汚れた世界、壊れる異世界、二人旅

ジェームス

2人旅


 青も赤も、黒も見えない寒空。

 降りしきる濁った雪が、大地を窒息させていた。


 凍るような、乾ききった風が顔を打ち付ける。不快ではないが、喉をひどく苛ませるため、あまり思いっきり口を開けたくはない。


「ベースはここで、転移点ポイントはあと20 kmか。向こうに持ってく食糧はいいとして、水はどうする?」


 地図を凝視しながら、やけにくぐもった、聞き取りづらい声を発する男が1人。顔をすっぽり覆う、不細工なマスク-防毒マスクと言うらしい-を被り、その上から防護服と呼ばれるまるで土人形ゴーレムのようなずんぐりむっくりの衣服を着ている。


「わたしに言っているのだとしたら、明瞭な答えは期待するな。そもそも、わたしにはいらないのだぞ?」


 少し呆れ気味に言ってやった。このやり取りはこれで2回目だ。忘れないでほしいものだが。


「いや、そう言うなよ。あんたがすげーことは知ってるけどさ、次の転移点までに帰れないわけだから、万が一も考えられるだろ? こっちの飯でもあんたの栄養の足しにはなるんだ。心配してんだよ」

「いらぬ心配だな。わたしの内包する魔力は、まだ四半しか消費していない。あと100日は完徹で動けるぞ」

「……転移点のワームホールをたった1人でこじ開けたのに、まだそんなに動けんのかよ。てか、バッテリー式とか、あんた便利すぎるだろ」


 重苦しい排気音と共に、小さな溜息を漏らす。何重にも重ねた防護服とやらでは動きづらいというのに、器用にも呆れたようなポーズをしてみせてきた。


「しかし、もうそれだけ使ったということでもある。少しこちら側に長居しすぎたか」


 ……かれこれ、の世界に来て数週間は経つ。

 正直、どちらの世界もひどく生きづらくなってはいるが、こちら側の方が静かで気分がいい。


「エンジンかけっぞー」


 静寂に浸っていると、何かの駆動音らしき騒がしい音が聞こえて来た。


「わたしはここに座っておれば良いのだろう? ほれ、はやく動かせ」

「お願いだから、肩に足乗っけんのやめてくんないっすかね?!」


 断続的な音と共に、爆発のような轟音が発生し、車は急発進した。


 自分の座る後部座席とやらは、やけにスペースが少ない。しかも背面は何もないため、これだけの速度で走る以上、風に煽られてなす術なく吹き飛ばされるだろう。凡人ならば。


「高貴なるわたしならば、魔力で座標を固定するなど容易。何も気にせず走らせるがよい」

「いや、今更で言いづらいんだけど……あんた座る場所間違えてるよ? それ、座ってるの座席の背もたれだからね?」

「む……」


 そういえば、こやつの座り方とわたしの座り方は、よくよく見れば違う。なるほど、使い慣れた馬車で考えてしまっていた。御者は普通一段低い場所にいるものだが、こちら側では違うのだろう。


「文化の違いとは面倒な。わたしに周りが合わせれば良いものを……」


 溜息まじりに吐き出したが、いやないなとは思った。己が道の在り方を、他者に押し付けるなど、愚かにもほどがある。


「文化の違いっつーか、あんたの常識……ゲフンゲフン、地位の問題じゃねぇ? 元はけっこう偉いんだろ?」

「昔の話だ。今はただのしがない旅人だよ。ああ、お前の世話係も兼任か」

「むしろ俺が世話してると思うんだけどね……」


 騒がしい駆動音も、走り始めてしばらくしてしまえば慣れるもの。そのせいか、周囲の景色へ意識を向けられるようになっていた。


 ……真っ白な大地に、まるで森のように無数にそびえ立つ建物。剥がれかけのそれらの壁面からは、鉄製の軸が飛び出していた。


 視線を移せば、蜘蛛の巣のように張り巡らされた線が、空を覆い尽くしている。なんでも『電線』とかいう名前で、ずっと昔に使われなくなってから、放置されたままなのだとか。


