2、2
少女が入院している病院は、市の中心部に位置する総合病院だった。母さんが勤めている病院だ。赤の他人であるにもかかわらず、職権によって少女の居場所を完全に把握したわけである。病棟のエレベーターに乗り込むと、迷わず4階のボタンを押した。
エレベーターを出るとすぐにナースステーションがある。母さんは同僚に軽く挨拶し、通り過ぎる。本来なら、面会には本人の許可が必要だが、同じ看護師なら顔パスで入れるというわけだ。母さんに続いて、一番奥の病室の前に立った。
この部屋は個室のようだ。ドア横のプレートには、特に名前も書かれてない。
母さんは、ドアを軽くノックした。誰かが近づいてきて、ドアを開ける。
向こう側に立っていたのは、スーツ姿の青年だった。青年は驚いたように目を見開いた。
「桐島さんじゃないですか。ここへ何しに?」
「まだ、家族の方は見つかってないんですよね。入院道具を持ってきました」
青年は呆然としている。息子の俺が呆れるんだから当然だ。
「おい、どしたあ?」
奥から低い声が聞こえた。部屋の中に目をやると、ベッドのわきにちょっと腹の出た中年が立っている。その男性も、俺たちに気づいた。
「おや、桐島さん。ちょうどよかった。これから連絡しようと思ってたところなんですよ」
若い青年と、恰幅のいい中年の組み合わせ。そこで、俺は二人が警察だと気が付いた。
予告もなしに警察と対面すると、後ろ暗いところがなくても緊張してしまう。
母さんは狼狽える俺を無視し、ずかずかと部屋に入っていった。俺もおそるおそる続くと、ベッドが見えた。
ベッドの上には、昨日見つけた少女がいた。腕から点滴の管が伸びてはいるが、だいぶ回復したよで、上体を起こしている。明るい室内では、昨夜はよく分からなかった少女の姿をはっきりと見てとることができた。
癖のついた長い髪は、赤茶色をしている。確かブルネット、ってやつだ。肌は褐色、鼻筋が通っていて、顎は丸みを帯びている。目が大きく、瞳は深い青緑をたたえていた。
一目で日本人でないことが分かる顔立ちだった。詳しいわけではないが、アラブ系という感じである。なるほど、会話ができないのも無理はない。
少女は、突如現れた俺たち親子を不思議そうに見た。そして、俺と目が合うと、「あ」という表情を浮かべた。
「気づいたかい? 昨日嬢ちゃんを見つけてくれたあんちゃんだよ」
中年の刑事が言う。意味が通じているかどうかは不明だが、俺を見る少女の瞳に、感謝のまなざしが浮かんでいるようなないような。
母さんが刑事に尋ねた。
「刑事さん、この子のこと、何かわかりました?」
「いや、これだけ特徴があればすぐわかりそうなんですが、在留外国人の記録を見ても、なにも該当しないんです。こっちの言葉はなんとなくわかるらしいんだけど、とにかく、明日にはアラビア語通訳者を連れてくるつもりです」
言葉の通じない相手に、刑事二人もお手上げといった様子である。
すると母さんは、つかつかとベッドに歩み寄り、ヘッドボード脇の丸椅子に腰かけた。そしてゆっくりと自分を指す。
「わたし、きりしま・さとこ」
そして人差し指を少女に向ける。
「あなたは?」
母さんの迷いのない行動に、俺たちは呆気にとられた。母さんはお構いなし続ける。
「わたし、きりしま。あなたは?」
再び少女を指す。
少女は母さんの顔をじっと見て、それから母さんの指す指先を見つめた。そして、口を開いた。
「くぃ、りすぃま?」
「そうそう、き・り・し・ま」
すると少女は、合点がいったかのように強くうなづいた。そして、声を発した。
「ライラ」
俺は驚いて母さんを見つめた。母さんは穏やかに笑っている。
「そうなの。教えてくれてありがとう」
刑事たちも顔を見合わせていた。
その後、俺と母さんは病室で簡単な事情聴取を受けた。といっても俺は昨日すべてを話していたし、目新しい発見はなかった。俺が知っていることといえば、社から出てきたこと、ひどく衰弱していたことぐらいだ。
そう考えて、あることに思い当たった。そういえば、この少女は超音波を発声できるらしい。信じがたいが、ヒロの言葉を信じるならそいういうことになる。
それを情報として伝えるべきかどうか迷った。しかし、身元を探る手掛かりにはならないだろうし、そもそも信じてもらえないだろう。そう思って黙っていた。
用事を済ませた刑事たちは、やがて病室を辞して署へ戻っていった。
2人を見送ると、母さんは紙袋から荷物を出した。少女に確かめもせず冷蔵庫や棚にてきぱきしまっていく。最後にリンゴを取り出した。
「お茶にしましょう。ナイフ借りてくるわね」
そういうと、母さんはリンゴを持ったまま部屋を出た。
引き留める間もなく、俺はアラブ系女子と二人きりで、部屋に取り残された。
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