3、2

 7月初旬の熱気は、じめじめと体にまとわりつく。田んぼ沿いのアスファルトなんか、なぜここまで不快な環境を作ったのか不思議で仕方ない。こんな蒸し暑い日に限って悲しいほどに無風で、流れるてくるのはセミの声ばかり。いつもどおり自転車で通学していいればもっとましだっただろうが、俺は朝からタイヤをパンクするという不運に見舞われていた。この時期は5時半でも日が高く、じっとりと汗がにじむ。行く手に揺らめく逃げ水を見ていると、暑さのせいで頭がぼんやりしてきた。おかげで不安や疑問に頭を悩ませることなく家に着いた。


 我が家は多くの動物を飼っているため、人がいない時でもエアコンがつけっぱなしになっている。そのことに感謝しながらかまちを上がる時、ふと違和感を覚えた。

「ただいまー」

 ドアを開けると涼風が漏れてきて、火照った身体に心地いい。至福の瞬間。それを浴びながらダイニングに踏み入った時、俺の身体は中途半端な角度で固まった。


 居間がいやににぎやかである。もちろん、いつもにぎやかなのだが、動物たちがソファを中心に騒いでいる。俺のことを兄と慕っている動物たちが、今は俺には見向きもしなかった。


「ねえねえ、あなた名前は何て言うの?」

「名前は、ライラと言います」

「私アオっていうのよ!」

「素敵な響きの名前ですね」

「君って神社に住んでたのかい?」

「いえ、そういうわけではないのですが」

「おなか空いてない?」

「ええ、キリシマさんがご飯をごちそうしてくれました」


 俺の家族が質問攻めにしている相手。それは数日前にさびれた神社で見つけ、病院で再会し、俺にあまたの疑問を残して分かれた少女だった。俺は絶句した。


 なんで、ライラがここにいる。


「あ! 兄ちゃん!」

 真っ先に俺に気づいたのはヒロだった。ヒロの声で、ライラも俺の存在に気づいた。驚いたように口を閉ざす。

 ヒロは嬉しそうに尻尾を振りながら俺によって来た。

「僕らが見つけたあの子だよ。すごく元気になってよかったね。お母さんが連れてきたんだ」

 またあの母親か! そりゃあ、俺だってちょっとはこの子がかわいそうだと思ったけど、ここまで桐島家がかかわる必要あるか? そもそもなぜ連れてきた?


「カイちゃん、この子家族が見つかるまでうちで暮らすんですって」

 ミケの言葉に、俺は頭を抱える。そして、さっきの違和感の正体に気づいた。見慣れない靴が履きそろえてあったのだ。

「ライラちゃん、あれが私たちのお兄ちゃんのカイよ!」

「え、えっと…」

 ライラはうつむいて目を泳がせるきり、口をつぐんでいる。

「兄ちゃんは優しいから安心してね」

「はい。でも、たぶん話しかけてもわからないと思うので…」


 どうやら、ライラは俺に気兼ねしているらしかった。さすがに彼女が気の毒になり、俺はため息をついた。


「あの、全部聞こえてるから」


 ライラは、俺の顔を凝視して固まった。動物たちを見回す。

「えっと、今の、私に向かって言ったんでしょうか」

「そうだよ。ライラ、だよな?」

 ライラは俺を見つめて目を丸くした。自分の口や耳を触って異常がないか確かめている。そして、恐るおそる口を開いた。

「あの…私の言葉…わかるんですか?」

「わかるも何も、こいつらの言葉も全部聞こえてるから」

「そういうことだから、ライラさんは心配しなくていいよ」


 ミドリの言葉に、ライラもようやく理解したようだ。しばらく呆然としていたが、慌てて立ち上がった。

「あのっ、先日は、助けていただいてありがとうございました」


 アラブ系女子は、思いのほか丁寧に、深々とお辞儀をした。

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