1、3
驚くまでもなく、さびれた神社だった。狭い境内に古びた社が立っている。手入れする人は皆無らしく、引き戸が破れ、ところどころコケに覆われている。しかし境内の真ん中に立つご神木は立派で、幹は抱えきれそうにない太さだった。意外なことに社の両脇に灯りがあって、黄ばんだ光を投げかけている。その光の周りを無数の羽虫が飛び交っていた。
「…なにもいないじゃん」
俺は正直さっさと帰りたい気分だった。日中の暑さはどっかに消え失せ、Tシャツ1枚の俺の腕に鳥肌が立つ。しかし寒さのせいではない。
「わん!」
突然ヒロが吠え、俺はびくりと体を震わせた。
「ちょっと、いきなり吠えるなよ!」
「おいで! 僕らは敵じゃないよ」
ビビっている俺を無視して、ヒロが社に向かって話しかけた。俺は驚いて本殿を見る。
「何かいるのか?」
「うん。誰かいるみたいだけど、危なくないよ。怖がってるんだ」
ヒロがじっと社を見つめる。俺もヒロの視線の先を見つめるが、何も見えない。
1分くらい、木々のざわめきだけがあたりを包んでいた。
ガタッ
「ぅわっ!」
情けないことにのけぞってしまった。いや、どう考えたって怖い。社の引き戸が湿った音を立てて揺れたのだ。
何か、いる!
気づいたら、ヒロは俺の前に立って足を踏ん張っていた。危なくないとは言うものの、正体はヒロにもわからないのである。俺は、もし何かあったら、ヒロを抱えて全力で逃げようと腹をくくった。いや、ヒロの方が圧倒的に足が速いんだから、命令して先に行かせるべきか。
気味の悪い静寂にしびれを切らしかけた時、ずっ、ずず、と、引き戸が開き始めた。俺とヒロは息をのんだ。
時間をかけて開いた引き戸の向こうには、人影が立っていた。10mほど前方、古い灯りがかろうじでその人物を照らし出した。
人物、そう人である。身長は俺より10cmくらい低い。髪をまとめておらず、髪が肩のあたりで広がっている。女? 肩幅は狭く、手足は細い。小柄な女だ、いや少女か?
懸命に目を凝らすが、その実、目しか動かせなくなっていた。すでに頭の中は得体のしれない女に支配されていて、心も体も全く自由が利かなかった。
その女は、ゆっくりと階段を降り始めた。社までの距離は10m弱、その距離を、ゆっくり、近づいてきたのだ。
もう逃げるとか覚悟とか、そんなもんはいっぺんに消し飛んだ。夜の雑木林、廃れた神社、崩れかかった社。そこから現れる髪を振り乱した女。全身から脂汗が噴き出し、背筋が凍りついた。
奇跡的に腰を抜かすことはなかったが、しかし俺にはどうにもならなかった。たしかに、「ある」か「いる」なら、「いる」に分類されるだろうが。
幽霊だなんて聞いてないぞ!!
しかしその悲鳴は声に出すことすらかなわなかった。全身総毛立ち、息も心臓も止まりそうだ。
幽霊との距離は、もう3mまで迫っていた。万事休す――――――。
その時、ヒロが女に駆け寄った!
「行くな!」
俺の口から怒声がほとばしる。しかしヒロは女に近づいて足元を―――あれ? 足がある。ヒロは女の足元を嗅いでいる。
思考が止まりかけた瞬間、女がその場にくずおれた。
ヒロはわん、と小さく吠えると、女の周りを行ったり来たりしながら心配そうに鼻を鳴らしている。俺もおそるおそる近づいて、女を見下ろした。
幽霊じゃ、ない?
近くで見ると、女にはまぎれもない実体があった。いや、少女である。さらに落ち着いてよく見ると、弱々しく息をしていた。
「お、おい、大丈夫か…?」
死んだ人間ではなく、死にかけた人間である。その弱り切った少女が口を開き、何かしゃべろうとしていることに気づいた俺は、しゃがみこんで手をついた。
「…ぁ…ぅ……」
「大丈夫か? どうした?」
少女の声は、想像していたようなしゃがれ声ではなく、ずっと若くて高い声だった。間近で見ると、少女の顔はどこか日本人離れしていた。
「…あ……たす、けて……」
それだけを絞り出し、少女はぐったりと気を失った。
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