1、2

  お決まりの散歩コースは、家と公園を結ぶ大体直径1kmぐらいの円になっている。家から公園に向かって半周し、帰るときにはもう半周を回ってくる。行きと大きく違うのは、そのもう半周が小山のふもとのうっそうとした道であることだ。

 かろうじてアスファルトで舗装されているものの、誰のものなのかよくわからな道は、ひびがぼろぼろ入り、草がぼうぼう生い茂っている。辺鄙な道だが、たまにクジャクやタヌキを見かけることがある。そういうやつらと話がしてみたくて通るのだが、俺の言葉にはなかなか答えてくれない。話しかけても「わっ」とかいってたちまちやぶに入ってしまう。ヒロが「おーい」とか言うと、「うるさい!」とか答えることがあるのに。


 今日はもう少し人間に友好的な動物がいやしないかとあたりを見回すが、人っ子一人、猫の子一匹見つからない。ちょっとがっかりしながらヒロと歩いていると、アスファルトを嗅いでいたヒロが不意に顔を上げた。

「どうした?」

「しーっ」

 なにか音を聞いているようだが、俺にはさっぱり聞こえない。首を回して聞こえない音の出所を探った。

「今の聞いた?」

「いや、聞こえないんだけど」

「えー? けっこう近いみたいだったよ」


 なんのこっちゃ。まさか犬笛か? こんなところで犬笛吹くやつがいるとは思えんが。俺は首をかしげたが、ヒロはそわそわしている。

「たぶんあっちの方だよ。行こうよ」

「別に、ほっとこうぜ。それにもう暗くなるし」

 そう言って踏み出そうとすると、それをとどめるようにヒロが立ちふさいだ。

「だめだよ! だってすごく悲しそうな声だもん」

 ヒロの言葉に、俺はいよいよ困惑した。ヒロは、嘘とかでっち上げということをしない。なにより、その必死な様子は俺を不安にさせた。

「…分かったよ。でもすぐ帰るぞ」

 俺の言葉を聞くや否や、ヒロは脇道に飛び込んだ。俺は思わずけつまづきそうになる。ヒロの犬種はゴールデンレトリバー。本気で抵抗すれば大の男と張り合うだけの筋力を備えている。その力に引っ張られながら、俺は林の中を進んだ。


 日が落ちかけた雑木林は、やっぱり不気味だった。もちろん俺はビビりではないが、薄暗い山の中など誰だって怖いはずだ。しかし人間より視覚以外の感覚が鋭い犬は、それほど暗闇を恐れない。ヒロは時々首をかしげて音の方向を確かめながら、闇深い場所に向かってずんずん進んでいく。俺はスマホのライトをつけたが精々3m先しか照らせなかった。

 俺たちはすっかり林の奥深くまで入ってしまったようだ。日も暮れたうえ、道なき道を歩いたので、俺はすっかり方向が分からなくなった。こんなところじゃGPSだってものの役に立たないだろう。もうヒロの帰巣本能だけが頼みの綱である。


 俺が焦り始めた頃、20mほど先に、何かが見えた。最初はよくわからなかったが、目を凝らすと人工物特有の直線が見えた。ヒロはまっすぐそれに向かっていく。

 間近で見ると、それは鳥居だった。こんなところに神社があるのか? この町で生まれ育って16年。来たこともなければ聞いたこともない場所だった。黙々と俺を引っ張ってきたヒロが、鳥居の前で足を止めて振り返った。


「ここにいるよ」

 俺はぎょっとした。

「いるって、なに、生き物なの!?」

「うん」


 てっきり風の音か何かだと思っていた俺は面食らった超音波を発する生き物と言えばコウモリしか思いつかないが、コウモリならヒロにもそれとわかる。俺はいよいよ身の危険を感じた。

「ちょっと、危ないって。もう帰るぞ」

「待ってよ。すごく困ってるみたいだから、助けてあげよう」

「困ってるって、俺にはなんも聞こえねえんだぞ」

 頑ななヒロの態度に、俺もさすがにイライラしてきた。しかしヒロはがんとして動かない。

 あーもう! と悪態をつく。

「分かったよ! そのかわり、もしなんかあったらお前が戦えよ」

「大丈夫! 兄ちゃんはボクが守るよ!」

 嫌味のつもりなのに真面目に答えられたら、後ろめたいじゃないか。

 俺は半ばやけくそになりながら、鳥居をくぐった。

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