殺人鬼バー

 真夜中の街、日付が変わるころ。

 僕は1つの看板を見つけた。

 「殺人鬼バー」。

 引き寄せられるように階段を下りてしまう。もうもうとした煙の中、グラスを傾ける男女が何人か。私はカウンターに腰かけたが、奥で作業でもしているのか、マスターがいない。

 すると、隣に座っていたスーツの男が話しかけてきた。

「いやあ、いい夜ですね。こんな夜は、若い女の悲鳴が聞きたくなる。僕が初めて人を殺したのも、こんな月の高い夜でした。ナイフで切り刻んでやったんです」

 テーブル席の若いカップルも言った。

「殺人は、僕らにとってはゲームさ。一晩に何人車でひき殺せるか、2人でいつも競ってるんだ」

 そこへ、妙齢の婦人もやってくる。

「いい男は、みんな私の虜になるの。そして私はそんな男を愛してしまう。でも、愛してしまうと殺したくなって……ダメね。悪い癖」

 うふふ、と彼女は笑った。

 誘うような目つき。妖しく揺れる唇。その顔立ちは、こういうのも何だが、はっきりいってブサイクだった。

「?」

 その彼女の後ろで、立ち上がったのは若い男。

「けっ。何を言ってやがる。殺しに理由がいるのかよ」

 蚊の鳴くような声。

 ヒョロヒョロの体型。

「殺したいから、殺す。それだけでいいだろ。俺はさっきも通りすがりに肩がぶつかった奴を、殴り殺してきたぜ」

 そう言って彼は、マドラーみたいに細い腕で、スプーン1杯分の力こぶをつくって見せた。

「……」

 そこへ、バーのマスターが現れた。

「おや、初めてのお客さんですか。すみません、ちょっと裏で作業をしてまして。何をお飲みになります?」

「じ、じゃあ……ブラッディマリー……」

 マスターはカクテルをつくりながら教えてくれた。

「ここは、殺人鬼バー。自分が殺人鬼であるという設定で、いろんな妄想ストーリーを語る大人の社交場です」

「はあ……」

「最近は、とても沢山のお客さんに来ていただいているんですよ。有名な政治家や横暴な上司、気に入らない同僚を殺した話なんかが多いですね」

「そうですか……」

「いまの時代、社会が逼塞していますからね。少しでも不謹慎な発言をすれば責め立てられ、会社や学校のレールから外れると見下され、つねに他人と同調することを求められる。こういう息抜きのできる場所が必要とされているんですよ。どうです? お客さんも何か話してくれませんか」

 そう言うと、マスターは僕にグラスを差し出した。

 ブラッディマリー。鮮やかなほどに真っ赤な、辛口のハードなカクテル。

「それじゃ……こんなのはどうでしょう」

 僕はそれを一気に飲み干してから、語り始めた。

 

 僕はある日、見知らぬダーツバーに行った。

 僕はダーツが大好きだからだ。

 だが、その店の客は、ダーツのうんちくを語ったり、自分の過去の成績を自慢するだけで、いっこうにプレイしようとしない。ムカついた僕は、持っていた自分のダーツをポケットから取り出し、次々とその場にいる人々を狙い撃ち、殺していった。

 まずはバーのマスターを。

 そして痩せぎすの男を。

 次はテーブルのカップルを。

 それからブサイクな女を。

 最後に、一番最初に話しかけてきたスーツの男を。


「あれ?」

 バーは、いつのまにかしんと静まりかえっていた。誰も彼も、僕の話に何のリアクションも返してくれない。

「ハハ……おかしいな……こんなはずじゃ」

 僕は照れ隠しに頭をかきながら、カウンターの上を見やった。

 グラスになみなみと入った、鮮やかなほどに真っ赤な液体。

 僕はそれを飲み干すと、

「それじゃ」

 明け方の街へ出て行った。

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