新しいもの

浜辺の男女

 どこまでも高く澄んだ空の下、広がる青い海。

 白くかがやく砂浜は、夏になれば、小麦色に焼けた肌をさらした水着の男女で埋め尽くされる。


 そんな浜辺の近くで、私は小さな食堂トラットリアを経営していた。

 地元特産の魚とトマト、オリーブオイルをふんだんに使った料理が売りだが、お昼時が終わると、コーヒーも出す。喫茶店の真似事でもして、少しでも利益を上げようという魂胆だった。


 この時間は客も少ないので、店員は私1人。

 お客さんも、入り口付近のテーブルに着いた男性2人組だけだった。

 そこへ。

 カランと扉を開けて、1人の女性客が入ってきた。


 いらっしゃいませ、と私が言う前に。

「やあ、お嬢さん」

「こっちへ来て、一緒にどうだい。一杯おごるよ」

 男性客たちが、女性客に声をかけた。

 この店では見慣れた光景だ。


「あら。それならご馳走になろうかしら」

「マスター。こちらのお嬢さんに、カフェ・ラテを一杯」

「ラズベリーのクッキーもな」

 わかりました、と私は戸棚からカップを出した。


「やあ、とっても素敵なピアスだ。よく似合っているよ」

「平凡な色のルージュも、君の唇にあるだけで鮮やかさが増すね」

 競い合うように、女性を褒めそやす男性客。

 彼女は微笑みながら、

「ふふふ。ありがとう」

 ふわっと髪をかき上げた。

 賞賛を受け止める余裕と、それに舞い上がらない落ち着きが、ルージュよりもピアスよりも彼女の美しさを引き立てている、と私は思った。


 笑顔を交わしあう3人。

 話ははずむ。

 女性客がビーチのミス・コンテストで優勝した話。男性客がサーフィンで波を乗りこなした話。カフェ・ラテが冷めるのも構わずに、2時間は話し込んだ。

 やがて。

 夕日が差し込むころになって、ようやく女性客が言った。


「あら、もうこんな時間。帰らなくっちゃ」

「まだいいじゃないか」

「そうはいかないの」

 女性客は、重たい腰を持ち上げた。

「だって、今日は孫が来る日なんだから」

 

 そして彼女は痩せ細った首にしっかりとマフラーを巻き、杖を手に腰を折り曲げ、店の扉を開けた。

 そこは、人っ子1人いない冬の海。

 流れ込む冷たい風が、老婆に激しく吹きつける。

「それじゃあ、また明日」

 軽やかな笑顔を残して、彼女は去って行った。

 残された2人は、老眼鏡の奥の眼を細め、それを見送った。


 真夏であれば、若者でにぎわうビーチの食堂トラットリア。しかし、シーズン・オフは地元の老人たちのたまり場だ。


 毎日毎日、せいいっぱいのオシャレをしてくるおばあさん。

 そんな彼女に、必ずナンパよろしく声をかけるおじいさん。

 彼らは若者に劣らず、いや、それ以上に人生を満喫している。ミス・コンの話もサーフィンの話も、おんなじ話を繰り返しているのだけなのだが、それを語るときの彼らの顔はいきいきとしていた。

 彼らはいつも、輝きの中で暮らしているのだ。

 今年で90になる私も見習いたいね。

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