第9話 あっけない結末、といったところだろうか。

「動かないで」

 小声で口にする池山は、俺の方へ細い瞳を向けてきていた。

「あの子をそう易々と返すわけにはいかない」

「そう、簡単にはいかないってことか」

「残念だったねー」

 見れば、小松田が殴られた頬をさすりつつ、立ち上がっていた。

「高井くん」

「何だよ、池山」

「これ以上、わたしの家に入ろうとすれば、みよりを傷つける」

 池山は言うなり、小松田の方へ目配せするような仕草を取る。

 小松田はゆっくりとした足取りで、池山の方へ向かおうとして。

「何動いてんだ、小松田」

 俺は彼の襟首を掴み、近づかせようとしなかった。

「暴力的だね、直也くん」

「誘拐に加担してるお前がそういうことを言うか?」

「直也くん」

「何だ?」

「油断は常にしちゃいけないものだよ。特にこういう場ではね」

「いて!」

 腕に鈍い痛みを感じ、俺は思わず、小松田の襟首を掴んでいた手を離してしまった。見れば、血がこぼれており、自由になった小松田は手に、カッターを持っていた。

 で、小松田は池山に捕まっている片瀬のそばまで歩み寄る。で、彼女の首筋にカッターの刃を近づけた。

「小松田くん。そこまでやるのは聞いてない」

「冗談、冗談。これは単なる脅しだよー」

「おい、小松田」

「わかるよね? 僕の言いたいこと」

 小松田は片瀬にカッターを当てたまま、問いかけてくる。

 片瀬は今にも泣きそうな表情ながらも、必死に堪えているようだった。

「これ以上、僕にこういうことをさせないでくれよ。じゃないと、片瀬さんも千恵香ちゃんも、助からなくなるよ」

「てめえ、小松田」

「小松田くん。これは本当に冗談?」

「冗談じゃなきゃ、何だって言うのかな? まさか、僕が本気で誰かを殺そうと思ってる?」

 なぜか笑みを浮かべて答える小松田。池山は訝しげな顔をしつつも、それ以上の質問はしない。

「高井くん……」

「片瀬は、何も喋らなくていい」

「わたしのことはいいから、彼女を助けて」

「へえー、片瀬さんは自分を犠牲にして、千恵香ちゃんを助けてというわけなんだね。感動的だね」

「小松田、最低だな」

「そうだね。僕は最低だね。いくらでも罵ってもらってもいいよ」

 両手を広げ、悦に入ったような目つきで両手を広げる小松田。もはや、手に負えない異常者だ。

 にしても、なぜ、池山はこんな小松田に従っているのだろう。やり取りを耳にしていると、どこかずれた会話をしてるような。

「池山」

「何?」

「こんな奴と組んでいいのか?」

「別にいい」

「池山さんを説得しようとしても無駄だよ。池山さんは、直也くんと片瀬さんがくっつくのを望んでいるからね」

「そうなのか?」

 俺が問いかけると、池山はゆっくりとうなずいた。

「何で、真美はそこまで、わたしと高井くんが付き合うのを望んでるの? わたしが高井くんのことが好きなのは確かだよ? だけど、真美は」

「関係ある」

 池山の返事は、口調がしっかりとしていた。

「みよりは、高井くんと一緒にならないとダメ。そうしないと、みよりが不幸になるだけ」

「そんな、大げさだよ。それに、高井くんとはもう……」

「諦めちゃダメ」

 池山は間を置かずに、言葉をぶつけてきた。

「わたしは、みよりの恋が成就することを願っているから。それが叶うためなら、どんなことをしてもいいと思ってる。例え、他の人を傷つけることになっても」

「それは違うよ」

 片瀬は首を横に振った。

「こんなやり方で、わたしが高井くんと一緒になっても、嬉しくないよ」

「何で? みよりは、好きな高井くんと一緒になれば」

「そんなの、強引にやっても、ダメに決まってるよ。こんな、脅しみたいな手紙はダメだよ」

 片瀬は言い、まだ手にしていた便箋を、池山へ突きつける。

 ふたりが話している間、小松田は静かにしていた。

「直也くんはどうしたい?」

「どうしたいって、そりゃあ、お前をぶちのめして、千恵香を助けることだな」

「暴力的だね」

 かぶりを振り、呆れたような顔をする小松田。

「もはや、直也くんは僕を殴れば物事が解決する、そう思ってるみたいだね」

「実際、それに近いだろ?」

「どうかなー。池山さんがいるから、そう、うまく事は運ばないんじゃないかな?」

 小松田の言葉はどこか、イラっとさせるものがあった。

「小松田くん」

「何だい、池山さん」

「もう、こういうの、止めてもいいかと思う」

「急に突拍子のないことを言うね。どうしたのかなー」

「私はこれ以上、こんなことしても、みよりを悲しませるだけに思えてきた」

「僕はそう、思わないけどねー」

「けど、わたしはそう思う」

 池山は言うと、がんじがらめにしていた片瀬を解き放した。しかも、首筋につきつけていたカッターナイフをどかしたりしていた。

 思わぬことに、小松田はさすがに驚いたらしい。距離を取り、俺と目を合わせる。

 片瀬は俺のそばに駆け寄った。

「大丈夫か?」

「大丈夫」

「高井くん」

 見れば、池山が俺の方へ頭を下げていた。

「今までのことを許してとは言わない。けど、せめて、謝ることだけはしたい」

「お、おう」

 突然のことに、俺はどう言えばいいかわからず、間の抜けた声をこぼしてしまった。

「結局、最後は僕ひとりなんだね。悔しいなー」

「もう、観念しろ、小松田」

「僕は観念しないよ。警察にも捕まったりもしない。僕は逃げ切ってみせるよ」

 小松田は言うなり、場から逃げようとして。

 だが、途中でそれはできなかった。

 池山が後を追いかけ、今度は小松田をがんじがらめにしたからだ。

「ひどい裏切りに遭うものだね」

「小松田くんの味方は、もういない」

 池山の淡々とした声は、小松田の敗北を否応なく感じさせるものがあった。

 近寄った俺は、小松田に再びパンチをお見舞いした。

「余裕ぶった言い方はもう、これでできないだろ?」

「随分とひどい言われ様だね」

 小松田は乾いた笑いをこぼした後、ガクッと力を失ってしまった。

 片瀬はスマホで警察に電話をしているようだった。

 俺は小松田が落としたカッターを手に取ると、出ていたナイフをしまった。

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