階上の彼女
6畳、1K、ユニットバス。
3階建ての古いアパートだ。
床は軋むし、すきま風が吹く。両隣に上下、音は筒抜け。備え付けのエアコンは古くて、夏には電気代が跳ね上がる。
そんなウサギ小屋も同然の俺の家に。
天使が訪れたのは、1ヶ月前のこと。
「すみません。ベランダに洗濯物が落ちたので、取らせて貰えませんか」
ノックされたのは、朝だった。
舌打ちしてから玄関まで行き、ドアを開けると、徹夜仕事でしょぼくれていた俺の目は、一気に見開いた。
でかい胸の谷間。
カールした長い髪。
サンダルを履いた細い足首。
うら若き20代くらいの女が、キャミソールにカーディガンを羽織っただけの格好で、でかい胸で、そこに立っていたのだ。
思わず俺は、身体で部屋の中を隠した。
山と積まれた雑誌に、通販のダンボール。散乱しているドリンク剤の瓶に、飲みかけのペットボトル。菓子の袋や総菜のトレーが押し込まれた袋が、ぷよぷよ並みに積み上げられたゴミ屋敷だ。
こんなところに、他人を入れることはできない。
「あー、取ってくるんで、どんなものか教えて貰えれば……」
「ピンクのキャミソールなんですけど。ちょうど、これみたいな」
そう言って彼女は、自分の着ているものを引っぱった。
胸元が甘くなる!
(チラッと赤い色が見えたけど、まさか……)
いやいやいや。
俺はいったんドアを閉じ、ベランダに行って、落ちていた洗濯物を拾い上げた。ここは2階、ということは、彼女は3階に住んでいるということだ。
「この上に……」
僕は天井を見上げ、ゴクリとつばを飲み込んでから、玄関に戻った。
「ありがとうございまーす」
彼女は満面の笑顔で俺を迎えててくれた。
「こんな時間に、迷惑かけてスミマセンでした。あの、これ。実家から送ってきたお菓子なんですけど、食べてくださーい」
小さい袋を渡して、揺れるお尻は去って行った。
手の中に目を落とすと、袋には「おしどりミルクケーキ」と書かれていた。
「山形出身か……」
その日から、僕の生活は変わった。
バタン。
おっ、いま帰ってきたのか。いつもより遅いね。
ギシッ、ギシッ、ドサッ。
ベッドに直行。やっぱり疲れているのか。でも、シャワーくらいは浴びなくちゃ。
カラン。ピチャピチャ、ザー。
そうそう。
トントントン。ジャー、ジャー。
晩ご飯はチャーハンかな? こんな時間に食べると太っちゃうよ。
チャラッチャー、ドーン。ギャハハハ!
いつものバラエティー番組か。あの男性アイドルグループが好きなんだね。寝る前のボサノバはまだかな?
テンテン♪ テラテンテンテン♪
おっ。来たか。おやすみ。
俺はいつのまにか、階上から聞こえてくる音に聞き耳を立てるようになっていた。
しかし、それも仕方ない。
俺の収入は、ネットを介した在宅仕事。
買い物は通販、食事は出前。
一歩も外に出ないことが毎日で、趣味もなく、人との関わりが極端に薄い、引きこもりのような生活をしている。
そんな俺が、彼女に社会との接点を求めてしまったのは仕方ないことだろう。
仕方がないことなんだ!
情報技術に毒されて安易なグローバル化を果たした歪んだ社会とそれに迎合した国家が生み出した当然の帰結でありそんな環境に適応できずに孤独を抱える現代人特有の病巣の一端と言い換えてもいい高度な経済システムの中に囚われた羊のような精神的薄弱の発現が結果としてこういった行為となって社会に還元された。
つまり悪いのは社会であって、俺ではない。
てゆーか、別に悪いことしてないじゃん?
捨ててあるゴミ漁ったわけでも、部屋を覗いたわけでもないし。
郵便物も、ポストに鍵かかってるから見れなかったし。
洗濯物も、部屋干しばっかりだから盗めなかったし。
この前、久しぶりに外出したときに偶然見かけて、30分尾行しながらスーパーで何買ってるかとかチェックしたけどさ。
盗聴器とかしかけてないよ?
押し入れの上の天板はずして音が聞こえやすいようにしただけ。
犯罪じゃないでしょう?
むしろ、騒音をたててる彼女の方が、言っちゃ悪いけど犯罪に近いんじゃないのかな。この前なんか、夜中にいきなりシャワーを浴びるもんだから、飛び起きてずっと聞いてたよ。まったく安眠妨害だよね。
バタン。
おっ、今日も帰ってきたね。
どうするの、まずはシャワーの音を聞かせてくれるの?
それとも一緒にご飯を食べる? カップラーメンの準備はできてるよ。
明日発売の、あのアイドルのCDでも聞くかい? もちろんフライングゲットしているよ。きっと君もそうだよね?
さあ、2人の時間だよ。
※ ※
彼は知らない。
ほんとうは、彼女が住んでいるのは斜め上の部屋で、彼氏と同棲するため2週間前にアパートを出たことを。
上に住んでいるのは、美少年好きなホモのおっさんであることを。
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