待ち伏せ

 そよそよと吹く春の風に乗ってひらひらと舞う、タンポポみたいに黄色い小さな蝶を追って。

 1匹の、白いウサギが跳ねた。

 名前はラグ。

 若くたくましいウサギだった。

 だが、少し子供っぽいところも残っていた。雨上がりの山の中、延びはじめた草のあいだを駆け回って遊んでいる。

 と。

 突然、ラグは止まった。

 草むらの中に何かを見つけたからだ。

(フンだ)

 それも大きな動物の、肉を食べる動物のフン。

(これは、フォックスだな)

 ラグは思った。

 

 狐のフォックス。

 この辺りを縄張りにしている、かなり大型の、乱暴なヤツだ。これまでにたくさんのウサギやネズミ、仲間たちがアイツに食べられた。

 ラグは長い耳を澄まして、周囲を探った。

 どうやらこの近くにはいないようだ。

(でも) 

 ラグは、ひくひくと鼻を動かした。

(母さんが言ってた。「耳に頼るのは馬鹿なウサギだ」って)

 ウサギは、爪も牙もない弱い生き物。身を守るためには、目、耳、鼻、口、総動員しなければならない。そうすれば、近くにいる獣も、銃を持って隠れている人間も見つけられる。

 そしてなによりも、物を言うのは知識と経験。

 それに基づいた知恵と勇気だった。

 

(フンをしたのは今日の朝か。毛や骨なんかは残ってない。近ごろ肉を食べていないらしいな。量も少ないし、腹を空かしているだろう)

 さらに周りをよく観察してみると、草むらのぬかるみに、まだ少し匂いの残っている足跡が見つかった。

 東へ向かっている。

(……)

 東の岩場には、ラグの巣穴がある。

(西へ行くか)

 こういうときのために、巣穴をいくつか確保してあった。雨が降った直後なので水はけのいい岩場にしたかったが、仕方ない。

(今夜は、木のうろで我慢しよう)

 ラグは西へ向かった。

 途中、ちょっとした仕掛けをする。

 いったん真っ直ぐ走っておいて、足跡をたどってバックする。そして勢いよく横へジャンプ! 別方向へ走り出す。これで、もし足跡や匂いを追跡されたとしても、向かった方向が分からないはずだ。

 さらには草むらをジグザグに走る。

 倒れた枯れ木の上を通る。

 それからヒッコリーの木を大きく迂回して、やっと巣穴にたどり着いた。

(ふう)

 ラグは息をついた。

 家に着いて、つい、油断してしまったのだ。

 がさっ! と自分のすぐ横で大きな音がするのを聞いて、「しまった!」と思った。横に飛び退いた。遅かった。

 腹から噴き出す真っ赤な血。

 フォックスだ!


「かかったな、ラグ」

 ラグの何倍もある怪物は、残虐そうな笑みを浮かべた。

 その爪が濡れている。ラグの血だ。

「待ち伏せしてたんだよ。足跡に騙されてくれたようだな。数日前にこの巣穴を見つけて、いつもお前にやられているトリックをお返ししてやったのさ」

 ラグは、走り出した。

「逃がすか!」

 速い!

 このままでは追いつかれる。

 どうすればいい?

 例の岩場に逃げ込む? 無理だ、距離がある。

 近くの池に飛び込む? 駄目だ、この傷では。

 ラグは、草むらの中を走った。

 追いつかれないことを神さまに祈って。

(母さん!)

 息が切れる。

 血が流れる。

 目が回りそうになほどふらふらになって、ついにラグは、ヒッコリーの木の下で足を止めた。

「観念したか」

 フォックスは舌なめずりをした。

「待ってたぜ、このときを!」

 襲いかかってくる鋭い牙。

 鳴り響くすさまじい轟音。 、

「やった!」

 フォックスは、血を吹き出してばたりと倒れた。

「……銃?」

「そうさ。このヒッコリーの木の上には、人間が銃を持って待ち伏せしていたんだ。だから僕はここで足を止めて、お前のことを狙いやすくしてやったのさ」

 草に隠れた小さなウサギと、大きなキツネ。

 狙われるのがどっちかなんて分かりきったことだ。

 ラグは言う。

「俺も待ってたんだ、フォックス。ずっと待ってた。お前に食われた母さんの、復讐ができるこのときを」

 それから背を向けて、

「じゃあな。いい襟巻きになれよ」

 後ろ足で地を蹴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る