1、出会い
1、1
ヒロを連れていつものコースを歩いていると、道々に猫やカラスを見かけた。1匹でいる動物は静かだが、数羽が集まっているスズメなんかはかしましくおしゃべりしている。
「ちょっとお、聞いた? 山下さんとこの奥さん」
「知ってる知ってる。ゴミ捨て場のカラスをほうきでバンバンやったんですって?」
「そぉなのよ。こわいわねぇ」
「でもあの人、野良猫にはやさしいわよね。しょっちゅうエサくれてるもの」
「わたしたちにもくれないかしらねぇ」
山下さんは町内会の役員をしている。おじさんは大変朗らかな人なのだが、奥さんの方はというと、噂好きでけちんぼともっぱらの評判である。また猫にエサをやるというのも、実は近隣住民から猫の糞害があって困ると愚痴られている。
俺は彼らの会話を聞くのが好きなのだが、ヒロはあまり興味がないらしい。電柱をクンクン嗅いでいる。俺はリードを引っ張ってせかした。再び歩き出すと、電線に止まっていたスズメたちの声が遠のいた。
俺は、幼い時から動物たちに囲まれて過ごしていた。というのも、第一子である俺を生んだ時、母さんは大変な難産だったらしく、親子ともども生死をさまよった。何とか回復した後も、母さんはその後子供を産めなくなってしまった。そのため、一人っ子では寂しかろうと、兄弟として犬を飼い始めたのがきっかけだ。それを端緒に、動物好きの両親が猫も鳥もと飼い始めて、現在我が家は犬1頭猫2匹、鳥2羽という大変な大家族になった。ヒロは2代目の犬である。
そして物心ついた時にはすでに、彼らの言葉が分かるようになっていた。うちの連中はおしゃべりなやつが多く俺によく話しかけるので、俺も自然とそれに答えていた。
それは確か、洪水のニュースか何かを見ていた時のことである。猫のミケがぶるっと体を震わせてこう言った。
「いやだわ。お風呂だってあんなに怖いのに、家が水浸しになっちゃたらどうすればいいのかしら」
けなげな少年であった俺は力強くこう答えた。
「大丈夫! ミケは俺が守ってやるよ」
「あらあ、カイちゃんは優しいわねえ」
なんの変哲もない会話だったのだが、それを見ていた母さんがフフッと笑った。
「いつも思うんだけど、カイは本当に動物と話してるみたいねえ」
「え?」
俺はきょとんとした。
「本当に」という形容動詞は強調のはたらきをする。それは「話しているみたい」という句に係っている。「~みたい」とは直喩表現であり、要はたとえなのだ。
無論こうした日本語学的考察は、今の俺なりの解釈なのだ。でも、7、8歳の子供なら、繊細なニュアンスを聞き分けられるほど母語に堪能になっている。
つまり、俺とミケとのやり取りは、あくまで会話にたとえられているのであって会話そのものではない。そう母さんが思っていることを感じ取って、俺はしばらく不思議な気持ちになった。
そしてすべてが一致した瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
母さんには、ミケの、動物の言葉が分からないのである。
たしかに、母さんはミケが「空がきれいよ」とか言ってても、「ご飯はさっき食べたでしょう」とかとんちんかんなことを言うことがあった。そのときは何を言ってるんだろうと思っていたのだが、その謎もすべて解けた。そもそも言葉が通じていないのである。言葉とは、人と動物との区別なく使うものだと思っていた俺にとって、それは驚くべき発見だった。
しかしそれは同時に、俺にとって誇らしい秘密にもなった。生死をさまようという稀有な体験が、あるいは俺に特殊な能力をもたらしたのかもしれないと、思春期特有のたくましい想像力をはたらかせたりもした。まあ、全く別の可能性もあることに、最近は悩まされている。
誰もいなくなった公園でをリードを引きずりながら駆け回るヒロをぼんやり眺めていたら、ついセンチメンタルな回想をしてしまった。6時を告げる「家路」のメロディで我に返り、慌ててヒロを呼んだ。
「もう帰るぞ」
「えー」
「ほら早く」
渋々引き返してきたヒロのリードをつかみ、俺は公園を後にした。
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