もう1人の自分がいたら
とあるところに。
小さなラーメン屋を経営している店主がいました。
奥さんといっしょに朝から晩まで毎日毎日マジメに働いていましたが、なかなかお金は儲かりません。
「いつか2人で大きな家に住もう」。
その夢は、はるか彼方の虹のように、いくら近づいても手の届かないものでした。
そんなある日。
閉店間際のラーメン屋に、1人のみすぼらしい老人がやってきました。
「この店で、いちばん安いものをくれ」
「いちばん安いのはラーメンだ。600円。醤油と味噌、どっちにする?」
「これは何じゃ? 150円」
「それはトッピングのメンマだよ」
「これだけでいい。あと水」
何という客でしょう。ラーメン屋に来ておいて、ラーメンを注文しないなんて。
店主は内心気を悪くしましたが、どうせ他に客もいないし、今日は売上げも悪かったからと、注文どおりにメンマを皿で出しました。
(まったく、ろくでもない客が来たもんだ)
店主は老人にかまわず、さっさと掃除を始めました。奥さんは、もう引っ込んで帳簿を付けています。冷蔵庫の中を片付けていると、ゆで卵が余っているのに気がつきました。
「……じいさん、卵食うか。金はいらんよ。どうせ捨てるんだ」
店主は皿に卵をのっけてやりました。
老人は、いたく感心した様子です。
「あんたは、近頃見かけん心の優しい男じゃな。何か、願い事はないか? ワシがお前の望みを叶えてやろう」
店主は笑いました。
「あんたの力でできることなら、俺にもできるよ」
「ところがどっこい。ワシは実は、神様じゃ」
「ハハハ! そうかい。だったら俺は、もう1人自分が欲しいね」
「ほう?」
「こんな小さなラーメン屋じゃ、休む暇なんかありゃしない。かといって、人を雇う余裕も無し。もう1人自分がいれば、自分と同じだけ仕事のできる奴がいれば、俺は遊んで暮らせるじゃないか」
「そうか。ならばその願い、かなえて進ぜよう」
と、言うが早いか。
老人は消えてしまいました。
「え?」
椅子には、老人のかわりに、ビニール袋を膨らませたような人形が座っています。店主は不思議に思って、その人形を触ってみました。
すると、人形は店主そっくりの姿になりました。
目も口も手も足も、お尻のおできも同じ。
もう1人の自分が手に入ったのです。
人形は、店主そのものでした。
声も、表情も、マジメな性格も、食べる量や着る服の好みまでみんな同じ。
とうぜん料理の腕もです。人形は、店主と同じ味のラーメンを、同じ早さで、同じ数だけつくることができました。
店主は喜びました。
「こいつはいいや」
ラーメン屋の仕事を人形に任せ、店主は遊んで暮らすようになりました。
ですが、困ったのは奥さんです。
人形は店主と同じ物を食べ、同じ服を着ようとします。よけいに1人ぶん、お金がかかるのです。なのに、昔の店主と同じだけしか働かないので、店の売上げは同じです。そのうえ店主が遊んでお金を使ってしまっては……
ラーメン屋は、たちまち貧乏になりました。
「ねえ、あんた。ちょっとは店を手伝ってよ」
「なに言ってんだ。人形が俺のぶん働いているだろ」
いくら言っても、店主は聞き入れてくれませんでした。
そして、1年がたち、2年がたち。
ついにある日、奥さんの堪忍袋の緒が切れました。
「いい加減にしておくれ! ウチには、無駄飯食らいを置いておく余裕なんかないんだよ!」
店主は店を追い出されました。
寒空の下を裸足で歩きながら、店主は後悔しました。そしてマジメに働こうと決心し、新しい仕事に就きました。
でも、うまくいきません。
どうしても遊んで暮らした日々が忘れられず、ついつい怠けてしまうのです。何度も仕事をクビになり、ついには雇ってくれる職場もなくなり、ふたたび迎えた寒空の下で、店主は小さく丸くなりました。
そして。
人形と奥さんは、その後もラーメン屋をマジメに続け、何十年か後には小さな家を買ったということです。
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