プールでループ
私の仕事は、市民プールの管理人。
市役所で役員を務めていた親がねじ込んでくれた就職先だ。
水質検査をして、器具をチェックして、利用者からの要望などに目を通し、何か問題があった場合は『なんとかしろ』と部下に言うだけのお仕事、月30万円。そんなこんなで20年。
今日もまた、いつもどおりの業務内容だ。
だだ、妙なことがあった。
1人の若い男が、朝からずっと泳ぎ続けているのだ。昼を過ぎても、夕方になっても、ずっとずっと。
男は、私が帰る時間になってもまだ泳いでいた。
不思議に思った私は、彼が水から上がったとき、聞いてみた。
「ちょっと、すみません」
「なんですか」
「そんなにたくさん泳いで、大丈夫ですか?」
「いけませんか」
「いえ。利用時間は7時まで、まだ2時間あります。ですが、何故そんなに泳いでいらっしゃるのか、気になってしまって。もしかして水泳選手の方ですか?」
「違います」
「では、何故」
「ループもの、というジャンルのSFを知っていますか?」
「はあ。同じ時間を何回も繰り返すという……」
「それです。僕は何回も、今日からの3日間を繰り返しているのです」
彼の言うことを、私は鼻で笑った。
「笑いましたね」
「そりゃ、そうですよ。信じられるわけがない」
「では、証明しましょう。僕は、何度も今日を過ごしたから知っています。これから何が起こるのか」
「はあ」
「まずは、10秒後。このプールの前の道を、救急車が通る」
「ははは、ホントですかぁ?」
ピーポー、ピーポー。
「……」
「さらに10秒後。パトカーが通る」
ウー! ウー!
「そんなまさか……」
「そして、救急車とパトカーが事故る」
ガッシャーン!
ガヤガヤガヤ。「大変だぁ! パトカーが救急車に追突したぞ!」。
「ホントだ!」
私はすっかり驚いた。
「ホントだったでしょう? では」
男は立ち上がり、ふたたびプールに入ろうとする。
「待って下さい!」
私はすがりつかんばかりに呼び止めた。
「あなたが時間をループしていることと、今日一日中泳いでいること。いったい、何の関係があるんです?」
男は言った。
「僕は大学生。明日、春休みを利用して南の島に海外旅行に行くのです」
「はあ」
「何人かのグループでね。その中に、1人の女性がいます。厳島恭子です。僕の憧れの人で、僕は、この旅行で彼女に告白するつもりでした」
「いいじゃないですか」
「ですが、2日後。彼女は南の島で泳いでいる最中に、沖へ流されて溺れ死んでしまうのです」
「なんですって!」
「その瞬間、僕は3日前に戻りました。今日の朝です。それから何回、何十回と、僕はこの3日間を繰り返しているのです」
「なるほど……」
私は納得した。
「じゃあ、あなたは、その女性を溺死から救うために……このプールで泳ぎの練習をしていた、ということなんですね」
「そうです。もう数百回になるでしょうか」
素晴らしい! なんという好漢だろう。いくら愛する人のためとはいえ、なかなかできることじゃない。
「僕は、なんとしても彼女を助けたいのです」
いまどき珍しいこの感心な若者を、私は手伝ってやりたくなった。
だから、こう提案してみた。
「それなら、なにか理由をつけて、旅行を中止にしてみたらどうなんです? そうすれば彼女は溺れずにすむ」
だが、彼は。
「何を言ってるんですか」
そのアイデアを、一笑に付した。
「それじゃ意味がないじゃないですよ。僕は彼女の命を救いたいんじゃない。溺れる彼女を助けたいんだから」
そう言うと彼は、ふたたびプールに飛び込んだ。
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