墨俣一夜城

 1965年。

 尾張国を平定した織田信長は、となりの美濃国へ攻め入ることにした。

「それには、拠点が必要じゃ」

 そこで両国の中間地点である墨俣に、城を築くことを家臣に命令する。だが、それは上手くいかなかった。

 美濃国が、妨害をしてきたからだ。

 材木を運び、職人を連れいていっても、美濃の兵士たちが攻めてきて追っ払われてしまう。

 経験豊富な家老がやっても失敗した。

 歴戦の猛者がやっても失敗した。

 若武者がやっても失敗した。

「ええい! 誰か、墨俣に城を築ける者はおらんのか!」

「私にお任せ下さい」

 名乗り出たのは、いちばん位の低い侍大将。

 木下藤吉郎であった。


   ※   ※


「兄者、だいじょうぶか」

 その日の夜。

 弟の長秀が、その下がり眉をさらに困らせて、藤吉郎の家を訪れた。

「墨俣に城を築くなんて、これまで誰も成功していない。柴田様も、佐久間様も失敗しているんだぞ」

 だが、藤吉郎は朗らかだ。

「だからいいんだよ」

 こともなげに言ってのける。

 そんな兄の態度は、心配性の長秀の胃をよけいに縮み上がらせた。

「たしかにな。成功する可能性の低い、難しい仕事をやってのければ、信長様の評価は高くなるだろう。けどな……」

 失敗したときのことを考えていない。

 身分の高い者たちが失敗した仕事に、自分から軽々と立候補するなんて、それだけで彼らのメンツを潰すことなのだ。もしも失敗しようものなら、それこそ、こちらが潰される。

 そう言いたかった。

 しかし。

「違うぞ、長秀」

 藤吉郎は聞く耳を持たない。

 ただ、らんらんと目を輝かせていた。

「それは違う。まわりがたくさん失敗したからこそ、俺たちは成功に近づいているんだぞ。まあ見ていろ」

 そして、一月後。

 墨俣に城は完成した。


   ※   ※


「よくやったぞ、藤吉郎!」

「おほめにあずかり、光栄でございます。信長様」

「どうやって城を建てたのじゃ。これまで、たくさんの家臣が失敗したというのに」

「これまでたくさんの失敗をしていたから、城が建てられたのでございますよ」

「? どういうことじゃ?」

「こういうことです。

 敵は、いつも我らの邪魔をしておりました。

 そして、それは成功しておりました。

 いつも、いつも。

 いつも、いつもです。

 はじめはのうちは、敵の大将も喜んだでしょう。豪華な褒美をいくつも出して、家臣を自室にまで呼んで労ったそうです。しかしそれが、何回も続くと『慣れ』てしまいます。

 いつしか、成功するのが当たり前になってしまったのです。

 墨俣で勝つのは当然。

 敵を追い返すのが普通。

 敵の大将は、褒美を出すのをやめてしまいました。先月の戦、戦勝報告に返事が来たのは7日後だったそうです。

 兵士たちは、かわらず命がけで戦っているというのに!

 不満が募るのは、自然の成り行き。

 私が払った金に目がくらんでも、仕方がないでしょう?」

「ということは、つまり……」

「城を建てたのは、敵方の兵士です。

 大将には『私たちと戦う』という名目で出兵しておいて、じつは、共同で城を建築していたのです。彼らは、来たる美濃攻めの際にも、協力を確約しておりますよ」

 信長は驚嘆した。

 この末席の侍大将が成し遂げた大きな仕事に。

「見事なり、藤吉郎! 天晴れじゃ! 城を築くだけでなく、裏切りの手はずも整えるとは!」

「ありがとうございます。で、1つ相談が」

「なんじゃ」

「彼らに払うと約束した金ですが。

 私の全財産をつぎ込みましたが、まだ半分にしかなりません。信長様から予算をいただけないと、城も、裏切りも、ついでに私の食べる明日の朝飯も、無くなってしまうのです」

「は……はっはっは!」

 信長は笑った。

「こやつ! ワシの財布をあてにしておったのか!」

「信長様は、手柄をたてた者に褒美を惜しむ方ではありませんから」

 こうして藤吉郎は。

 払った全財産の、7倍の褒美を受け取った。

 のちに天下人となる男・豊臣秀吉の若いころの一幕である。

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