「……美しいな」

「はい?」


 思わず、口から漏れ出てしまっていた。おそらくこちらの世界の民は、これを『醜い』とか『寂しい』などと捉えるのだろう。もしくは『哀しい』か。


 しかし、こちら側ではない者からすると、その静けさがなんとも心地よい。


 滅びかけの世界。このマスク男のように、生き残った者たちは、自由の大半を奪われてしまっている。きっとこの世界は、この世界の民にとっては無慈悲なのだろう。


 しかしわたしには、わたし達にとっては、これほど生きやすい世界もない。


「次の転移点ポイント、そろそろだけど。そんなに外の景色見てて楽しいのか?」


 無意識の内に身体を乗り出して周囲を見回していたからか、御者席からは目立っていたらしい。


「さっきも言ったが、美しいからな。魔力関連の問題さえなければ、移住先はここにしたいくらいだ」

「そいつは、こっち側の民として嬉しい限りで」


 嬉しさのかけらもなさそうな、そっけない態度で返された。まあ、滅びた故郷を美しいと言われれば、誰とてこういった反応をするだろう。


 やや気まずい雰囲気にはなったが、そもそもそれほど会話などしないのだから、関係はない。


「20日ぶりの異世界だけど、今度はどっかオススメの場所ないっすか?」


 そう思った矢先に話しかけてきた。マスク越しだというのに、嬉しそうな雰囲気がこちらにまで伝わってくる程、嬉々とした声だ。


「何度も言うが、向こうにはもう、風情のある場所などない……というのは、野暮な話か。わたしがこちらを楽しむように、お前はあちら側を楽しめるのであろう」

「まー、そゆこと」


 元々行きずりの関係であったはずが、この男とはなぜか長く関わりあう事になった。しかし未だにお互いの感性は理解し合えていない。というか、名前すら明かし合っていない。


「まあ、あっても教えるつもりはないがな」

「うわ、ケチくせぇ」


 ケチくさいのはどちらか。わたしなぞ、聞いても答えんから、己が足でこちら側について調べ上げたというのに。


「おい、印旗めじるしが見えてきたぞ!」


 心の中で愚痴をこぼすわたしの気も知らずに、男は片方の腕を掲げてはしゃぎ出した。そんな男を眺めては、思わず頬が緩んでにやけてしまう。


「ふふっ。……最後になると、思っていたんだがな」

「……? なんか言ったか?」


 どうやら思っていたことがそのまま、口をついて出てしまっていたようだ。


「いや、なんでもない」



 ***



 我らの世界がになってしまってから、もう50年は経つ。

 この男とわたしの住まう世界は、元々は別個の異次元に存在する世界だった。だがある時、次元を究極まで圧縮・削減することで無理やり異次元をつなぎとめるブレイクスルー、転移点ポイントが開発されたのだ。


 我々の世界はその時にはもう、。そして偶然というべきか、我らが最後の頼みの綱として考えていた、生存に適する最後の楽園もまた、滅びに向かっていた。


 終わったもの同士、滅びかけの双子世界とでも呼ぼうか。


 これは罰なのだと、わたしは思っていた。我らが、魔族が世界の資源を枯渇させたこと。そして今なお枯渇させ続け、あまつさえ他の世界にすら手を伸ばそうとしたことの。


 我らは滅ぶべき存在だ。世界と共に、死んでゆくことが正しき道のりのはずだ。


 だからこそ死に場所を求め、わたしはにやってきていた。我らが追い求めた新天地を、最期の希望をこの目で見てから終わろうと。


 だが、だが。


 わたしの中の、この感情は何だろうか。きっと、これこそが本当の最期の希望だったのかもしれない。


 わたしは生きたい。


 わたしは死にたくない。


 そう、願うようになっていた。


「なんすかぶつくさ言って。どうしたんすか?」


 この男と、この素晴らしく儚く美しい世界に出会ってから。

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