ラブコメっぽいもの
1年前のクリスマス
「どうして? ……何故、別れなければならないの!」
杏子はマフラーに顔を埋め、嗚咽を漏らした。
目の前には、困った顔をした俊明が立っている。彼はその大きな背中を小さく丸めて、杏子の肩に手を置いた。
「こうしたかったわけじゃない……でも、こうするしかないんだ」
「そんなのっ!」
杏子は彼の優しい手を振り払った。
目に涙を浮かべて、きっ、と相手を見上げる。
「愛してるって言ったのに。お前だけだって……あれは嘘だったのね」
「違う」
「違わないわ!」
かぶりを振った杏子の目から、涙がこぼれる。赤い手袋に包まれた手をぎゅっと握って、それを彼の厚い胸板に押し当てた。
「その気にさせて、調子に乗らせて、私を弄んでいたんだわ」
わっと泣き出すと、杏子は彼に背を向けた。
しかし、彼はつぶやくように言っただけだった。
「そう思われても仕方ない」
声は風の音にさらわれそうなほど、細い。そして、彼の足音は遠ざかっていこうとした。
「待って!」
杏子は彼の背中にすがりついた。
「どうして、今なの。12月なのよ……あなただって、クリスマスを一人で過ごしたくはないでしょう?」
「もう、いいんだ」
彼は杏子を振り払うと、ずんずん歩き出した。
崩れ落ちた杏子は、彼の心に向けて叫んだ。
「覚えてる? 去年のクリスマス!」
ぴたり、と彼の足が止まる。
「楽しかったわね……生涯で最高のクリスマスだった」
視線を落とし、壊れやすい宝物の包みをそっと開くように、彼女は思いを口にした。いつの間にか、満天の星空から粉雪がはらはら舞い降りてきていた。
「二人で夜景を見ながらワイングラスを交わして、雪の中であなたがマフラーを巻いてくれたっけ……気づいてた?今日してるのよ、そのマフラー」
「気づいてたよ」
短く答えて振り返った彼の目は、あの日のように穏やかだった。
杏子はその視線を潤んだ瞳で受け止めて、
「あのときの約束……覚えてる?」
「ああ」
うなずく彼。
「覚えてるよ」
「あの日、あなたは私にキスをして、ダイヤの指輪をくれたわ……そして、約束してくれたのよ。また来年も、ここでキスしようって」
静寂。
二人の間の言葉も、思いさえも、雪に吸い取られていくようだ。杏子はゆっくりと立ち上がり、彼の胸に駆け込んだ。
そしてシャツの襟を掴み、
ノドを力一杯締め上げた。
「それから、来年はダイヤのネックレスをあげるって!!!」
「ああ! 覚えてるとも!」
彼は杏子の腕を振り払うと、逃げるように数歩下がった。
「だから今日別れる、って言ってんだ!」
「あ、ひどーい! あのネックレスに合わせたドレスももう買ってあるのに! 新年のパーティーに着ていくつもりなんだからね!」
「知るかっ! そんなこと!」
猛る雄牛のように突進してくる杏子を、彼は力任せに押し返した。
「だいたいなあ! 俺に隠れて浮気しまくっといて、どの面下げてそんなことが言えるんだ!?」
「何よ! じゃあ堂々と浮気すれば良かったの!」
「浮気をするな、っちゅーとるんだ!」
「わかったわ! じゃあ、別れてあげるから、とりあえずネックレスは頂戴よ」
「なんでだ!?」
「ふーふふふ。買ってあるのは知ってるのよ、あなたの財布から領収書を見つけてあるんだから」
「あっ、コノヤロ、お前、また他人の財布を……万札が足りないと思ってたんだ」
「隠しても無駄よ。合鍵は持ってるんだから、何としてでも見つけ出すわ。だいたいあなたがモノを隠しそうな場所なんて見当がついてるのよ、エロDVDが入ってる押し入れの奥の箱かしら? それとも通帳と一緒に本棚の後ろ? へそくり隠してる冷蔵庫の野菜室とか前の彼女の写真がある夏服の段ボールの中も全部探すんだから覚悟しときなさいよふふふのふ」
降ってくる雪はだんだんと強くなり、あたりを静寂で包んでいく。
ただ、そんな雪も、ぎゃあぎゃあ五月蠅い痴話喧嘩までは消せないようだった。
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