心理的なワナ

「これは……心理的なワナだ!」

 そう言うと、先輩は駆け出した。

 僕はその後をついていく。

 エレベーターを無視し、階段を駆け下りて裏口へ。駐車場に着くと、まっ暗な夜空の下、課長が白いワゴンRに乗り込もうとしているところだった。

「係長! 待って下さい!」

「なんだね?」

 グレーのスーツに赤いネクタイ、40代くらいの、ふさふさとした髪の男性。係長はカバンを運転席に放り投げ、こちらに向き直った。

「もう話は終わっただろう。あれは、外部の人間の仕業だよ」

「そうとは限りません」

「なら、誰が我が社の機密データを持ち出したというんだね? あのとき、会社に残っていたのは部長と課長、係長である私、そして残業していた君たち2人。この5人だ」

「そのとおりです」

「そして、私たち5人は、身体検査を行った。カバンを空にして、パンツの中まで調べたはずだ」

「確かに」

「結果は?」

「怪しい物――データを保存可能なディスクや、USBメモリは発見されませんでした。各人の、個人用のPCやモバイル端末、スマホにも、不自然なデータ移動の痕跡はありません」

「なら、話は終わりだ」

 ふたたび車に乗ろうとする

「これから人と会う約束があるのでね」

 だが先輩は、係長と運転席のあいだに体を割り込ませた。

「それは、アガサ・システムの関係者ですか?」

「……何が言いたい」

「噂を聞いたんですよ。係長が、同業他社から引き抜きを受けているってね。外資系のあそこなら、そんな強引な手口も使いかねない」

「だから私が、再就職の手土産に機密データを盗んだというのか」

「そうです」

「侮辱だ。許さんぞ!」

 顔を真っ赤にする係長。震える手を握り込んだ。

「そこまで言うなら、証拠を見せてみろ! 証拠があるんだろうな? 私が盗んだという、機密データはどこにある!」

 係長は、先輩の胸ぐらをつかんだ。

「ここにあります!」

 先輩は、係長の髪の毛をつかんだ。

 ふさふさとした髪の毛がズルリと動く。

「あぁ!」

 髪の毛の内側から出てきたのは、小型のUSBメモリだった。

「これは僕が預からせていただきます」

 そう言うと先輩は、颯爽ときびすを返す。

 残された係長は、がっくりと頭を垂れた。ハゲあがった頭を。

「すごいですね、先輩」

 僕は、エレベーターを待っている先輩に追いついて、興奮しながら声をかけた。

「よくUSBの隠し場所がわかりましたね」

「簡単さ」

「でも、部長も課長も気づかなかったのに……」

「気づいてたよ」

「えっ!?」

 僕は目を丸くした。

「だって……」

「部長と課長には、気づいていても口に出せない理由があったんだ。これは心理的なワナだって言っただろう」

「ああ……!」

 僕はその言葉で、部長と課長のふさふさ頭を思い出した。

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