! 2回目はどうか、カイさんは安心してください」

 ライラはとにかく話を信じてもらいたせいか必死だ。俺もさすがにここまで来て弱気になるわけにもいかないので、頭から不安を振り払って林に入った。


「ヒロ、この前の神社まで行けるか?」

「うん。わかった」

 俺とヒロとライラは並んで歩いた。以前ような焦りがないせいか、あっけなく鳥居にたどり着いた。新聞にも取り上げられたのに、相変わらず神社は無人で、さびれている。

 よくよく見ると、鳥居のわきに石碑が立っていた。ところどころ苔に覆われててわかりづらいが、石には「辰巳神社」と彫られているようだ。神社の荒れ具合には不釣り合いな立派な名前だ。

「兄ちゃん、ここで何するの?」

 ヒロも不思議に思ったようだ。俺はようやくヒロに事情を説明した。


「へー。ライラちゃんは別のの世界から来たんだね!」

「はい。ヒロさんは聞いたことありますか?」

「うん! マスクって口に当てる白いやつだよね!」

 返事はいいが、やっぱりヒロも知らないようだ。

「で、ここからどうすればいいんだ? なんか、呪文とか唱えるのか?」

 そう尋ねると、ライラは首を振った。

「特別なもの必要ありません。わたしが、お二人に触れて念じれば渡ることができます」


「では」と前置いて、ライラはまっすぐ俺を見た。

「用意はいいですか?」

 俺はヒロと顔を見合わせた。そして生唾を呑み込み、ゆっくりとうなずいた。

「ああ。いつでもやってくれ」



 まず、ライラは俺の手を取った。そして片膝をつくと、今度はヒロの頭を撫でた。

「では、行きます」

 そう言って、目を閉じる。はたから見れば奇妙な光景だろうが、黙って従うしかない。

 俺も目つぶった方がいいのかな? と思っていると、不意にあたりが静かになった。耳を澄ませるが、何も聞こえない。


 いや、この違和感は、静かになったのではない。周囲の音か遠ざかっている。


 驚いてヒロを見ると、ヒロも何か感じているらしいく、さかんに鼻をひくつかせている。

 すると、今度は風が吹いてきた。ただの風ではない。相変わらず音がしないのだ。しかし、髪や裾がなびいていて、空気が肌の上を流れているのがわかっら。

「お、おい」

 たまらずライラに声をかけたが、ライラは一心不乱に何か念じている。風はますます強くなり、上着がはためく。

「兄ちゃん!」

 ヒロが声を上げた。俺は何か返そうとして、何も言えなかった。

 声が、出せない。それとも、出しているのに聞こえないのか?

 ヤバいと思った瞬間、俺の身体は空中に投げ出された。



 俺たちのいた雑木林の景色が消えた。周囲は乳白色に包まれている。

 いや、白だろうか? 目は開いてるはずなのに、何色か分からない。ちょうどまぶたの裏側を見ているように、形容しがたい光に包まれていた。ただ、風を切る感覚だけは鮮明で、ものすごい速さで飛んでいるのが分かる。


 ヒロは? ライラは?


 それを確かめる間もなく、まばゆい光が視界いっぱいに広がり、みるみる音が近づいてきた。


 あたりが真っ白になった。

 

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